第33話 師匠と稽古をした
暑かった。汗が目に入った。それでも師匠は止まらなかった。
◇
太陽が高かった。道場の中でも暑かった。汗が額から落ちた。目に入った。
「汗を拭け」
「拭く間もないです」
「拭く間を作れ」
拭いた。また打ち込まれた。
木剣が滑った。汗で握りが変わった。力が逃げた。
「滑るなら滑るなりに持て」
「滑るなりに?」
「そうだ。滑る手で剣を使え」
意味がわからなかった。やってみた。
力を込めると滑った。力を入れない方向を探した。力の入れ方が変わった。
変わったことに、後から気づいた。
◇
午後。今日は素手での奪い技を試みた。
打ち込んだ。奪われた。
もう一度。奪われた。
三度目。打ち込んだ。
奪われなかった。
手に剣があった。
アルトはしばらく自分の手を見た。
「今のは奪えませんでした」
言う前に、トネリアが「そうだな」と言った。
「先に言わないでください」
「先に見えた」
「……なぜ奪えなかったんですか」
「力が入っていなかった」
「でも打ち込みました」
「そうだ。力を入れずに打ち込んだ」
今日の滑る手の稽古と、つながった。
◇
夕飯のとき。
「師匠、豆は好きですか」
「嫌いではない」
「俺は好きです」
「そうか」
今日の食卓は軽かった。夏野菜が並んだ。豆と茄子だった。
「師匠、夏はうまいものが多いですね」
「そうかもしれない」
「冬の芋もうまいですが」
「そうだな」
「どちらが好きですか」
「さあ」
さあ、で終わった。
◇
その夜、アルトは道場で素振りをした。
汗が出た。拭いた。また振った。
奪われなかった一回のことを考えた。力を入れていなかった。力を入れずに打ち込んだ。
それができたのは滑る手が教えてくれたからだった。
鈴が夜の道場に一度だけ鳴った。力が少し入った瞬間だった。
それがわかって、構えを直した。今度は鳴らなかった。




