お茶汲み事件
うやうやしく頭を下げて退出すると、風音は軽やかに廊下を下った。小気味いい靴音が、明るい廊下を満たしてゆく。第三給湯室を通り過ぎたとき、反対側から不揃いな靴音が響いてきた。浅黒い銀髪の男と、同じく銀髪だが色白でほっそりとした男。岩澄と斎柳だ。同郷の出身だと、激が出がけに教えてくれたのだ。
「おはようございます。」
改まった風音に、岩澄は気軽に声をかける。
「よ、上手くいったみたいじゃん?えらい機嫌よさげだけど。」
頭の後ろで手を組んだ勢いで、前を開けた上着のボタンがふらふらと揺れる。持ち上げるのは難しいが、だからこそ持ち上げなければならない。
「ええ、おかげさまで、初任務も滞りなく終えられそうです。」
にこやかに返した風音の変化を見咎めたのか、斎柳がわずかに眉を動かす。
「今日まで出張だと聞いていたけれど、早く片付いたのかい?」
切れ長の目と、磨き上げられた靴のバックルが、差し込む朝日に涼しく響く。風音は表情を維持しつつ、努めて平静にこたえる。
「予定が少し変わりまして。」
隊員間でも、任務の内容について話すことは少ない。斎柳が頷くと、岩澄は手に余った薬缶を風音に押しつけた。
「そうか、助かるよ。それじゃ、コレ、お願いね。」
事態を飲みこむまでの数秒、風音はからっぽの瞳で岩澄を見つめ返していた。脇をつたう汗に気付き、真っ青になって言い訳する。
「―すみません、おはずかしながら、これから報告書を仕上げなくてはいけないので―」
薬缶を突き返された岩澄が、眉を寄せて言い返す。
「自分に与えられた仕事をこなしながら、隊の雑務をこなすんだよ。新人の仕事は、そのために減らしてあるんだから。」
左足の踵が、桟にあたって低く抗議する。追い詰められた風音に、斎柳が助け船を出す。
「いや、初めて書く報告書だ。慣れないことも多いだろうから、時間をかけてきっちりしあげなさい。これは僕が預かるということで、どうかな。」
岩澄が尖らせた口元を動かす前に、騒ぎを聞きつけた仲間たちが集まってきた。
「お、もう帰ってきたのか。首尾はどうだい?」
「初仕事の感想は?」
いきなりの質問攻めから風音を救ったのは、空の薬缶が床にたたきつけられる、甲高い音だった。
「お前、いいところのお嬢様だからってちやほやしてもらえると思うなよ。ってゆーか、こういうのは女の仕事だろうが!」
風音は何も言わず、鋭い視線を投げ返した。煮えたぎった空気に、岩澄の輪郭が浮か上がる。大きな体で割って入った井辻を押しのけ、冷たく言い放つ。
「明日の午前4時、東の墓場でお待ちしています。どちらが給湯係にふさわしいか、教えて差し上げましょう。」
本日中に仕上げなくてはならない書類がありますので、と踵を返し、風音は足早に立ち去った。しかるべき位置は、勝ち取られなくてはならない。硬い靴音が背後のどよめきを断ち切り、目の前の戦いだけが残った。




