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合図
水平線に揺れる太陽が、縁のない濃厚な雲海をじりじりと炙り始め、寝起きの風がとぎれがちに、亜那の吐いた白い息を凍てつく空へと押し流す。極北にそびえる空の富良樹は、世界に一つしかない凍土に囲まれている。富良樹の熱が伝わりにくい細枝の先ともなれば、春先に氷が張ることも珍しくない。
『ここから飛び降りて、3秒間垂直降下を続けます……かまいませんか。』
『OK。後悔させてやるから安心しな。』
亜那の隣で唸りを上げる岩澄の竜は、亜那よりもやや小振りで青白い。翼形にも特徴のない典型的な汎用種だ。
コートを着込んで身を寄せ合っていたギャラリーから、井辻が緩慢な動作で歩み出る。底の見えない空に突き上げられた太い腕は、墓場の湿った砂利の上に細長い影を落とした。二匹の止まった枝先から幾分離れているにもかかわらず、覚悟を確かめる、あるいは思いとどまるよう促す視線が張りつめた空気を伝わってくる。
「3,2,1、始め!」
力強い合図で、大きく張り出した枝の上から二つの影が滑り落ちる。小刀を思わせる鋭い影が朝日を斬り裂くさまは、離れた墓場からもありありと見てとれた。初めてみる亜那の異容に、小さく声が上がる。俄かに熱を帯びる品評会の下で、決闘が始まろうとしていた。




