第6話 師匠の家に剣がない
十一日目の朝、アルトは家の中を少し探索した。
トネリアが買い出しに出ていた。一人で留守番をしていた。やることがなかった。
道場はあった。木剣が何本かあった。防具もあった。
真剣がなかった。
どこを見ても、刀が一本もなかった。飾ってもいない。しまってもいない。どこにもなかった。
縁側に出た。庭の隅の鉢に、小さな草花が植わっていた。名前は知らなかった。白くて小さい花が、朝の光の中で少し揺れていた。秋の終わりにまだ咲いていることが、少し不思議だった。
◇
トネリアが帰ってきた。
「師匠」
「なんだ」
「剣、持ってないんですか」
「ある」
「どこにですか」
「必要なときに出る」
「どこから出るんですか」
「必要なときに出る場所から」
答えになっていなかった。
「あと、あの花、なんですか」
「花だ」
「名前はありますか」
「ある」
「なんですか」
「忘れた」
「師匠が植えたんですか」
「そうだ」
「なぜ忘れるんですか」
「植えた頃から随分経った」
どのくらい経ったのかは教えてもらえなかった。
◇
午後の稽古。
トネリアの動きを見る訓練が続いていた。
三回連続で当てた。四回目、外れた。五回目、当てた。
「今の、どこを見て当てましたか」
「重心です」
「どこの重心だ」
「腰の、少し下」
トネリアが止まった。今日の止まり方は昨日と違った。少し長かった。
「もう一度」
「はい」
トネリアが動いた。アルトが予測した。
当てた。
またトネリアが止まった。今度はさらに長かった。
「師匠、何かありましたか」
「……なんでもない」
「でも止まってます」
「続けろ」
続けた。
◇
夕方、縁側でトネリアが本を読んでいた。
「——山地に自生し、根を乾燥させたものは止血に用いる。葉は——」
「師匠、それは」
「薬草辞書だ」
「なぜ読むんですか」
「知っておくと良い」
「剣と関係ありますか」
「ある」
「どこがですか」
「切ったら血が出る」
「……それはそうですね」
また読み始めた。アルトは隣で聞いていた。夕方の光が縁側に伸びていた。遠くで鴉が鳴いた。
◇
夜、アルトが縁側に出ると、トネリアが空を見ていた。
月ではなかった。星を見ていた。
「師匠、何してるんですか」
「星を見ている」
「なぜですか」
「さあ」
「数えてるんですか」
「さあ」
アルトも並んで座った。空が広かった。こんなに星があったのか、と思った。街にいたときは気にしたことがなかった。
「きれいですね」
「そうだな」
「師匠、毎晩見てるんですか」
「たまにだ」
「どんなときに」
「さあ」
それだけだった。しばらく並んで星を見た。
◇
夕飯のとき。
「さっき、どこを見ていたと言った」
「腰の少し下です」
「なぜそこだ」
「なんとなく、そこが先に動く気がして」
「なんとなく、か」
「ダメですか」
「良い」
「なんとなくでも良いですか」
「なんとなくが最初だ」
トネリアは茶を持った。一度冷ましてから飲んだ。
「師匠の師匠は、どういう人でしたか」
間があった。
「厳しい人だったか」
「そうだな」
「どんな稽古をしましたか」
「お前と同じようなことだ」
「俺と同じですか」
「見る稽古を最初にした」
「師匠も最初は外れましたか」
「外れた」
「何回くらいで当たりましたか」
「お前より遅かった」
アルトは少し考えた。
「俺の方が早いんですか」
「そうだ」
「師匠より」
「そうだ」
「……本当ですか」
「嘘をついてどうする」
アルトは芋を食べた。うまかった。それとは別に、少し変な気分だった。師匠より早い、というのがどういうことなのか、まだわからなかった。
◇
その夜、トネリアは道場に入った。
木剣を一本持った。素振りを、ゆっくりと一回だけした。
腰の少し下、とアルトは言った。師も同じことを言っていた。最初の頃に。師はそれを聞いて、何も言わなかった。翌日から稽古の内容が変わった。
こなたは今日、止まってしまった。止まるべきではなかった。悟られたかもしれない。ただあの子には、まだ何が起きているかわからないだろう。
木剣を元の場所に戻した。
遅れてきた、とトネリアは思った。遅れてきたが、来た。それで十分かもしれない。十分でないかもしれない。
まだわからない。




