宿合
人気のない東側のバルコニーにたどりつくと、冷たい手すりにもたれかかり、大きなため息をついた。富良樹の枝の間から、街の下を滑ってゆく雲海が見える。ぼんやりと街を眺めていると、流れているのは雲なのか、街なのか、次第に分からなくなってゆく。分かっているのは、目の前の風景が5年前にはここにはなく、7年前なら、なおさらのことだ、という、それだけだった。
初めてこの街を訪れてから、兄がいなくなってから、十分すぎる時が流れていた。
「信じられますか。私がもう、兄上より年上だなどと」
雲を運ぶ涼しい風は、風音にも容赦なかった。バルコニーの柵を歌いながらかけぬけて、深い瑠璃色の髪を乱していく。
「おいおい、あんたは、ひょっとすると……やっぱり。一の妹だろう」
突然声をかけてきた男は、実は風音にも見覚えがあった。以前兄が休暇中に連れてきた宿合という男だ。このいかにも食えない細面は、なかなか忘れられるものではない。
「宿合さんですよね。お久しぶりです」
「やっぱり。そんな感じがしたんだよな」
宿合は、腹の底から陽気に笑った。天を仰いだ短い銀髪が、小刻みに揺れる。
「しかし、よく気付かれましたね。こんなに……」
「ああ、すっかり大きくなったな。それに、なんだ。こりゃまた、思いきって――あんなに長い髪だったのに、お袋さん、反対したろ。いや、俺は短いのもいいと思うが」
雲海の果てを見つめながら、不器用に答える。
「ええ。でも、父が賛成してくれましたから」
「うん。そっか……いや、そうじゃなくて、景気のいい話だよ。首席合格、おめでとう」
うっかりしていた。
「……未熟者ですが、よろしくお願いいたします」
風音は、姿勢を正して、鋭い返事をする。資料が届くのは、配属先だ。
「ああ、ようこそ。特務隊に……でも、変かな。俺が迎えに来るってのも」
左手で頭を掻きながら、宿合は乾いた声で笑った。
「本当は、あいつが一番だったのにな」
「それを言ったら、私も敵いませんよ」
風音は沈んだ声を絞り出す。
「でもな、入隊したときの先輩達の顔ときたら――、よくしてくれたとは思うがな。南側のバルコニーに行こう。ここよりはいくらか明るい」
雲は流れても、同じ高みに日は昇る。容赦なく降り注ぐ光は、大理石のタイルの上に二人の影を落としていた。
「宿合さんは……追いつきたいと思ったことは?」
風音は、手を掲げて太陽を仰ぐ。指の陰の間から漏れる光は、突き刺さる位に鋭い。
この唐突な問いに、
「あるさ。でも、それを逃げ口上にしちゃあいけない」
宿合は答えを用意していた。
「どこまで飛べるかじゃあない。俺たちが決められるのは、飛ぶかどうかだけだ。思い切りだな」
風音はさらに問いかける。
「身の程を知れということですか」
「違うよ。しかし……」
少し考えて、宿合はつないだ。
「お前さんは、相当できるんだろう。後輩が、一年前に入ったやつだが、言ってたんだ。弟分の応援に行ったらしいが――すごい試合だったんだって?」
「褒められたものではありません。課題の残る勝負でした」




