第四章 バイオリンを弾く循環器内科医
父の俊一郎は、循環器内科医だった。
心臓を専門とする医師である。
心臓という臓器は、実に律儀だ。
生まれる前から動き始め、眠っている間も、食事をしている間も、休むことなく働き続ける。
一日におよそ十万回。
九十二年間となれば、単純計算で三十億回を超える。
もっとも、そんな計算を父に聞かせたところで、
「まだまだ動くぞ」
と言うに決まっている。
父の口癖は、「百まで生きる」である。
九十二歳になった現在も、元気そのものだ。
医師として多くの高齢者を診てきた私から見ても、なかなか大したものである。
ただし、父が若い頃から健康一筋だったかというと、必ずしもそうではない。
何しろ、医学以外に興味のあることが多すぎた。
バイオリン、クラシック音楽、美術、哲学、宗教。
それらを全部楽しもうとすれば、いくら時間があっても足りない。
私は時々思う。
父は、本当に医学部で勉強していたのだろうか。
父が岡山大学の医学部へ進んだのは、まだ戦争の記憶が色濃く残る時代だった。
街には復興の槌音が響き、大学の設備も十分とはいえなかった。
医学書は高価で、学生たちは先輩から譲り受けた本を大切に使っていた。
そんななか、父は医学の勉強に励んだ。
解剖学、生理学、病理学。
覚えなければならないことは山ほどあった。
ところが、父の関心は、教科書の外へも広がっていった。
ある日、友人の下宿を訪ねた父は、部屋の隅に置かれたバイオリンを見つけた。
「君、バイオリンを弾くのか」
「ああ。下手だけどね」
「ちょっと触らせてくれないか」
父は楽器を手に取った。
木の胴体は思ったより軽く、弓を弦に当てると、かすれた音が出た。
もう一度、弓を動かす。
今度は、少しだけ音らしい音がした。
「面白いな」
父は、しばらく楽器を眺めていた。
それが、バイオリンとの出会いだった。
……ということにしておこう。
実際に父がいつ、どのようにバイオリンを始めたのか、私は詳しく知らない。
ただ、父が若い頃にバイオリンを弾いていたことは確かである。
家には古い楽譜が残っていたし、楽器を手にした父の写真もあった。
写真の父は、なかなか真面目な顔をしている。
もっとも、バイオリンという楽器は、真面目な顔をして弾いたからといって、良い音が出るわけではない。
私も少しだけ触ったことがあるが、まともな音を出すことさえ難しかった。
父がどの程度の腕前だったのか。
残念ながら、私は知らない。
ただ、本人はずいぶん楽しんでいたようである。
父の好きな作曲家の一人が、ワーグナーだった。
リヒャルト・ワーグナー。
ドイツの作曲家である。
壮大な管弦楽と長大な楽劇で知られる。
私は若い頃、父の聴く音楽があまり好きではなかった。
何しろ長い。
しかも、重々しい。
休日の午後、居間からワーグナーが聞こえてくる。
最初は静かな音楽だったものが、次第に大きくなり、金管楽器が鳴り響く。
こちらは、バイクで出かけたい。
ところが、父は椅子に座ったまま、じっと音楽を聴いている。
「これ、いつ終わるの?」
私が尋ねる。
「まだ始まったばかりだ」
「もう十分聴いたと思うけど」
「これからがいいところなんだ」
どうやら、音楽に対する時間の感覚が違うらしい。
私は、三分ほどで終わる曲の方が好きだった。
父は、何時間でも聴いていられる。
今思えば、実に気の長い趣味である。
ただし、父自身は決して気の長い人間ではなかった。
興味のない話には、驚くほど早く結論を求める。
ところが、ワーグナーとなると、何時間でも付き合える。
人間というものは、なかなか都合よくできている。
父は、美術にも関心が深かった。
東京へ出かけると、時間を見つけて美術館へ足を運んだという。
医学関係の用事で上京したはずなのに、帰ってくると、展覧会の図録が増えている。
そんなこともあった。
私は子供の頃、美術館という場所が苦手だった。
静かに歩かなければならない。
走ってはいけない。
大きな声で話してもいけない。
しかも、壁に掛かっている絵を、いつまでも眺めていなければならない。
何が面白いのか、さっぱりわからなかった。
「この絵のどこがいいの?」
父に尋ねたことがある。
父は、しばらく絵を眺めた。
「見ていると、いろいろ考えられるだろう」
「何を?」
「それは、自分で考えるんだ」
実に不親切な説明である。
医者が患者にこんな説明をしたら、苦情が来るだろう。
しかし、父にとって、美術とは誰かに教わって理解するものではなく、自分で感じ取るものだったのかもしれない。
今では、私も美術館へ足を運ぶ。
絵の前で立ち止まり、何となく眺めているうちに、時間が過ぎていく。
若い頃の私が見たら、きっと呆れるだろう。
「そんなところで、何をしているの?」
私は、たぶん父と同じことを答える。
「いろいろ考えているんだ」
どうやら、あまり進歩していないらしい。
父の関心は、哲学や宗教にも及んだ。
人間はなぜ生きるのか。
死とは何か。
幸福とは何か。
医学部の学生が考えるには、少々大きすぎる問題である。
しかし、医師という職業は、否応なく生と死に向き合う。
病気を治すことはできても、すべての人を救うことはできない。
どれほど医学が進歩しても、人間がいつか死ぬという事実は変わらない。
父が哲学や宗教に関心を持ったのも、医師としての仕事と無関係ではなかったのだろう。
ただし、父の場合、そんな立派な理由だけではなかったような気がする。
単に、知りたかったのだ。
わからないことがあると、調べずにはいられない。
一冊の本を読めば、そこに登場した別の本が気になる。
その本を読めば、また新しい疑問が生まれる。
こうして本棚は、際限なく増えていく。
私は子供の頃、父の本棚を見て不思議に思った。
医学書の隣に哲学書があり、その隣に宗教書がある。
さらに美術書や楽譜まで並んでいる。
まるで、図書館の分類を間違えたような本棚だった。
しかし、父にとっては、それらがすべてつながっていたのかもしれない。
人間の身体を知ること。
人間の心を知ること。
そして、人間が何のために生きるのかを考えること。
父のなかでは、医学も音楽も哲学も、同じ一つの世界に属していたのだろう。
そんな父が、循環器内科を専門に選んだ。
心臓の病気を診る仕事である。
当時の循環器診療は、現在とはずいぶん違っていた。
心電図は重要な検査だったが、今のような心エコーや冠動脈CTが日常的に使える時代ではない。
心筋梗塞に対するカテーテル治療も、まだ一般的ではなかった。
医師は、患者の訴えを聞き、診察し、心電図や胸部X線写真などを頼りに診断を進めていた。
聴診器で心臓の音を聞くことは、今以上に大きな意味を持っていた。
父は、その聴診を大切にしていた。
ある日、若い医師が患者の心電図を持って相談に来た。
「先生、この波形はどう考えたらいいでしょうか」
父は心電図を眺めた。
そして尋ねた。
「患者さんは、どういう症状なんだ」
「動悸です」
「それで、心臓の音は?」
若い医師は、少し困った顔をした。
「まだ、詳しくは……」
父は心電図を机に置いた。
「まず、患者さんを診てきなさい」
それだけだった。
これは、私が実際に見た場面ではない。
しかし、父なら言いそうなことである。
検査は大切だ。
だが、検査結果だけを見ていても、患者のすべてがわかるわけではない。
この考え方は、私自身の診療にも通じている。
私は呼吸器内科医である。
胸部CTに美しい画像が映し出される時代になっても、患者の呼吸音を聞くことは欠かせない。
画像には映らないことが、聴診器から伝わってくる場合もある。
もっとも、私の場合は、父ほど聴診に自信があるわけではない。
CTがあれば、つい頼りたくなる。
便利な時代に医者になった者の、弱いところである。
また、いつだったか、こんなこともいっていた。父は当時赤十字病院に勤務し、県内でもはじめて人工透析を導入したらしい。
「あの頃透析してた人何人も首をつってなあ.......」
何のことかわからなかった。言葉足らずの父らしい。
透析始めたは良いけど、その当時医療保健収載されておらず。全額自費でであったらしい。
自分が生きていると、他の家族の生活を犠牲にしてしまう。なので首をくくるしかなかった、ということらしい。
そんな時に、父は陳情書を国へ送ったという。血はつながっていないが、医師として祖父仁左衛門に通じるところがあったというのだ。実に不思議な感じがする。
父は、医師として働きながらも、趣味を手放さなかった。
休日には音楽を聴き、本を読み、ときには美術館へ出かける。
そんな父を見て、私は子供の頃から不思議に思っていた。
医者というのは、もっと医学のことばかり考えているものではないのだろうか。
ところが、父は違った。
心臓の話をしていたかと思えば、突然ワーグナーの話になる。
美術の話をしていたかと思えば、宗教の話になる。
話題があちこちへ飛ぶので、ついていく方は大変だった。
ある日、父が私に尋ねた。
「お前、最近は何に興味があるんだ」
「バイク」
「ほう」
「それから、カメラ」
「そうか」
父は、少し考えた。
「音楽は?」
「別に」
「美術は?」
「興味ない」
「哲学は?」
「もっと興味ない」
父は、しばらく黙っていた。
そして、ひと言。
「そうか」
それだけだった。
私は、少し拍子抜けした。
もっと勉強しろとか、音楽を聴けとか、言われると思っていたのである。
しかし、父は何も言わなかった。
自分が好きなことを、息子にも好きになれとは考えなかったのだろう。
あるいは、単に諦めていたのかもしれない。
そのあたりは、今となってもよくわからない。
父は、若い頃に病気をして、伊豆の別荘で療養したことがあったという。
どんな病気だったのか、詳しいことは聞いていない。
ただ、医師である父自身も、患者として過ごした時間があったのである。
医者は、病気を診ることには慣れている。
しかし、自分が病気になることには、案外と慣れていない。
検査結果が気になる。
症状の意味を考える。
悪い可能性まで、つい想像してしまう。
医学の知識があるからといって、安心できるとは限らない。
むしろ、余計なことまで考えてしまう場合がある。
父も、そんな経験をしたのだろうか。
伊豆の別荘では、静かな時間が流れていたという。
窓の外には木々が広がり、遠くに海が見えたかもしれない。
父は、本を読み、音楽を聴きながら療養していた。
時には、バイオリンを手に取ったこともあっただろう。
病気で休んでいるというのに、退屈する暇がない。
実に父らしい。
もっとも、療養中にバイオリンを弾いていたかどうかは、私の想像である。
ただ、どんな状況に置かれても、自分の興味を失わないというのは、父の大きな特徴だった。
その性格が、九十二歳になった現在まで続いている。
父は、若い頃から感情を表に出すのが得意ではなかった。
これは、幼い頃に里子として彩音のもとへ迎えられた経験と、無関係ではなかったのかもしれない。
実の親元を離れた少年は、甘えることを少しずつ忘れていった。
寂しいときには、本を読む。
困ったことがあれば、自分で調べる。
悲しいことがあっても、人前では泣かない。
そうして身につけた習慣は、大人になっても簡単には変わらない。
父は、他人に頼ることが苦手だった。
その一方で、自分の力で何かを成し遂げることには、強い喜びを感じていたように思う。
医学を学ぶことも、バイオリンを練習することも、哲学書を読むことも、父にとっては同じだったのだろう。
わからないことを、わかるようにする。
できないことを、できるようにする。
その積み重ねが、父の人生を豊かにしていった。
ただし、そんな父にも、どうにも自分の力だけでは解決できない問題があった。
結婚である。
医学書を何冊読んでも、結婚相手が見つかるわけではない。
バイオリンを上手に弾けたからといって、必ずしも女性に好かれるとは限らない。
哲学を学べば学ぶほど、かえって話が難しくなることもある。
少なくとも、父は女性を口説くのが得意な人間には見えなかった。
ところが、人生というものは、なかなか面白い。
そんな父の前に、ある日、一人の女性が現れた。
香織という名前の看護師だった。
十人きょうだいの三女。
スポーツが得意で、明るく、細かいことにはあまりこだわらない。
父とは、まるで正反対の性格だった。
しかも、彼女は手術室で働いていた。
循環器内科医の父とは、職場で顔を合わせる機会もあったのだろう。
どちらが先に声をかけたのか。
誰が二人を紹介したのか。
残念ながら、私は詳しく知らない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
この二人が出会わなければ、私は生まれていなかった。
そして、もうひとつ。
あの無口で理屈っぽい父が、どうやって母の心を射止めたのか。
これは、今でも私にとって、なかなか興味深い謎なのである。




