第36話 姉の術を見た
アルトが庭で転んだ。ソプラノが来ていた日だった。
◇
稽古の終わり際だった。
アルトが踏み込みで足を滑らせた。石に躓いた。転んだ瞬間、剣が手から離れた。石の縁に向かって落ちていった。
その瞬間、空気が変わった。
ソプラノの右手の周囲に、薄い光の層が広がった。幾何学的な線が一瞬だけ浮かんで、消えた。
剣が止まった。
宙に止まっていた。石の三寸手前で、何もない場所に固定されていた。
アルトが顔を上げた。ソプラノが縁側に立っていた。手を少し伸ばしていた。
「……すみません」とソプラノが言った。
術が解けた。剣が落ちた。石に当たって音がした。
◇
「今のが術ですか」
「はい」
「反射的に」
「……はい。すみません」
「謝らなくても」
アルトが剣を拾った。刃を確かめた。欠けていなかった。
「光が見えました。一瞬だけ」
「魔法陣です。空間に投影すると、一瞬だけ光の紋様が浮かびます」
「……あれが陣ですか」
「そうです」
アルトは剣を握り直した。
「一瞬でした」
「そうです」
「……強い術ですね」
「そうかもしれません」
「師匠より強いですか」とアルトが聞いた。
トネリアが「さあ」と言った。ソプラノが少し目を伏せた。
◇
夕飯のとき、アルトは聞いた。
「師匠、術と剣はどちらが強いですか」
「相手による」
「どういう相手なら剣が強いですか」
「近づける相手だ」
「近づければいいんですか」
「そうだ」
「近づくために何が要りますか」
「読むことだ」
アルトは豆を食べた。食べながら考えた。
近づければいい。読むことだ。
しかし陣が浮かぶのは一瞬だった。あの一瞬より速く踏み込めるか。
今はまだ、わからなかった。
「師匠、読めるようになりますか、俺」
「なる」
「本当にですか」
「本当だ」
断言だった。今日は珍しかった。
◇
その夜、アルトは素振りをした。
踏み込んだ。鈴が鳴らなかった。もう一度。鳴らなかった。
最大の速さで踏み込んだ。
鳴った。
速さが上がると、力が入る。力が入ると鳴る。
光の陣が浮かぶより速く、鈴を鳴らさずに踏み込む。
まだできなかった。しかし向かうべき方向は今日から見えていた。
◇
その夜、トネリアは縁側に出た。
近づければいい、とこなたは言った。
アルトの踏み込みを見てきた。速さが増してきた。しかし速くなると力が入る。
力が抜けたまま速く動く。それができれば、凝固の術に先んじることができる。
できるようになる。まだ時間がかかる。しかし確かに向かっている。
笛をとりだしたが、今日は吹かず、しばらく眺めた。




