はらいせ
あくまで慇懃な老人に、千波はまさしく精一杯の笑顔で答えていた。至って平凡なやり取りに、自分の知らない意味があるのか――奥歯を噛みしめながら平静を装い、二人のしぐさに目を走らせる。
「引きうけて下さいますか。お嬢様、ありがとうございます……号令は是非とも提輪託でかけて頂きたい。よろしいですかな」
一瞬崩れた老人の微笑みに、風音は答えを垣間見た。提輪託の知識は、昴人の親から子へ、代々受け継がれてきたものである。長い月日のうちに知識の風化が進み、厳しい母に育てられた風音でさえ、簡単な文法と普通名詞を知っている程度だった。
「ええ、構いません――」
千波の言葉を遮ったのは、思わず飛び出した厭味だった。
「なるほど提輪託なら、格調高く響くでしょうが、あらかじめ伝えておかなくては当惑なさるお客様もいらっしゃるのではありませんか?富良樹の上ならば、提輪託で宣言されるべきです。が、これは皆様の式典です。分かりやすいに越したことはないでしょう。」
息もつかずに言いきって、ゆで上がった頭からみるみる血の気が引いていった。目の奥が痺れて、軽いめまいに襲われる。
「勿論、身の程はわきまえておりますとも。しかし、せっかく高貴な生まれの方に同席して頂けるのですから、我々庶民にも恩寵に与る幸運をお許し願います……それでは、式の準備がありますので、私はここで失礼いたします。」
そそくさと退散する老人に、留飲が下るどころか、風音は胸を撫で下ろした。法の上では昴人に優位が認められているが、不溜人と悶着を起こしたとあっては、あまり外聞の良い話ではない。
「どうされたのですか……いきなり」
バツが悪そうに顔をしかめる風音を、目を円くしてまじまじと千波は見つめた。
「お前が恨まれるだけのことだ。私は知らないからな」
両手で千波を押し返し、踵を返した風音は、港に向って歩き出そうとしたが、適わなかった。人ごみの中、宿合いが意味深な笑みを浮かべて立っている。




