ピケ張り中
「全国市民生活互助共済会」は、懲役に行った暴力団組員の家族(彼ら彼女らは、暴力団員ではなく「一般市民」です)の生活を互助するために設立された、健全な「共済会」です。
だから、その職員は銀行に口座も作れます。ローンも組めます。
だーって……ヤクザとちゃうもん!
電車に揺られて三駅。
目的の駅で降りてから、さらに数分ほど歩き、いくつかの角を曲がって二人は進む。
夕闇が迫る街並みの中で、ほどなくして角の電柱の隙間から、禍々しい赤い光の点滅が見え隠れし始めた。
くだんの道路の角を曲がると、案の定、十人ほどの制服の警察官が、まるで壁を作るかのように黒い雑居ビルの前に並んでいた。その前には、ルーフの赤色灯を激しく明滅させたパトカーが三台、横付けされている。
智と鈴木は、互いに顔を見合わせて小さくため息をついた。どちらからともなく、あきらめに似た苦笑が漏れる。このタイミングで、まさかこれほどの警察車両と鉢合わせるとは思っていなかったのだ。
ビルの玄関前に陣取る警察官たちの隙間をかき分け、中に入ろうとした、そのときだった。
「誰やぁ!」
怒号に近い声が響き、行く手を阻まれる。
「身体検査! 身体検査ぁ! 任意!」
一人の声を合図に、周囲の警察官たちが一斉に集まってきた。
警察官たちは鈴木の身体に手を伸ばすと、触るというよりは殴るような荒々しい勢いで、衣服の上からバスバスと叩くようにして不審物を探り始める。緊迫した空気が現場に満ちていた。
別の警察官が、智に対しても同様の横暴な真似をしようと、その細い腕を乱暴に摑んだ。その瞬間、智の目つきが鋭く変わる。智は低く、しかし驚くほど強い芯のある声で凄んだ。
「声、だすで?」
過剰な威嚇に対する、明確な警告だった。
「…………」
数秒の重苦しい沈黙が流れた。腕を摑んでいた警察官の手が止まる。
「……任意です。ご協力お願いしますっ!」
間を置いて、その場を仕切っていた年かさの警察官が、若い部下の非礼を隠すかのように強く言い返してきた。しかし、その表情には明らかな焦りの色が浮かんでいる。
「共済です」
鈴木が懐から身分を証明するものを取り出し、静かに答えた。
「キョウサイ……?」
若い警察官たちは怪訝そうな顔をして、その言葉の意味がわからないようだったが、場数を踏んでいるであろう年かさの警察官は、その一言だけで瞬時にすべてを察したようだ。
途端に、その男の態度が軟化する。
「お疲れ様です」
年かさの警察官は声音を落とし、探るような目で鈴木を見つめた。
「せっかくですから、お互いの定時開けに一献いかがですか?」
今度は、鈴木が思わず苦笑する番だった。
「お酒が入って守秘義務違反じゃシャレにならないんで、時期を見て……ですかね」
智は、すぐ横で繰り広げられるそのやりとりに、正直なところ見惚れていた。
相手の提案を要約するなら、こういうことだ。
『我々もそちらも、追っている件は同じはず。情報交換をしたい。勤務時間が開ければお互いにオフなのだから、酒の席の勢いという理由をつけて、オフレコで独り言を言ってもいいんじゃありませんか?』
という、警察側からの体裁の良い探り。
それに対して鈴木は、あからさまに拒絶して角を立てるでもなく、
『必要があればその折りに』
と、大人の対応で見事に躱したのだ。そのスマートな交渉術には感心せざるを得なかった。
現状の捜査状況だけで言えば、明らかに警察側が先行している。
地道な状況証拠の積み重ねや、周辺住民への徹底的な聞き込みなどにも万全だろう。
が、おそらくこのビルを出るときには、こちらが先に行っているはずだ。
智たちは、その警察の一歩先を行く決定的な確証を掴むために、わざわざここまで足を運んだのだから。
警察官たちの視線を背中に浴びながら、智が玄関横の古びたチャイムのボタンを押した。
スピーカーから、ざらついたノイズが響く。
「……ん。はい」
インターホン越しに、底冷えするようなドスの効いた低い返事が返ってきた。
智はあえて緊張を隠し、つとめて明るく、
「共済です」
とだけ短く告げた。余計な言葉は必要なかった。
智の返事が極端に短かったぶん、その後に訪れた沈黙の待ち時間は、やたらと長く感じられた。実際には、三十秒も無かっただろう。
それでも、時間の感覚が引き延ばされるような錯覚を覚える。おそらく扉の向こうの部屋では、突然の来訪者に対して激しい逡巡があり、上層部や幹部の決断を待っていたに違いない。
やがて、スピーカーの向こうのトーンが変わった。
「失礼しました。どうぞ」
重苦しい電子音が鳴り、ガチャリと音を立てて扉が開いた。手入れが行き届いているのか、きしみ音ひとつ無く、ゆっくりと扉は奥へと開いていく。
一歩足を踏み入れると、薄暗いエントランスの奥から、目の下に濃い隈を作った男たちがギロリと眼光鋭くこちらを睨みつけてきた。ただ者ではない、裏の社会に生きる者たちの威圧感だ。
もしこれが、普通の新聞の勧誘員や国営放送の受信料徴収員であれば、恐怖のあまりその場で回れ右をして逃げ出すだろう。
しかし、智と鈴木は怯むことなど微塵もなかった。二人はごく自然な笑顔さえ浮かべながら、営業回りの会社員のように、ペコリと丁寧に頭を下げて、その不穏な空間へと進んでいった。




