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パトローネはタイムカプセル 家族の肖像  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第九章 父の背中



父の俊一郎は、九十二歳になった。


本人は、まったく年寄りになったつもりがない。


「わしは百まで生きる」


これが最近の口癖である。


もっとも、最近といっても、ずいぶん前から言っているような気がする。


八十歳の頃にも、同じことを言っていた。


九十歳になっても、やはり言っていた。


そして九十二歳になった今も、相変わらずである。


目標まで、あと八年。


本人にしてみれば、すでに予定に組み込まれた八年間なのだろう。


私は呼吸器内科医として、数多くの高齢者を診てきた。


九十二歳という年齢が、決して若くないことはよく知っている。


しかし、父を見ていると、年齢という数字があまり意味を持たないような気がしてくる。


本を読み、音楽を楽しみ、興味のあることを見つけては調べている。


何か新しい話題を持っていくと、目を輝かせる。


「それは面白いな」


そう言って、こちらが知らないことまで話し始める。


いったい、どちらが教えているのかわからなくなる。


九十二歳の父に、還暦を過ぎた息子が教わっている。


考えてみれば、なかなか愉快な光景である。




父は、昔から姿勢のよい人だった。


背筋を伸ばして椅子に座り、本を読む。


何かを考えているときには、少し顎を引き、目を細める。


子供の頃、私はそんな父の後ろ姿をよく見ていた。


父の背中には、何となく近寄りがたいものがあった。


怒っているわけではない。


ただ、こちらとは違う世界にいるように見えたのである。


居間にはクラシック音楽が流れていた。


父は本を読み、時々レコードに耳を傾ける。


私は、その横を通り過ぎる。


「どこへ行くんだ」


父が尋ねる。


「ちょっと外へ」


「勉強は?」


「あとでする」


「そうか」


それだけだった。


父は再び本に目を戻す。


私は、何となく解放された気分になって外へ飛び出す。


父は本を読む。


私は自転車に乗る。


同じ家に暮らしていても、二人はずいぶん違う時間を過ごしていた。




父は、感情をあまり表に出さなかった。


嬉しいことがあっても、大げさに喜ぶことはない。


悲しいことがあっても、人前で涙を見せることはほとんどなかった。


それが生まれつきの性格だったのか。


それとも、幼い頃に岡山の実家を離れ、彩音のもとへ里子に出された経験が影響していたのか。


私にはわからない。


ただ、父には、人に頼ることをあまり好まないところがあった。


困ったことがあれば、自分で調べる。


できないことがあれば、できるようになるまで努力する。


誰かに助けを求める前に、まず自分で何とかしようとする。


それは、父の強さでもあり、少し不器用なところでもあった。


母の香織は、そんな父をよく理解していた。


「あなた、少しは人に頼ったら?」


母が言う。


「自分でできる」


父が答える。


「できるのはわかってるけど、頼んだ方が早いでしょう」


「そういう問題じゃない」


「じゃあ、どういう問題なの?」


父は、黙ってしまう。


母は笑う。


「ほんとに、頑固なんだから」


この会話も、細部は私の記憶のなかで作り直されているかもしれない。


しかし、二人の関係は、おおむねこんなものだった。


父は自分の世界を大切にし、母はその世界を壊さずに、外の空気を入れていた。




私が医師になってからも、父との距離は、それほど変わらなかった。


父は循環器内科医。


私は呼吸器内科医。


同じ内科医でありながら、専門は違う。


仕事の話をすることはあった。


しかし、父から人生について説教された記憶は、あまりない。


「医師とは、こうあるべきだ」


そんな大げさなことを言う人ではなかった。


ただ、時々、何気ない言葉を口にした。


「患者さんを、ちゃんと診ているか」


「検査だけで判断していないか」


「自分の頭で考えろよ」


いずれも、医師としては当たり前のことである。


しかし、経験を重ねるほど、その当たり前が難しいことに気づく。


検査機器は進歩した。


診療ガイドラインも整備された。


医学の知識は、父が若かった頃とは比較にならないほど増えている。


それでも、目の前の患者をどう診るかという問題は、最後には医師自身の判断に委ねられる。


父は、そんなことを言いたかったのだろう。


もっとも、本人に尋ねても、


「そんな難しいことは言っとらん」


と答えるかもしれない。


父は、自分の言葉に余計な意味を持たせられるのが、あまり好きではなかった。




私は若い頃、父とは似ていないと言われるのが嫌だった。


父は音楽や美術、哲学を好む。


私はバイクやカメラ、時計が好きだった。


父は本を読む。


私は機械をいじる。


父は物事をじっくり考える。


私は、まず試してみる。


確かに、違っていた。


しかし、年を重ねるにつれ、妙なことが起き始めた。


父が好きだったものを、私も楽しむようになったのである。


クラシック音楽を聴く。


美術館へ行く。


宗教や哲学について考える。


若い頃には退屈だったことが、いつの間にか面白くなっていた。


最初は、単に年を取ったせいだと思っていた。


しかし、それだけではないような気がする。


父が何十年もかけて見つけてきた楽しみを、私はずっと近くで見ていた。


興味がないつもりでも、何かが心のなかに残っていたのだろう。


そして、ある年齢になって、その種が芽を出した。


そんな感じである。



ある日、父の家を訪ねたときのこと。


父は、いつもの椅子に座って本を読んでいた。


私は、何となくその後ろ姿を眺めていた。


背中は、昔より少し小さくなったように見えた。


肩の線も、若い頃ほどしっかりしていない。


九十二歳なのだから、当然である。


しかし、その姿勢には、昔と変わらないものがあった。


本を読むときの集中した表情。


ページをめくる指先。


何か気になるところがあると、少し前かがみになる仕草。


私は、ふと気づいた。


自分も、同じように本を読んでいるのではないだろうか。


妻の知恵から、


「そんなに夢中になって、何を読んでいるの?」


と声をかけられることがある。


そのとき私は、たいてい、


「ちょっと面白いことが書いてあってね」


と答える。


父と同じである。


昔、母が父に声をかけていた姿が、頭に浮かんだ。


親子というものは、顔や体格だけで似るのではない。


本を読む姿勢。


考え込むときの癖。


好きなものに夢中になる様子。


そんなところまで、いつの間にか似てくるらしい。



父は、私の子供たちにとっては祖父である。


そして今では、曾祖父にもなった。


四世代が同じ時代を生きている。


これも、考えてみれば幸せなことだ。


父が岡山の農村で生まれた頃、今のような医療は存在しなかった。


抗菌薬も十分には使えず、心臓の病気を診断する手段も限られていた。


そんな時代に生まれた少年が、医師となり、九十二歳まで生きている。


そして、孫の俊介は初期研修医となり、消化器外科医を目指している。


父から見れば、自分が医師になった頃とは、まるで別世界だろう。


「今の手術は、ずいぶん変わったな」


父が言う。


「そうだね。腹腔鏡やロボット手術もあるから」


「そうか」


父は、しばらく考える。


「でも、最後は人間の腕だろう」


私は、うなずく。


「そうだね」


父は満足そうに笑った。


こうした会話が実際にあったわけではない。


しかし、父なら、きっとそんなことを言うだろう。


新しい技術に興味を持ちながらも、最後には人間の判断や技術を大切にする。


それが父の考え方だった。



父は、母が亡くなってからも、自分の生活を続けている。


本を読み、音楽を聴き、毎日を過ごす。


母がいなくなったことを、父がどう受け止めているのか。


私は、詳しく聞いたことがない。


父は、そういう話を自分からする人ではない。


私も、何となく聞きにくい。


親子というものは、近いようで遠い。


医学の話なら、いくらでもできる。


しかし、寂しくないかと尋ねることは、案外難しい。


母が亡くなったとき、私は病室で最期を見送ることができなかった。


コロナ禍の最中だった。


面会は制限され、別れの言葉を交わすこともできなかった。


母が亡くなったという事実は理解できても、別れを告げる機会がなかった。


そのことが、心のどこかに引っかかっている。


父も、同じような思いを抱えているのだろうか。


それとも、私とは違う形で、母との別れを受け止めているのだろうか。


わからない。


ただ、父が母のことを忘れていないことだけは、確かだと思う。



私は、母が亡くなってから、父と母の若い頃について考えることが増えた。


父が岡山から彩音のもとへ迎えられたこと。


医学部へ進み、循環器内科医になったこと。


バイオリンを弾き、ワーグナーを愛したこと。


そして、十人きょうだいの三女だった母と出会い、結婚したこと。


私は、その歴史の一部しか知らない。


父と母が、どんな恋人同士だったのか。


結婚したばかりの頃、どんな生活をしていたのか。


私が生まれる前に、どんな時間を過ごしていたのか。


聞いておけばよかったことは、たくさんある。


しかし、父はまだ生きている。


九十二歳になっても、元気に本を読んでいる。


今からでも、聞けるはずである。


そう思うのだが、実際にはなかなか聞けない。


「父さん、母さんとはどうやって知り合ったの?」


そんな質問を、九十二歳の父にするのは、何となく照れくさい。


父も、きっと困った顔をするだろう。


「そんな昔のこと、覚えとらん」


そう言って、話を終わらせてしまうかもしれない。


しかし、本当に覚えていないのだろうか。


私は、少し疑っている。


父は、興味のあることについては、驚くほど細かいことまで覚えている。


何十年も前に読んだ本の内容を、突然話し始めることがある。


昔聴いた演奏会のことを、懐かしそうに語ることもある。


それなのに、母との出会いだけ忘れているとは、考えにくい。


単に、息子に話すのが恥ずかしいだけなのかもしれない。




父は、若い頃にNikon Fを使っていた。


金属製の、ずっしりと重いカメラである。


私がカメラに興味を持つようになったのも、父の影響が少なからずあったのだろう。


ただし、父はカメラの機械的な構造より、写真そのものに興味があったのかもしれない。


私は、シャッターの仕組みやレンズの構造が気になった。


父は、その向こうにある風景や人物を見ていた。


同じカメラを手にしていても、見ているものは少し違っていた。


しかし、今になって考えると、写真というものは、実に不思議な道具である。


シャッターを切った瞬間、そこにあった時間が記録される。


撮影した本人が忘れてしまっても、写真は覚えている。


何十年も前の笑顔。


今はもう存在しない風景。


二度と戻らない時間。


それらが、一枚の写真のなかに残っている。


父は、そんなことを考えながらシャッターを切っていたのだろうか。


それとも、単に母の笑顔を撮りたかっただけなのだろうか。


おそらく、後者だったのではないかと思う。


父は理屈っぽい人だったが、写真を撮るときまで哲学を考えていたとは限らない。


好きな人が目の前で笑っている。


その姿を残したい。


写真を撮る理由など、それだけで十分なのかもしれない。




最近、私は自分の写真を整理することがある。


若い頃に撮ったフィルム写真。


子供たちが小さかった頃の写真。


家族旅行の写真。


そして、孫たちの写真。


デジタルカメラになってから、写真の数は飛躍的に増えた。


何千枚、何万枚という画像が、ハードディスクのなかに保存されている。


しかし、写真が増えたからといって、思い出まで増えるわけではない。


むしろ、撮ったことさえ忘れている写真が、たくさんある。


フィルムの時代には、一枚一枚を大切に撮っていた。


三十六枚撮りのフィルムを使い切るまで、何日もかかることがあった。


現像して初めて、どんな写真が撮れているかわかる。


失敗した写真もある。


ピントが合っていない。


露出が間違っている。


誰かが目をつぶっている。


それでも、捨てられない写真がある。


技術的には失敗していても、そのときの空気が写っているような気がするからだ。


父の古いNikon も、そんな時間を記録していたのだろう。




ある日、父の背中を見ながら、私はふと思った。


この人は、いったいどれほど多くの時間を生きてきたのだろう。


岡山の農村で生まれた少年。


彩音のもとへ迎えられた少年。


医学部で学び、バイオリンを弾いていた青年。


循環器内科医となり、母と出会った男。


そして、私の父となり、祖父となり、曾祖父となった人。


九十二年という年月のなかに、いくつもの人生が重なっている。


私が知っているのは、その一部にすぎない。


父は、今も本を読んでいる。


時々、顔を上げて、何かを考えている。


私は、その姿を眺めながら、少しだけ寂しい気持ちになった。


父は、いつかいなくなる。


そんな当たり前のことを、私はできるだけ考えないようにしてきた。


何しろ、本人が百歳まで生きると言っているのである。


こちらも、ついその気になってしまう。


しかし、医師である私は知っている。


人間の命に、絶対はない。


だからこそ、今の時間を大切にしなければならない。


そう思った。




「父さん」


私は、声をかけた。


父が本から顔を上げる。


「何だ」


「百歳まで生きるんだよね」


父は、少し笑った。


「もちろんだ」


「じゃあ、あと八年だね」


「そうだな」


「八年もあれば、まだいろいろできるね」


父は、少し考えた。


「八年しかない、とも言えるぞ」


私は、思わず父の顔を見た。


珍しく、少し哲学的なことを言った。


いや、父にとっては、いつものことなのかもしれない。


「そうだね」


私が答えると、父はまた本に目を戻した。


会話は、それで終わった。


しかし、その言葉は、妙に心に残った。


八年もある。


八年しかない。


どちらも正しい。


大切なのは、その時間をどう過ごすかということなのだろう。




父の背中は、昔より小さくなった。


しかし、私にとっては、今も大きな背中である。


医学を学び、音楽を愛し、美術や哲学に親しみ、九十二歳になっても新しいことを知ろうとする。


そんな父の姿を、私はずっと見てきた。


若い頃には、似ていないと言われるのが嫌だった。


今では、似ていると言われると、少し嬉しい。


父と同じように年を取り、父と同じように人生を楽しめたら、それは幸せなことだと思う。


そして、できれば、父のように百歳まで生きたい。


もっとも、父が百歳になったとき、私はまだまだ追いつけない。


親子というものは、いつまでたっても、そんな関係なのかもしれない。



帰り際、父はいつものように玄関まで見送ってくれた。


「また来るよ」


私が言う。


「ああ」


父は、うなずいた。


「無理しないでね」


「わかっとる」


いつもの返事だった。


私は、少し笑った。


父も笑った。


そして、私は車に乗った。


バックミラーのなかで、父が小さくなっていく。


九十二歳の父が、玄関先に立っている。


その姿を見ながら、私はふと思った。


この光景も、いつか思い出になるのだろう。


そう考えると、少し胸が詰まった。


しかし、次の瞬間、父が手を上げた。


私は、窓を開けて手を振り返した。


まだ、父はそこにいる。


それで十分だった。



家に帰ると、知恵が尋ねた。


「お父さん、元気だった?」


「うん。相変わらず」


「よかったね」


私は、うなずいた。


そして、何となく書斎へ入った。


本棚には、医学書のほかに、音楽や美術、宗教に関する本が並んでいる。


昔の父の本棚と、よく似ていた。


机の上には、カメラが置いてあった。


私は、それを手に取った。


金属の冷たい感触が、掌に伝わってくる。


父の古いNikon Fを思い出した。


そういえば、あのカメラは、どこにしまってあっただろう。


ずいぶん長い間、見ていない。


納屋の奥だったか。


それとも、古い道具を入れた箱のなかだったか。


いつか、探してみよう。


そう思った。


父が若い頃、大切にしていたカメラ。


あのカメラには、どんな時間が残されているのだろう。


そのときの私は、まだ知らなかった。


父の古いカメラが、私の知らない父と母の時間へと、静かに扉を開いてくれることを。


そして、その扉の向こうに、もう一度会いたかった母の笑顔が待っていることを。


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