↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/31

定款の穴

ガチャン、と重々しいロックが解除され、扉が開く。

中にいる浅間組の面々にとっては、これ以上ない最高の「いいニュース」がもたらされた瞬間なのだろう。

だが、彼らにとっての吉報が、トラブルを穏便に処理してコストを抑えたい智たち共済会にとっても「いいニュース」であるとは限らない。むしろ、多くは壊滅的な破滅へのカウントダウンを意味していた。


オフィスの奥にある、重厚な革張りのソファが置かれた応接室へと通される。

智と鈴木が並んで腰を下ろしたその正面には、浅間組の工藤若頭がどっしりと深く腰掛け、太い腕を胸の前でがっちりと組んで待ち構えていた。

その強面の顔は、こちらの背筋が凍るほどに、不気味な笑みで歪ににやけ崩れていた。


「押さえたで!」


応接室の重厚な空気の断層を切り裂くように、工藤若頭は短く、そして上機嫌に吠えた。

満面の笑みを浮かべてはいるが、その双眸の奥には狂気じみた凄惨な光がぎらついている。ヤクザが最も生き生きとするのは、いつだって法と秩序を力ずくでねじ伏せた瞬間だ。


……「押さえた」、か。

智は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、その言葉の定義を脳内で急速に解剖し始めた。

それが襲撃犯の身元を示す「決定的な証言」なのか、それとも、引き金に指をかけた「実行犯の身柄そのもの」なのかは、現時点ではまだ判然としない。だが、少なくとも工藤のこの余裕に満ちた態度から察するに、ターゲットはすでに彼らの手の内にある。そして、何より重要なのは「まだ」殺してはいない、ということだ。


もし後者――つまり実行犯の身柄を確保しており、このまま彼らの手によって「始末」されるような事態になれば、刑法の容疑は文句なしの組織的殺人罪。首謀者や実行犯として起訴される浅間組の組員たちには、最低でも二十年、最悪の場合は無期懲役の重い判決が下ることになる。


(……待てよ。法定刑の上限は『死刑』じゃないのかって?)


世間一般の人間ならそう考えるだろう。だが、実のところ「死刑判決」が出るような事態は、うちら共済会にとっては、ある意味で究極の『美味しい案件』、いわばボーナスステージだったりするのだ。


もし裁判の結果、浅間組の構成員に死刑が確定した場合――実は「死刑」という刑罰は「懲役」ではないため、共済会の規約上、遺族や組織に対する共済金の支払い義務が一切発生しない。


世間ではあまり知られていないが、死刑確定囚が送られるのは刑務所ではなく、各地の「拘置所」だ。そこで刑が執行されるその日まで、厳重な監視下に置かれる。彼らは法的には「受刑者」ではなく、あくまで執行を待つ「既決囚」という扱いになるため、刑務所のような強制的な労役(刑務作業)などもすべて免除される。

巷でたまに出版される死刑囚の「手記」や「告白録」の類は、彼らが「社会に対して本当に反省している様子をアピールする」ためのものであると同時に、四畳半の独房で一日中ただぼおぅっと過ごすことしか許されない、死刑囚特有の「極限の暇つぶし」という側面が極めて大きい。なかには、あまりの退屈と精神的なプレッシャーから脳が耐えきれなくなり、暇を持て余した結果、みずから願い出て志願留置として軽作業(軽微な労務)をさせてくれと房内で頭を下げる死刑囚も少なくないほどだ。


つまり、判決の重さが「無期懲役」から「死刑」へと一歩進むだけで、共済会にとっては「勝ち確定のイージーモード」に早変わりする。

共済会が家族に手当を支給する要件は、あくまで『懲役の執行期間中、およびその服役に伴う家族の生活困窮』に限定されている。しかし「死刑」は命を絶つ刑罰であって、労役を伴う懲役ではない。

すなわち、最高裁で死刑判決が確定した瞬間に、共済会側の『免責事由』が見事に成立し、うちらは一円たりとも家族に金を払わなくてよくなるのだ。


「国が身柄を永久に引き取ってくれて、その後の飯代から管理費まで、全部タダで国費で賄ってくれる。ウチの組織からしたら、これ以上ない最高のコストカットやな」

かつて、タバコの煙を吐き出しながらそう言ってケラケラと笑っていた鈴木の顔が脳裏をよぎる。


だが、そんな組織にとって都合の良いパラダイスは、あくまで「組員を殺された側の相手組織が、おとなしく泣き寝入りしてくれた場合」という、奇跡のような前提条件の上にしか成り立たない。

現実の極道社会において、そんな都合の良い話があるわけがない。片方が死ねば、たいていは同等以上、あるいはそれ以上の過激な報復が間髪入れずに行われ、最終的には神戸の街全体を巻き込んだ組同士の全面的な泥沼の抗争へと発展する。

そうなれば、双方の組織から合わせて両手に余るほどの長期懲役囚が芋づる式に生まれ、智たちの今期のボーナス査定は目も当てられないほど悲惨な数字に叩き落とされることになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。