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パトローネはタイムカプセル 家族の肖像  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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第七章 白衣の家系、四代目



私が医師になったとき、わが家の医者は四代目となった。


初代は曾祖父の仁左衛門。漢方医だった。


二代目は祖母の彩音。小児科医。


三代目は父の俊一郎。循環器内科医。


そして四代目が、呼吸器内科医の私、俊太郎である。


こうして並べると、いかにも由緒正しい医師の家系のように聞こえる。


しかし、実際には少々事情が違う。


祖母の彩音は生涯独身で、父は岡山の農村から里子として迎えられた。


つまり、二代目と三代目の間には、血のつながりがない。


しかも、私自身、幼い頃から医者になろうと固く決意していたわけではなかった。


好きだったのは自転車やバイク、時計、カメラ。


医学書よりも機械のカタログを眺める方が楽しかった。


それなのに、気づけば白衣を着ていた。


人生というものは、なかなか予定どおりには進まない。


もっとも、予定を立てていなかったのだから、予定どおりに進みようもなかったのだが。



医師になって間もない頃、私は自分が四代目であることを、ほとんど意識していなかった。


目の前の仕事を覚えるだけで精一杯だったからである。


朝は病棟を回り、昼は検査をし、夜は当直。


肺炎、気管支喘息、肺癌、呼吸不全。


覚えることは山ほどあった。


患者の状態が悪くなれば、夜中でも呼び出される。


ようやく眠れたと思ったら、また電話が鳴る。


そんな生活を送っていると、曾祖父が漢方医だったことなど、考える余裕はない。


むしろ、時々うらやましく思った。


仁左衛門の時代には、携帯電話がなかった。


ポケットベルもなかった。


夜中に呼び出されることはあっただろうが、少なくとも入浴中に携帯電話が鳴ることはなかったはずである。


もっとも、当時の医師は、今とは比較にならないほど限られた手段で患者を診ていた。


抗菌薬もなければ、人工呼吸器もない。


肺炎ひとつとっても、命に関わる病気だった。


そう考えると、現代の医師でよかったと思う。


ただし、夜中に電話が鳴るたびに、その考えは少し揺らいだ。




私が専門に選んだ呼吸器内科は、父の循環器内科と隣り合わせのような診療科である。


心臓と肺。


どちらも胸の中にあり、互いに密接な関係を持っている。


心臓が悪くなれば肺に水がたまる。


肺が悪くなれば心臓に負担がかかる。


患者の息苦しさが心臓から来ているのか、肺から来ているのか。


時には、その見極めが難しい。


若い頃、私はそんな患者を診るたびに、父ならどう考えるだろうと思うことがあった。


もっとも、実際に父へ相談することは、あまりなかった。


親子というものは、妙なところで意地を張る。


他の先生には素直に質問できても、父に尋ねるのは少々抵抗があった。


自分も医師なのだから、自分で考えたい。


そんな気持ちがあったのだろう。


ところが、父の方は、こちらの遠慮など気にしない。


「この前、面白い心不全の症例があってな」


会うと、突然そんな話を始める。


私は、つい聞き入ってしまう。


そして、気づけば二人で病態生理について議論している。


親子の会話というより、医局のカンファレンスである。


母は、そんな二人を見て笑っていた。


「せっかく家に帰ってきたんだから、仕事の話ばかりしなくてもいいのに」


確かに、その通りだった。


しかし、医者同士というものは、放っておくと、どうしても病気の話になってしまう。


困った習性である。



私が結婚した相手も、医師だった。


知恵という。


同じ医局で知り合った。


医師同士の結婚は、決して珍しくない。


何しろ、若い医師は病院にいる時間が長い。


朝から晩まで同じ職場にいて、休日にも呼び出される。


これでは、病院の外で出会いを探す方が難しい。


もっとも、だからといって、同じ医局にいる男女が必ず結婚するわけではない。


私と知恵の場合は、幸いにも、そういう縁があった。


知恵は、私と同じく医学を学び、患者を診る仕事を選んだ女性だった。


医学の話が通じる。


仕事の大変さもわかってくれる。


当直明けで疲れていても、いちいち説明しなくて済む。


これは、なかなかありがたい。


ただし、医師同士の結婚には、少々面倒なところもある。


家に帰ってからも、仕事の話が続いてしまうのである。


「今日、こんな患者さんがいてね」


私が話し始める。


知恵が聞く。


「それで、検査は?」


「こうだった」


「じゃあ、あれは考えなかったの?」


なるほど。


夕食の席が、いつの間にか症例検討会になっている。


しかも、相手は遠慮してくれない。


同僚なら多少は言葉を選ぶところでも、夫婦となると容赦がない。


もっとも、私も同じようなことを言っていたのだろう。


お互いさまである。



結婚の話が進むにつれ、両家の間に思いがけない縁があることがわかってきた。


知恵の父も医師だった。


そして、知恵の母方の祖母と、私の家族にも以前から交流があったという。


最初は、ただの偶然だと思った。


ところが、話を聞けば聞くほど、いろいろなところで人間関係がつながっている。


「あの先生をご存じですか」


「もちろん、昔から知っているよ」


「えっ、そうなんですか」


そんな会話が何度も繰り返された。


医者の世界は狭い。


地方の医者の世界は、さらに狭い。


そのうえ、親の世代、祖父母の世代までさかのぼると、どこかで誰かがつながっている。


まるで、複雑な血管の走行を追いかけているようなものだった。


一つの枝をたどると、思いがけないところへつながっている。


もっとも、血管なら造影CTで確認できるが、家族の縁はそうはいかない。


古い記憶と、昔話が頼りである。


しかも、話す人によって微妙に内容が違う。


「あの二人は同級生だったはずだ」


「いや、先輩と後輩だったと思う」


「親戚じゃなかったかしら」


こうなると、何が正しいのか、よくわからない。


それでも、結婚をきっかけに、二つの家族の歴史が思いがけず交差していたことを知るのは、面白い経験だった。


私たちが出会うずっと前から、家族同士には何らかのつながりがあった。


だからといって、結婚が運命で決まっていたなどと言うつもりはない。


ただ、世の中には、偶然と呼ぶには少し不思議な縁がある。


そう思ったのである。



父と母は、私たちの結婚を喜んでくれた。


父は、いつものように大げさなことを言わなかった。


「そうか。よかったな」


それだけだった。


母は、もう少し賑やかだった。


知恵のことをいろいろ尋ね、これからの生活を心配し、結婚の準備についてもあれこれ気を配ってくれた。


十人きょうだいの三女として育った母にとって、家族が増えることは、きっと嬉しいことだったのだろう。


一方、父は相変わらずだった。


結婚の話をしていたかと思えば、突然、音楽や医学の話になる。


母が呆れて言う。


「あなた、今は結婚の話をしているんでしょう」


「わかっとる」


本当にわかっていたかどうかは、少々疑問である。


しかし、父なりに喜んでくれていたのだと思う。


何しろ、自分が彩音のもとへ里子として迎えられた少年だったのだ。


その少年が医師となり、家庭を築き、今度は息子が結婚する。


父にとっても、感慨深い出来事だったに違いない。


ただ、それを言葉にするのが苦手だったのである。



やがて、私たちにも子供が生まれた。


三人である。


父親になって初めて、父の気持ちが少しわかるようになった。


子供が生まれると、生活は一変する。


夜中に泣く。


熱を出す。


転ぶ。


物を壊す。


こちらの都合など、お構いなしである。


私は医師だから、子供の病気には多少の知識がある。


しかし、医学の知識があることと、子育てが上手なことは、まったく別の話だった。


例えば、夜中に子供が泣き始める。


熱はない。


お腹もすいていない。


おむつも問題ない。


医学的には、特に異常が見当たらない。


それなのに、泣きやまない。


「どうして泣いているんだろう」


私が首をかしげる。


知恵が言う。


「抱っこしてほしいんじゃない?」


なるほど。


そんな単純なことを、医師である私は見落としていた。


医療の知識というものは、時に役に立たない。


いや、正確には、知識だけでは足りないのである。


母が十人きょうだいのなかで身につけた、あの自然な世話の仕方を思い出した。


子供が泣けば抱き上げる。


転べば起こす。


お腹がすけば食べさせる。


当たり前のことを、当たり前にする。


子育てとは、案外そういうものなのかもしれない。




子供たちが大きくなるにつれ、私は自分が父に似てきたことに気づいた。


例えば、勉強のこと。


子供が何か質問してくる。


私は、つい原理から説明し始める。


「まず、どうしてそうなるかを考えてみよう」


すると、子供が言う。


「答えだけ教えて」


どこかで聞いた台詞だった。


そうだ。


昔の私である。


父が私に説明していたとき、私も同じことを言っていた。


「結論だけ教えてくれればいいのに」


そして今、私は父と同じように答える。


「原理がわからないと、応用が利かないんだよ」


子供は、面倒そうな顔をする。


これも、昔の私と同じだった。


親子というものは、実に不思議である。


似たくないと思っていても、いつの間にか似てくる。


しかも、本人はなかなか気づかない。



三人の子供たちには、医師になれと強く言ったことはなかった。


少なくとも、私自身はそう思っている。


もちろん、医師という仕事の魅力は伝えたかった。


患者の命を救うこと。


病気を治すこと。


人の役に立てること。


しかし、その一方で、医師という仕事の大変さも知っていた。


夜中に呼び出される。


休日にも病院へ行く。


患者の命に関わる判断を迫られる。


時には、どれだけ努力しても救えない命がある。


そんな仕事を、子供たちに無理に勧めるつもりはなかった。


自分の好きな道を選べばいい。


父が私にそうしてくれたように。


ただし、親というものは、口では自由に選べと言いながら、子供の進路が気になって仕方がない。


医師になりたいと言えば、嬉しい。


しかし、同時に心配にもなる。


ほかの仕事を選べば、それはそれで少し寂しい。


実に勝手なものである。




医師としての経験を重ねるうちに、私は病院の仕事だけでなく、地域の医療にも関わるようになった。


呼吸器内科医として患者を診ることは、もちろん大切である。


しかし、患者の生活は病院の外にも続いている。


高齢の患者が肺炎で入院する。


治療によって肺炎はよくなる。


ところが、退院しても自宅で暮らせるとは限らない。


足腰が弱っている。


食事が十分に取れない。


家族だけでは介護が難しい。


そんな問題に、何度も直面した。


病気を治すだけでは、患者の生活を守れない。


そう感じるようになった。


曾祖父の仁左衛門は、地域の人々の暮らしのなかで診療していた。


祖母の彩音は、子供たちの健康を守っていた。


父の俊一郎は、心臓の病気と向き合っていた。


そして私は、肺の病気を診ながら、患者が地域で暮らし続けるためには何が必要なのかを考えるようになった。


時代によって、医師に求められる役割は変わる。


しかし、病気を抱えた人が、その人らしく生きられるように支えるという点では、同じなのかもしれない。



ある日、父と医療の話をしていた。


父は、昔の循環器診療について語ってくれた。


心電図と聴診器が診断の中心だった時代。


検査機器が十分ではなく、患者の症状や身体所見を頼りに判断していた時代。


私は、現在の医療について話した。


CT、MRI、内視鏡、人工呼吸器。


医学は大きく進歩した。


父は感心したように聞いていた。


そして、ぽつりと言った。


「便利になったなあ」


「本当にそうだね」


「でも、患者さんを診るのは、医者だからな」


私は、少し驚いた。


父にしては、ずいぶん簡潔な言葉だった。


しかし、その通りだと思った。


どれだけ機械が進歩しても、最後に患者と向き合うのは人間である。


医学の知識だけでは、十分ではない。


患者の話を聞き、その人の人生を考える。


父は、ずっとそういう医師だったのだろう。



私は、自分が四代目の医師であることを、以前より少し意識するようになった。


ただし、名門の家系を継いだというような、大げさな感覚ではない。


曾祖父は漢方医だった。


祖母は小児科医だった。


父は循環器内科医だった。


私は呼吸器内科医になった。


それぞれの時代に、それぞれの医学を学び、それぞれの患者を診てきた。


ただ、それだけのことである。


しかし、その「ただ、それだけ」が、四代も続いたというのは、考えてみれば不思議なことだ。


しかも、祖母と父の間には血のつながりがない。


それでも、医師という仕事は受け継がれた。


血筋よりも、日々の暮らしのなかで見てきた姿の方が、人間に大きな影響を与えることがある。


彩音の背中を見て、父は医師になった。


父の背中を見て、私も医師になった。


もっとも、私の場合は、父の背中よりも、カメラの裏蓋を眺めている時間の方が長かったような気もする。


それでも、結果として同じ道を歩いていたのである。



子供たちが成長し、それぞれの進路を考えるようになった頃、私は少し期待していた。


誰か一人くらい、医師になるだろうか。


もちろん、本人たちにはそんなことは言わない。


言わないつもりだった。


しかし、親の期待というものは、案外、言葉にしなくても伝わってしまうらしい。


そして、三人の子供のうち、息子の俊介が医学の道を選んだ。


これで五代目である。


最初にそのことを意識したとき、私は少し驚いた。


仁左衛門が薬草を煎じていた時代から、百年以上。


彩音が東京で医学を学び、岡山から来た少年を育て、その少年が循環器内科医となり、私が呼吸器内科医になった。


そして今、息子が医師になろうとしている。


実に長い道のりだった。


もっとも、俊介本人にしてみれば、そんな家族の歴史など、あまり関係なかったかもしれない。


自分が医師になりたいから、医学部へ進んだ。


それで十分なのである。


私は、そう思いたかった。




父に、俊介が医師を目指していることを話したときのことを覚えている。


「俊介も医者になるよ」


父は、少しうなずいた。


「そうか」


それだけだった。


私は、もう少し喜ぶかと思っていた。


「五代目だよ」


そう言うと、父は少し考えた。


「そうなるな」


そして、また本に目を戻した。


何とも淡泊な反応である。


しかし、しばらくして、父がぽつりと言った。


「自分の好きなことをやればいい」


私は、少し笑った。


父は昔から、そういう人だった。


自分が好きなことを学び、医師として働き、音楽や美術を楽しんできた。


息子にも、孫にも、同じ道を強制しようとはしない。


ただ、それぞれが自分の人生を歩めばいい。


そう考えているのだろう。


もっとも、父が本当にそこまで深く考えていたのかどうかは、わからない。


単に、読んでいた本の続きが気になっていただけかもしれない。




私は今、四代目の医師として、自分の仕事を続けている。


そして、息子の俊介は、五代目として医学の世界へ足を踏み入れようとしている。


時代は変わった。


仁左衛門の時代には、漢方薬が治療の中心だった。


彩音の時代には、抗菌薬も十分ではなかった。


父の時代には、心臓の病気を診断するための検査が限られていた。


私の時代には、CTや内視鏡が当たり前になった。


そして、俊介の時代には、ロボット手術や人工知能が、さらに医療を変えていくのだろう。


五代にわたって、医学は大きく進歩した。


しかし、医師という仕事の本質は、それほど変わっていないような気がする。


患者の話を聞く。


病気を診断する。


治療を考える。


そして、できるだけその人の力になる。


それだけのことである。


もっとも、それが一番難しい。


私は、四代目になってようやく、そのことが少しわかってきた。


五代目の俊介は、これから何を学び、どんな医師になるのだろう。


楽しみでもあり、心配でもある。


父が私を見ていたときも、きっと同じような気持ちだったのかもしれない。


そして、祖母の彩音も、岡山から来た少年を見ながら、同じことを考えていたのだろう。


家族というものは、世代が変わっても、案外似たような心配を繰り返すものらしい。


ただし、俊介が選ぼうとしているのは、私とも父とも違う診療科だった。


消化器外科。


つまり、今度はメスを持つ医師である。


仁左衛門が薬草を煎じていた頃には、想像もできなかった世界だろう。


さて、五代目はどんな医師になるのだろうか。


その話は、次の章に譲ることにしよう。


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