試合
事実、薄氷の勝利だった。試合開始直後は、居虎の後ろをとっていられたものの、次第に小回りの利く居虎を捉えきれなくなっていったのだ。そのうち玄谷が隙を見つけて、後ろの取り合いになってしまった。二匹が蛇行しながら低空飛行に入り、危うい、と思った瞬間だった。
演習場の中央にかかったアーチが、視界に滑り込んできた。縒り糸がほどけるように、二匹の軌跡が分断された。内側を抜ける亜邦とは逆に、居虎は亜邦のマークからも自由になってしまう。
が、障害物の使い方は何も目隠しだけではない。鋭い爪がレンガを削り取る、際どい音がアーチの中に反響した。きしむ両足で壁面をつかんだ亜邦は、のけぞった首を突き付ける。飛び出してくる亜邦を狙って、壁の向こうで待っている、居虎の姿が見えていた。こちらを見失った一瞬の隙を、渾身の「椏殻」で狙い打つ。已然石は模擬戦用の偽物だったが、亜邦の馬力は本物だ。幾筋にも分かれた火線が、分厚いアーチを吹き飛ばし、ダイブにかかっていた居虎に襲いかかる。
間一髪、火線を潜り抜けた居虎は、再度上昇にかかった。土煙りに紛れて、上に逃げた亜邦を探していたのだ。「椏殻」は、下に意識を引きつけるための囮だ。そして、視界が開けたその時、玄谷は亜邦を見つけた。距離にして2匹分、通灯を全開にして――居虎の後ろに張り付いていた。
玄谷も負けじと、必死であがき続けた。二回目のひねり込みで、ついに亜邦を引き剥がす。居虎を見失った亜邦は、右下へ折れて速度をかせぐ。同じく、降下してきた居虎と交錯して、後ろの取り合いが始まった。身軽さで優る居虎が、じりじりと亜邦を追い詰めていく。ついに翼端がねじれて、亜邦のバランスが崩れた。居虎が後ろに回り込む。体をねじりながら羽ばたいて、暴れる巨体を居虎の「蛇鳴」がかすめていった。競技場の四隅に立てられた石柱に逃げようとする亜邦、抑え込む居虎、玄谷の判断が一瞬遅れ、狂った戦慄が引き裂かれた。
阿那は急旋回、垂直に上昇をかける。無理な軌道から風が剥がれて、大きく失速した。次の瞬間、きしむ翼で引きずるように、石塔に絡みついた居虎の真上、完全に静止した亜邦が、体のバネで反転していた。玄谷なら、急角度でも追ってくる。風音の読みは的中した。
筋書きを狂わせたのは、期待以上の居虎の反応だった。こちらの攻撃を封じるために、正面から迫ってきた。すれ違えば、失速した亜邦は立て直せない。切り詰められた一瞬が、風音の眼底で火花を散らした。
二匹がすれ違うその時、会場に悲鳴が上がった。二匹がきりもみながら、緑の芝に吸い込まれていった。とっさに伸ばした足の爪で、亜邦が居虎を捉えていた。千切れそうな足を全力で体にひきつけ、回転を制御する。抑え込んだ巨体を大地に叩きつけ、風音はかろうじて首席を守ったのだった。
「まったく、そういうところは、あいつにそっくりだな」
宿合は、大げさに肩をすくめてみせた。
「は、はい。そういうところ、ですか?」
風音には、宿合もまた答えに窮しているように見えた。何かまずいことを口にしただろうか。
「……っとだな。打ち合わせは、4時だそうだ。第二会議室に来てくれ。」
「了解しました。4時に、第二会議室」
「ああ。それとな。」歩き始めた宿合が、立ち止まった。
「あいつに、なろうとはするな。先輩からの忠告だ……じゃあな」
薄暗い廊下に消えていく背中を見送ると、風音は再び右手を陽光にかざした。




