第32話 姉が道場に通ってくる
夏になって、ソプラノが週に一度来るようになった。
◇
あれから少し経っていた。梅雨が来て、終わって、暑くなった。
ソプラノは毎回、昼過ぎに来た。稽古を見て、夕飯を食べて、帰った。何も言わないことの方が多かった。たまに一言言った。
今日は稽古の終わりに、「鈴が鳴りませんでした、最後」と言った。
「見てたんですか」
「見ていました」
「うまいと思いますか」
「どうでしょうね」
「どういうことですか」
「まだ剣のことは分かりません」
まだ。アルトは木剣を定位置に戻しながら、その言葉を頭の中で繰り返した。
◇
今日の夕飯に、初めて冷やした果物が出た。
「師匠、これは」
「夏だからだ」
「毎年ですか」
「そうだ」
甘かった。春の焼き菓子とは違う甘さだった。水分が多かった。
ソプラノが「うまい」と言った。今日は夕飯を食べて帰った。
「師匠の料理です」
「そうか」とトネリアが言った。
三人で少し黙って食べた。夏の夜は長かった。
◇
ソプラノが帰った後、アルトは庭に残った。
まだ、という言葉が庭に残っていた気がした。
まだ、ということはいつかがある。いつかまだではなくなる。
今日はそれだけで十分だった。
◇
その夜、トネリアは縁側に出た。
ソプラノが来るようになった。こなたは何も言わなかった。
見ている目が、師の目に少し似ていた。
アルトは、ソプラノの前では少し力が入る。鈴に出ていた。
気づいていないかもしれない。気づいてほしいが、言わない。気づいたとき、一段上がる。
夏の夜だった。虫の音がした。




