第51話 師匠と、もう少しの日々
トネリアに行け、と言われた後も、稽古は続いた。
◇
変わっていないように見えた。しかし少し変わっていた。
打ち込む側と受ける側が、以前より均等に入れ替わるようになっていた。アルトが打ち込む回数が増えた。
「今日は俺が打ち込んでいいですか」
「こい」
アルトが打ち込んだ。五合で捌かれた。
「五合でした」
「そうだな」
「前より増えましたか」
「そうだな」
「いつか捌けなくなりますか」
「さあ」
「……さあって」
「やってみろ」
もう一度打ち込んだ。六合で捌かれた。
「六合になりました」
「そうだな」
◇
ある夜、縁側から笛の音がしなかった。
アルトが縁側に出た。トネリアがいた。笛を持っていなかった。月を見ていた。
「今日は吹かないですか」
「今日はいい」
「なぜですか」
「さあ」
それだけだった。その夜は吹かなかった。
翌日は吹いた。音は外れていた。
◇
秋の食卓になっていた。具体的に言うと、芋に茸が付く。
「師匠、茸が戻ってきましたね」
「そうだな」
「でも、やっぱり芋がうまいです」
「そうかもしれない」
「一番うまいです」
「さあ」
「さあって」
「夏の果物もうまかった」
「……師匠、それは初めて言いましたね」
「そうか」
◇
ソプラノが来た日があった。
今回は稽古を見なかった。三人で縁側に座って、特に何もしなかった。
「姉さん、母は元気ですか」
「元気です」
「そうですか」
「……あなたは、まだここにいるんですか」
「もう少しだけ」
「そうですか」
「師匠に『行け』と言ってもらいました」
ソプラノが少しの間、縁側の先を見た。
「……そうですか」
「行きます。もう少ししたら」
「わかりました」
それだけだった。それで十分だった。
◇
その夜、アルトは道場で素振りをした。
もう少し、と言った。しかしもう少しとはどのくらいか。
わからなかった。しかし今日終わる感じではなかった。今日でなければ、まだもう少しがある。
鈴が鳴らなかった。最初から最後まで鳴らなかった。
当たり前のことになっていた。




