第42話 俺と師匠と夏の終わり
夏が終わる気配が、庭の草の匂いに出てきた。
◇
朝の空気が少し違った。湿気が減った。光の角度が変わった気がした。
稽古が始まった。
今日は穏やかだった。打ち込む。捌く。また打ち込む。また捌く。続いた。
十、十一、十二。
続いた。
十五合で、トネリアが止まった。何も言わなかった。
「何合でしたか」
「数えていない」
「俺も数えていませんでした」
「そうか」
「でも長かったです」
「そうだな」
◇
昼の稽古。
「今日から一つ変える」
「何をですか」
「移動だけ」
「剣は」
「持つ。しかし打ち込まない。最大の速さで庭を横切れ。鈴を鳴らさずに」
「……できますか」
「やってみろ」
走った。鈴が鳴った。
「力が入っている」
「入ってます」
「もう一度」
走った。また鳴った。
「速く動くと力が入ります」
「そうだ。それが問題だ」
「どうすればいいですか」
「力を入れる前に着いていろ」
「意味がわかりません」
「動く前に着いている、という感覚を持て」
わからなかった。やってみた。
鳴った。
もう一度。
鳴った。
十回やった。十回鳴った。
十一回目。
鳴らなかった。
アルトが止まった。庭の反対側に立っていた。鈴が鳴っていなかった。
手に剣があった。
「今の」
「そうだ」
「どうやったかわかりません」
「続ければわかる」
もう一度やった。鳴った。
「また鳴りました」
「そうだな。続けろ」
五回やった。一回だけ鳴らなかった。
合計十六回。二回だけ鳴らなかった。
その二回が、陣の光より速かったかどうかは、まだわからなかった。しかし向かっていた。
◇
夕飯のとき。
「師匠、また来年も果物が出ますか」
「そうだな」
「毎年ですか」
「そうだ」
間があった。アルトが箸を持ったまま、少し止まった。
「師匠」
「なんだ」
「秋が終わった後のことを、まだ考えていません」
「そうか」
「考えた方がいいですか」
「さあ」
「……俺は来年もここにいますか」
長い間があった。
「それはお前が決める」
「師匠が決めることじゃないですか」
「お前が決める」
アルトは果物を食べた。甘かった。
来年のことを考えるより、秋のことを考える方が先だった。
しかし一度考えてしまったので、来年という言葉が残った。
「……俺もさあです」
「そうか」
◇
縁側に二人で出た。秋の気配が少し混じった夜だった。虫の音が変わっていた。
トネリアが笛を持った。
「師匠、うまくならないですね、笛」
「そうだな」
「目指してないからですか」
「さあ」
「俺も吹いていいですか」
「いい」
渡した。アルトが吹いた。外れた。
返した。トネリアが吹いた。外れた。
二人で外れた。夏の最後の夜だった。
「……遠くまで届きますね、師匠の音」
「そうか」
「外れてるのに届きます」
「さあ」
「外れたまま遠くに届く音って、なんか、剣みたいですね」
トネリアが少しの間、笛を見た。
「ふむ」
それだけだった。
◇
その夜、トネリアは庭に立った。
アルトが「剣みたいですね」と言った。
こなたにはわからない。剣と笛が同じかどうか。
しかし今夜、十六回中二回、鈴が鳴らなかった。
力を入れる前に着いていた、ということだ。
二回だけだった。しかしその二回は本物だった。
あの陣の光が浮かぶ一瞬より、速かったかどうか。
秋になれば、わかる。
月が出ていた。夏の最後の月だった。




