暴力団事務所
「共済さんですね」
案内役の男が、低く鋭い声で確認するように言った。
「はい、そうです」
鈴木が落ち着いた声で応じる。
「どうぞ、お入りください」
そんな短い事務的なやりとりを経て、二人は重厚な玄関ルームへと足を踏み入れた。
智が通りがかりにちらりと盗み見たその玄関扉は、予想通り、おそらく頑丈な鋼鉄製のもので、素人目にもそれなりに極厚な仕上がりであることが見て取れた。
外側の喧騒を完全に遮断した玄関を開けると、小上がりを超えた真っ正面、嫌でも目に入る位置に、太い丸太を贅沢に輪切りにした、見事な年輪が刻まれた木製の置物がドスンと鎮座している。
このまままっすぐ奥の事務室に行ける構造にはなっておらず、室内へ進むには、もう一つ横に位置する内扉を開けなければならない設計になっていた。
(……これは、ガチっぽいな)
智は心の中で密かに舌を巻いた。
あの頑丈極まりない玄関扉は、明らかに外からの銃撃を想定して作られた防弾仕様だ。それも並の銃弾であれば、傷一つつかずに余裕で止められる代物だろう。
先ほど扉が開いた際に、全くきしみ音が無かったということは、それだけ隙間や遊びが無く、精密かつ強固に組まれている証拠だ。最悪の事態、つまり警察の突入車両や、敵対組織のダンプカーが強引に突っ込んでくることすら想定し、その凄まじい衝撃に耐えられる特殊な構造に違いない。
さらに、万が一にでも玄関扉が開いた一瞬の隙を突かれ、外から弾丸を撃ち込まれたとしても、正面に置かれたあの分厚い年輪の置物が盾となり、奥への弾道を確実に止める仕組みになっているのだ。
わずか一坪ほどの狭い玄関空間ではあるが、これは中世の古城などにみられる、侵入者を一網打尽にするための「縄張り(曲輪)」と同じ防衛思想の間取りであった。
つまり、この事務所は最初から、激しい抗争に巻き込まれることを前提として、緻密な設計とレイアウトがなされているのだ。
では、なぜこれほどまでに「襲撃される」ことを警戒し、想定しているのか?
答えは一つしかない。自分たちがいつでも敵を「襲撃する」だけの、並々ならぬ気概と狂気を日頃から持ち合わせているからだ。
ここは、俗に言う組織の中でも筋金入りの「武闘派」と呼ばれる組の事務所だった。
智と鈴木は、そんな緊迫感に満ちた空間でもビジネスライクな笑顔を絶やすことなく、案内されるままに通された事務所内を、それとなく観察するように見渡した。
室内には八つの事務机が整然と並んでおり、それぞれのデスクの上には、専用のPCモニターが設置されている。
ほぼ正方形に近い形状をした部屋の壁一面には、監視カメラの映像をリアルタイムで映し出すモニターが十個以上も隙間なく埋め込まれていた。これなら、ビルの周囲の死角は一網打尽に監視できるだろう。
そしてもう一面は、外の通りに面した大きな一面の窓ガラスになっていた。
マスコミ報道では、この事務所は銃撃を受けたはずなのだが、驚いたことにガラスは一枚も割れていない。
近くで見ればよくわかる。おそらくこれも特注の防弾ガラスで、それも合わせガラスを重ねた二重構造になっている。
残りの一面には、いま智たちが通ってきたばかりの頑丈なドアがあり、その正面には、さらに奥へと続く別のドアが配されていた。
ここから奥へ行くには、最短コースを突っ切れば一番速そうに見えるが、計算し尽くされたかのように配置された事務机の山が障害物となり、足元を邪魔するレイアウトになっている。万が一の侵入者が、奥の部屋へ容易に突入できないようにするための防衛策だ。
現在、室内には外を取り囲んでいたような制服の警察官の姿は一人もない。
そこには、直立不動でこちらを睨みつける四人のコワモテの男たち以外、普段ならいるはずの事務員らしい女性の姿も一切なかった。
一般的に「暴力団事務所」というと、知能指数の低そうなガラのお悪い男たちが大勢でたむろし、煙草をふかしているようなステレオタイプのイメージを持たれがちだ。
しかし実際のところは、男たちとほぼ同数、あるいはそれ以上の数の「パートの女性従業員」が、一般企業さながらにせっせとデスクワークをこなしており、肝心の男たちは部屋の隅で手持ち無沙汰そうにスマートフォンをいじっている、というのが業界のリアルな日常光景であることがほとんどだ。
智は、部屋の奥に佇む、一際ガタイのいい恰幅のいい男に視線で問いを投げかけた。
すると男は、智の視線の意図を瞬時に察して、低い声で答えてくれた。
「サツはいません。……上でお待ちです」
当然の配慮だろう。これだけ警察官が建物を包囲している異常事態の中で、一般人のパート女性たちを働かせ、そこに組織の帳簿や多額の現金を残しておくのは自殺行為に等しい。ゆえに、今日のところは全員に休みを出しているのだろう。
男に促され、奥の扉を開くと、そこは静まり返った階段室になっていた。
薄暗い階段を一段ずつ上り、二階へと通される。
階段を上がってすぐの、最もアクセスしやすい最寄りの部屋が、臨時の応接室になっていた。
「どうぞ、こちらへ」
勧められるままに、智と鈴木は、中央に置かれた革張りのソファに深く腰を下ろした。
二人の正面には、先ほど一階で声をかけてきた恰幅のいい男と、その隣に、いかにも神経質そうな長身で痩せぎすの男が並んで座っている。
さらに、智たちの背後の空間に一人、そして部屋の出入り口であるドアの脇に一人の男が、いつでも動けるように油断なく突っ立っていた。逃げ場のない密室の中で、静かな、しかしヒリヒリとした交渉の幕が上がろうとしていた。




