伝承
気がつくと、いつの間にか汗は引いていた。老婆の言葉は静かな闇に染みわたり、風音の血に広がった。
「世の始め、八つの国ありき。富良樹の北と南に五つごとありしを、人は神とせり。神に賜る言の葉を、そのしるしとして、神の翼にかづきけり。千と五百二十一の年のある夜、南の空の濁り、富良樹の凍る、恐ろしきこと、いふべうもあらじ。玻璃の翼の空を覆うに、あまたの人、赤き流れに乗りて北へと禍を逃れり。水の天蓋ぞ、これをふたぎにける。北の人、これを樹の下に住まわせ、不溜人と呼びならはす」
「馬鹿な、これではまるで……」
「そう、お主らが不溜人とよんでいる者たちも、かつては竜とともに空をかける力があったのじゃ。南から逃げてきた者たちには、富良樹に住まうことは許されなかったがの。」
思い上がった老婆の顔が、一瞬闇に浮かんだ気がした。
「そんなことがあるはずがない!いや、あっていいはずがない!」
激昂して上から叩きつけた言葉にも、語り手はびくともしなかった。
「だが、お主は知っていよう。水の天蓋は、世界の果てではない、とな」
振り上げた拳を、重たい視線が押さえつける。もはや風音には、振り下ろすことも、鞘に収めることもできなかった。老婆の囁きに耳を傾けようとした、安易な自分を許すことも。
「そうじゃな。受け入れがたかろう。が、最後には明らかになるのが真実じゃ。」
噛み潰した怒号をもらしながら、それでも風音は、ゆっくりと腰をおろした。聞き返すしかないのだと、どこかで分かっていたからだ。
「何が、起こるのですか」




