犬 まっしぐら
翌朝の爆弾
しかし、事態は智たちの予測を遥かに超えるスピードで、最悪の方向へと転がり落ちていくことになる。
翌日の朝、いつも通り定時に出社し、デスクでパソコンを立ち上げた智の前で、事務所の固定電話がけたたましい音を立てて鳴り響いた。
「はい。全国生活互助共済会神戸営業所でございます」
智がいつも通りの極めて事務的な、よそ行きの声で電話に出た。
すると、受話器の向こうの相手は、こちらの組織名を聞くやいなや、己の名前も名乗らず、ただ、地鳴りのような低い怒号を炸裂させた。
『おっしゃー!!!』
それだけを鼓膜が破れんばかりの大音量で叫ぶと、ガチャリと一方的に通話が切られた。
智は呆然としたまま、受話器をゆっくりとフックに戻した。その様子を横目で見ていた鈴木と、自然に視線が交差する。
今現在、この神戸の街で、名前も名乗らずにそんな獣のような咆哮を電話線越しに叩き込んでくる相手など、世界中にたった一つしか存在しない。
「……浅間組やね」
智の声が、わずかに震えていた。
今の「おっしゃー!」という狂喜乱舞の叫びが意味すること。それは、彼らが独自の違法なルートで、自分たちを襲撃した犯人の正体を「見つけてしまった」ということに他ならなかった。
警察より早く、証拠も令状もすっ飛ばして、夜の街のネットワークを使ってマトを特定してしまったのだ。そしてヤクザがマトを見つけたということは、これから彼らが何を行うかなど、火を見るより明らかだった。
白昼堂々の報復テロ。市街地での銃撃戦。
(最悪、全員実刑で懲役二十年……いや、相手を殺してもうたら無期懲役もあり得るで……)
想像される最悪のシナリオに、智は思わず自分の両肩をきつく抱きしめた。
「鈴木さん、行くで!」
「まったく……。あのバカどもが本能のままに跳ねて暴れるんは、生き物の習性やからしゃーないにしてもさ。せめて自分が崖から落ちたときの、うちらの安全コストとか残される家族のこととか、少しは頭に入れて考えて欲しいもんやな……」
毒づきながらも、鈴木の動きは早かった。彼はデスクから飛び起きるようにして上着をひったくり、椅子から腰を浮かせた。
パトカーの回る赤色灯
事務所を飛び出し、三宮から電車に飛び乗って3駅。
目的の駅を降りて浅間組の事務所ビルへと続く路地に入ると、そこにはすでに二台のパトカーが並んで停車しており、サイレンこそ鳴らしていないものの、不気味な無音のままで赤い回転灯を激しく明滅させていた。
建物の周囲には、制服姿の警察官が八人、それぞれ手を後ろでがっちりと組み、胸を張って行く手を阻むように周囲を警戒していた。
「お疲れ様です。共済会の者です。ちょっと中へ」
鈴木が慣れた手つきで警察官の間をすり抜けていく。智は彼らを取り囲む警察官の集団の中に、昨夜、キタの居酒屋のカウンターで一緒にビールを飲んだあの若い警察官の姿を見つけた。智はその視線に向けて、気づかれない程度に小さく会釈を送る。向こうも微かに目元を動かしてそれに応えた。
浅間組の頑丈な鉄扉の前へと辿り着き、智がインターホンのボタンを強く押し込む。
「共済会です。開けてください」
スピーカーに向かって名乗る。
防弾仕様で防音加工が施された極厚の鉄扉の向こう側からは、言葉こそ聞こえないものの、まるで高級なドッグフードの袋が開く音を察知して、一斉に尻尾を振りながら駆け寄ってくる子犬たちのコマーシャルのような、異様な興奮と熱気がドアの隙間から伝わってくるようだった。




