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パトローネはタイムカプセル 家族の肖像  作者: しゅんたろう as Augai Moritz


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11/13

第十一章  パトローネはタイムカプセル


古いカメラには、独特の匂いがある。


革ケースの匂い。


金属と機械油の匂い。


そして、長い年月を閉じ込めたような、少し埃っぽい匂い。


書斎の机に置いた黒いケースを開けたとき、最初に感じたのは、その懐かしい匂いだった。


中に入っていたのは、Nikon F。


父の俊一郎が若い頃に使っていたカメラである。


ずっしりと重い。


手に取ると、金属の冷たい感触が掌に伝わってきた。


今のデジタルカメラとは、まるで違う。


シャッターダイヤル。


巻き上げレバー。


機械式のセルフタイマー。


一つひとつの部品に、何かを操作しているという確かな手応えがある。


私は、しばらくカメラを眺めていた。


子供の頃、父がこのカメラを持っていた姿を覚えている。


旅行に出かけるとき、父はカメラを肩から提げていた。


母が、


「あなた、早くして」


と声をかける。


父は、


「ちょっと待て」


と言って、レンズを確かめている。


そんな光景が、ふと頭に浮かんだ。


私は、思わず笑ってしまった。


父は昔から、何をするにも準備が長かった。



シャッターボタンを押してみた。


動かない。


巻き上げレバーも、途中で引っかかったままだった。


どうやら、長い間使われなかったために、機構が固着しているらしい。


私は、少し嬉しくなった。


壊れた機械を見ると、直してみたくなる。


これは、昔からの癖である。


父が哲学書を読みながら物事の本質を考えていた頃、私は時計やカメラの仕組みに夢中になっていた。


父とは似ていないと言われ続けた理由の一つだろう。


しかし、今になって考えると、私も父も、結局は同じことをしていたのかもしれない。


目の前にあるものが、どうしてそうなっているのか。


その仕組みを知りたい。


ただ、父は本を開き、私は裏蓋を開けた。


それだけの違いだったのだろう。



机に布を敷き、カメラを置いた。


まず、外観を確かめる。


レンズには多少の埃があるものの、大きな傷はない。


ファインダーを覗くと、少し曇った景色が見えた。


昔、父がこのファインダーを通して見ていた世界。


私は、しばらくその小さな四角い窓を覗いていた。


それから、慎重に修理を始めた。


機械式カメラは、複雑でありながら、どこか素直なところがある。


歯車が動き、ばねが力を蓄え、レバーが連動する。


電池がなくても、シャッターは切れる。


もちろん、だからといって簡単に直せるわけではない。


小さな部品を傷つければ、かえって状態を悪くする。


私は無理をせず、動作を確かめながら、少しずつ固着した部分を無水アルコールで清掃し、シリコンオイルを塗り整えていった。


何度か試すうちに、巻き上げレバーが動いた。


そして、シャッターが切れた。


カシャッ。


乾いた、力強い音だった。


私は、思わず声を上げた。


「おお、動いた!」


誰もいない書斎で、一人喜んでいる。


知恵が見たら、また呆れるだろう。


しかし、機械好きにとって、長く眠っていたものが再び動き始める瞬間ほど嬉しいものはない。


私は、もう一度シャッターを切ろうとして、ふと手を止めた。


フィルムカウンターの数字が、途中を示していた。


まさか。


私は、カメラを見つめた。



古いカメラのなかに、フィルムが残っていることがある。


何十年も前に撮影したまま、現像されずに忘れられたフィルム。


しかし、まさか父のカメラに、そんなものが入っているとは思わなかった。


私は、裏蓋を開けずに、巻き戻し機構を慎重に確かめた。


わずかな抵抗があった。


フィルムが入っている。


しかも、まだ巻き戻されていない。


私は、急に緊張した。


いったい、いつのフィルムなのだろう。


何が写っているのだろう。


父が最後にこのカメラを使ったのは、いつだったのか。


私には、まったくわからなかった。


長い年月が経っている。


フィルムは劣化しているだろう。


感光しているかもしれない。


現像しても、何も写っていない可能性も高い。


それでも、私は取り出してみたくなった。


フィルムを安全に巻き戻せるか慎重に確認した巻き上げた。

だが、巻き取りレバーをひっぱりあげても、蓋がうまくあけられない。フィルムが完全に巻き取れたかどうかも不安なため、仕方なく遮光したダークバッグの中で力技でフィルムを取り出した。


指先に、小さな金属の円筒が触れた。


パトローネ。


三十五ミリフィルムを収める、あの小さな金属製の容器である。


私は、暗闇のなかで、それをしばらく握っていた。


こんな小さなものの中に、何十年も前の時間が眠っている。


そう思うと、何だか不思議だった。



フィルムを現像するのは、久しぶりだった。


若い頃には、自分で現像したこともある。


暗室で赤いランプを灯し、印画紙に像が浮かび上がるのを待つ。


あの時間が好きだった。


ただし、今回はネガフィルムである。


しかも、長期間保存されていた古いものだ。


本来なら、フィルムの種類や保存状態を確かめ、専門の現像所に相談した方が安全だったのかもしれない。


しかし、私はどうしても、自分の手で確かめたかった。


古いフィルムの状態を慎重に確認し、現像液を準備した。


長い年月の影響を考えれば、失敗しても不思議ではない。


私は、少し祈るような気持ちで現像を進めた。


そして、フィルムを取り出した。


最初は、何も見えなかった。


全体に濃いかぶりがあり、像はひどく薄かった。


やはり、駄目だったか。


そう思いかけたとき、フィルムの一部に、何かが見えた。


四角い形。


人の姿。


車のようなもの。


私は、思わず顔を近づけた。


写っている。


何かが、確かに写っていたのだ。




フィルムを十分に乾燥させ、デジタルスキャナーで読み取った。


画像は、決して鮮明ではなかった。


色も、階調も、長い年月のなかで失われていた。


しかし、画像処理をしながら少しずつ明暗を整えていくと、見覚えのあるものが浮かび上がってきた。


まず、車。


トヨタ・コロナ1700DX。


父が乗っていた車だった。


私は、思わず声を上げた。


「ああ、これだ」


懐かしい。


子供の頃、何度も乗った車である。


その車の横に、二人の人物が立っていた。


私は、画面を拡大した。


そして、息をのんだ。


父と母だった。



若い。


二人とも、驚くほど若かった。


いや、当然である。


写真が撮られたのは、何十年も前なのだから。


しかし、私の記憶のなかの父と母は、いつも親だった。


父は、難しい本を読み、ワーグナーを聴いていた。


母は、明るく笑い、家族の世話を焼いていた。


ところが、写真のなかにいたのは、まるで違う二人だった。


父は、母の肩に腕を回していた。


そして、笑っていた。


あの父が。


いつも真面目な顔をして、感情をあまり表に出さなかった父が、実に楽しそうに笑っている。


私は、思わず笑ってしまった。


「父さん、こんな顔もするんだ」


もちろん、父だって笑う。


今でも笑う。


しかし、こんなふうに、少し照れくさそうに、それでいて嬉しさを隠しきれないような顔をした父を、私はほとんど知らなかった。


その隣で、母が笑っていた。


若く、美しかった。


私は、しばらく画面を見つめていた。


背景には、山があった。


駐車場らしい場所。


そして、温泉地の看板が見えた。


白骨温泉。


長野県の山あいにある温泉である。


そうか。


あの旅行だ。


以前、父と母が二人で出かけたと聞いたことがあった。


私が大学へ進み、家を離れた頃だったのだろう。


子育てから少し手が離れた父と母が、二人だけで出かけた旅行。


そのときの写真だった。


私は、改めて二人の姿を眺めた。


父の腕が、母の肩に回されている。


母は、自然な笑顔でカメラを見ている。


二人とも、実に幸せそうだった。


しかし、不思議なことがあった。


いったい、誰が撮ったのだろう。


二人きりの旅行だったはずである。


私は、しばらく考えた。


そして、気づいた。


セルフタイマーだ。


父は、カメラを三脚に据え、セルフタイマーをセットしたのだろう。


シャッターボタンを押し、急いで母の隣へ戻る。


そして、母の肩に腕を回す。


カメラの中で、機械式タイマーが小さな音を立てながら動いている。


ジジジジ……。


やがて、シャッターが切れる。


カシャッ。


そんな光景が、目に浮かんだ。


父は、どんな顔で母の隣へ走っていったのだろう。


母は、そんな父を見て笑ったのだろうか。


もしかすると、


「あなた、早くしないとシャッターが切れちゃうわよ」


などと言ったかもしれない。


もちろん、すべて私の想像である。


しかし、写真のなかの二人を見ていると、そんな会話が本当にあったような気がしてくる。



私は、長い間、その写真を見つめていた。


そこには、私の知らない父と母がいた。


医師でもない。


看護師でもない。


父親でもない。


母親でもない。


ただ、一人の男と、一人の女だった。


恋人同士のように寄り添い、笑っている。


二人には、二人だけの時間があったのだ。


そんな当たり前のことに、私は初めて気づいたような気がした。


子供というものは、親の人生を、自分が生まれたところから考えてしまう。


父は、最初から父だった。


母は、最初から母だった。


しかし、そんなはずはない。


父にも青春があり、母にも青春があった。


二人が出会い、恋をし、結婚し、私が生まれた。


そして、子供が家を離れた後にも、二人の人生は続いていた。


私は、その時間をほとんど知らなかった。



画面のなかの母は、私の今の年齢より二回りは若く見えた。


そう思うと、何だか奇妙な気持ちになった。


私は、いつの間にか写真のなかの父と母より、年を取ってしまったのである。


母は、もういない。


父は、九十二歳になった。


そして私は、白髪の増えた呼吸器内科医になっている。


それなのに、写真のなかでは、二人とも若いままだった。


父は笑っている。


母も笑っている。


あの日の白骨温泉の駐車場で、時間が止まっている。


私は、ふと気づいた。


写真とは、こういうものなのだ。


撮影した瞬間、そこにあった時間を閉じ込める。


撮った人が忘れても、写った人が年を取っても、写真のなかの時間は変わらない。


そして、時には、その時間が何十年も後になって、突然よみがえる。



パトローネ。


あの小さな金属の円筒の中に、父と母の時間が眠っていた。


父は、撮影したフィルムを現像しないまま壊れたカメラをしまい込んでしまったのだろう。


その後、何十年もの月日が流れた。


カメラは埃をかぶり、納屋の奥で忘れられていた。


しかし、フィルムは残っていた。


光を受けた銀塩の結晶が、かすかな像を抱えたまま、長い年月を耐えていたのである。


私は、手元のパトローネを見た。


何の変哲もない、小さな金属の容器だった。


しかし、今の私には、それがまるでタイムカプセルのように思えた。


父が閉じ込めた時間を、息子である私が開けた。


そして、そこから、若い父と母が現れたのである。



私は、もう一度、写真のなかの母を見た。


母は、笑っていた。


あの、見慣れた笑顔だった。


少し首を傾け、目を細め、嬉しそうに笑っている。


私は、その顔を見ながら、胸の奥が熱くなるのを感じた。


母が亡くなった日のことを思い出した。


コロナ禍の最中だった。


病室へ入ることはできなかった。


最期の言葉を交わすこともできなかった。


電話で、


「亡くなられました」


と告げられただけだった。


私は、母に別れを言えなかった。


ありがとうとも言えなかった。


何十年も育ててもらい、何度も助けてもらい、いつも心配してもらっていたのに。


最後に、何も言えなかった。


そのことが、ずっと心に残っていた。


しかし、今、母が目の前にいた。


もちろん、写真である。


何十年も前に撮られた、一枚の古い写真にすぎない。


それでも、私には、母が帰ってきたように思えた。



「母さん」


私は、小さく声に出した。


返事はない。


当然である。


写真なのだから。


しかし、母は笑っていた。


私は、画面に向かって話し始めた。


「俊介が、お医者さんになったよ」


「今は研修医をしている。外科医になりたいんだって」


「五代目だよ。すごいだろう」


母は、笑っている。


「子供たちも、みんな元気だよ」


「孫も増えたよ。みんな可愛いんだ」


「知恵とも仲良くやってる」


私は、少し笑った。


「父さんは、九十二歳になったよ」


「相変わらず本を読んでる」


「百まで生きるって言ってる」


母なら、きっと笑っただろう。


「まあ、あなたらしいわね」


そんな声が聞こえるような気がした。


私は、しばらく黙っていた。


そして、最後に言った。


「母さん...............ありがとう」


声が、少し震えた。


「いろいろ、ありがとう」


それ以上は、うまく言葉にならなかった。



私は、画面を拡大した。


母の顔が、少し大きくなった。


古いフィルムだから、粒子が粗い。


輪郭も、少しぼやけている。


しかし、その笑顔だけは、はっきりわかった。


私は、長い間、その顔を見つめていた。


そして、ふと、不思議なことを思った。


母は、あの日、何を考えていたのだろう。


白骨温泉の駐車場。


父が三脚を立て、セルフタイマーをセットする。


母は、車の横で待っている。


父が急いで戻ってきて、肩に腕を回す。


母は笑う。


シャッターが切れる。


その瞬間、母は何を思っていたのだろう。


まさか、何十年も後に、息子がその写真を見つけるなどとは、想像もしなかっただろう。


その息子が、すっかり年を取り、孫までできたことを報告するなどとは。


そして、母に会いたくて、画面の前で涙をこらえていることなどとは。


写真のなかの父も、笑っていた。


私は、父の顔を見つめた。


九十二歳の父とは、まるで違う。


若く、少し照れくさそうで、幸せそうだった。


私は、ふと思った。


今度、父にこの写真を見せてみよう。


どんな反応をするだろう。


「おお、懐かしいな」


と言うだろうか。


それとも、


「こんな写真があったのか」


と驚くだろうか。


もしかすると、


「そんな昔のこと、覚えとらん」


と言うかもしれない。


しかし、私は少し期待している。


父が、この写真を見て、あの日のことを思い出してくれるのではないかと。


白骨温泉へ向かった道。


コロナのエンジン音。


山の空気。


温泉の匂い。


そして、隣で笑っていた母のこと。


父の記憶のなかには、まだ私の知らない母がいる。


その話を、今度こそ聞いてみたい。



私は、写真を印刷した。


少し大きめの紙に、丁寧に。


古いフィルムの傷や粒子は、完全には消さなかった。


それもまた、時間の痕跡だと思ったからである。


写真のなかには、トヨタ・コロナ1700DXが停まっている。


その横に、若い父と母が立っている。


二人とも、笑っている。


私は、その写真を額に入れ、書斎の机に置いた。


父のNikon Fの隣だった。


何十年も前のカメラと、何十年も前の写真。


そして、それを眺める、すっかり年を取った息子。


何とも不思議な取り合わせである。



窓の外は、もう夕方だった。


西日が、書斎の机を照らしていた。


私は、椅子に座り、もう一度写真を眺めた。


若い父と母が、並んで笑っている。


二人の人生は、その後も続いた。


私は医師になった。


知恵と結婚した。


三人の子供が生まれた。


孫が生まれた。


俊介が医師になった。


そして、母は亡くなった。


父は、九十二歳になった。


長い年月が流れた。


しかし、写真のなかの二人には、まだ何も起きていない。


これから先の人生を、何も知らないまま笑っている。


私は、そのことが、少し羨ましかった。


そして、少し切なかった。


私は、ふと、曾祖父の仁左衛門のことを思い出した。


明治の時代に、漢方医として人々を診ていた人。


その娘の彩音は、東京で医学を学び、小児科医になった。


彩音は、岡山から来た少年を育てた。


その少年が、父の俊一郎だった。


父は医師になり、母と出会った。


そして、私が生まれた。


私も医師になり、知恵と結婚した。


子供たちが生まれ、俊介が五代目の医師になった。


こうして振り返ると、家族の歴史というものは、実に不思議である。


血のつながりだけでは説明できない。


偶然の出会いがあり、別れがあり、誰かの決断がある。


彩音が父を迎えなければ、今の私はいない。


父が母と出会わなければ、私も生まれていない。


私が知恵と出会わなければ、子供たちも、孫たちもいない。


たった一つの出会いが違っていれば、すべてが変わっていた。


それなのに、こうして家族は続いている。


そして、今、私の机の上には、若い父と母の写真がある。


何十年も前に、父がシャッターを切った一枚である。



写真とは、何だろう。


若い頃の私は、カメラという機械が好きだった。


シャッターの構造。


レンズの仕組み。


フィルムの感度。


露出と絞り。


そんなことばかり考えていた。


しかし、年を取った今、少し違うことを考えるようになった。


写真は、機械が作るものではない。


人が、残したいと思った時間を記録するものなのだ。


父は、あの日、母と一緒にいた時間を残したかったのだろう。


だから、三脚を立て、セルフタイマーをセットした。


そして、母の隣へ走って戻った。


二人で笑った。


シャッターが切れた。


それだけのことである。


しかし、その何でもない一瞬が、何十年も後になって、息子の心を揺さぶることになった。


父は、そんなことを考えていなかっただろう。


ただ、母と一緒に写真を撮りたかっただけなのだ。


私は、そう思う。


そして、それで十分だと思う。



夕暮れの光が、少しずつ弱くなっていった。


私は、写真のなかの母を見つめた。


母は、相変わらず笑っていた。


あの日、白骨温泉の駐車場で、父の隣に立っていた若い母。


私の知らない時間を生きていた母。


そして、私を育て、見守り、最後まで心配してくれた母。


私は、ようやく言えたような気がした。


「ありがとう」


そして、もう一つ。


ずっと言いたかった言葉が、自然に口からこぼれた。


「……おかえり」


そのときだった。


写真のなかの母が、ほんの少し目を細めたように見えた。


いや、違う。


最初から、そういう笑顔だったのだろう。


古いフィルムの粒子が、夕暮れの光のなかで揺らいだだけかもしれない。


私は、目をこすった。


もう一度、写真を見た。


母は、笑っていた。


いつもの、あの笑顔だった。


そして、確かに聞こえたような気がした。


懐かしい、明るい声で。


「――ただいま」



私は、しばらく動けなかった。


書斎には、誰もいない。


窓の外では、夕暮れの風が木々を揺らしている。


机の上には、古いNikon と、一枚の写真。


それだけだった。


私は、そっと写真の額に触れた。


冷たいガラスの向こうで、父と母が笑っている。


何十年も前の、ある晴れた日のままに。


パトローネは、小さなタイムカプセルだった。


そこには、父と母の青春が眠っていた。


そして、長い年月を経て、その蓋を開けた息子に、思いがけない贈り物を届けてくれた。


もう一度、母に会える時間を。


もう一度、ありがとうと言える時間を。


私は、机の上のカメラを手に取った。


巻き上げレバーを動かす。


シャッターを切る。


カシャッ。


懐かしい音が、静かな書斎に響いた。


父が聞いていた音。


母が笑っていた瞬間に響いた音。


そして、今、私が聞いている音。


時代が変わっても、その音は同じだった。


私は、カメラをそっと机に戻した。


写真のなかの母は、まだ笑っていた。


その隣で、若い父も笑っていた。


私は、もう一度、小さくつぶやいた。


「おかえり、母さん」


今度は、返事を待たなかった。


もう、十分だった。


(完)



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