事務所業務
【ファイル1027:無銭飲食】
智は本日最初となる深い溜め息を吐き出した。
中身は典型的な暴力団員の見栄に端を発するトラブルだ。
彼らは「顔」で飲み食いし、支払いも「顔」で済ませようとする。
要するに、ただの悪質なツケ払いだ。
店側にとっても半ば日常茶飯事と化していた悪習なのだが、今回は運悪く、支払いを催促された組員が店主に対して些細な難癖をつけ、そのまま恐喝および詐欺罪で警察に現行犯逮捕されたという経緯だった。
【ファイル1028:恫喝】
ページをめくると、今度はさらに頭の痛い案件が飛び込んできた。
そもそも、滑舌の悪さを圧倒的な声量でごまかそうとするのが、あの手の人間の習性だ。
日常的にドスの効いた大声を出すことを生業にしていれば、人間の身体とは不思議なもので、地声そのものが自然と肥大化していく。
今回の容疑者は、そのやたらと大きな地声のまま、街頭で一般人に話しかけただけだと主張しているらしい。
だが、受け取った側からすれば立派な脅迫であり、警察の目から見ても文句なしの「恫喝」として処理されていた。
【ファイル1029:非弁行為】
三冊目のファイルを開く。
交通事故の示談や和解交渉に介入し、示談金の一部をふんだくる――というのは、伝統的な暴力団の主要な収入源の一つだった。
もちろん、コンプライアンスが叫ばれるこのご時世、彼らが直接「○○組の者ですが」と名乗って表舞台に立つことはまずない。
だが、これが「本当に親しい親友」や「身内の家族」の代理人としての出席であれば、法律の網の目をギリギリでくぐり抜けることができる。
自分の奥さんや子供が事故に遭い、その示談交渉の場に、強面の父親が同席すること自体を完全に禁止することは難しいからだ。
今回の案件も、そのグレーゾーンを突いた交渉がこじれ、弁護士法違反の疑いで引っ張られたものだった。
「どれもこれも、セコくて些細な事件ばっかり……」
書類をめくる智の指先が止まる。
智は引き出しの奥からこっそりイチゴ味の棒付きキャンディを取り出すと、包装を剥いてぽんと口に放り込んだ。頬を丸く膨らませて飴を転がしながら、再び面倒なファイルに視線を落とす。
しかし、智には警察がこれほど微細な罪状で暴力団員を執拗に挙げていく「真の狙い」が、痛いほどによく分っていた。
ひとたび検察が起訴まで持ち込めば、日本の刑事裁判における有罪率はほぼ100%に達する。
警察側の視点からすれば、裁判の結果が執行猶予(いわゆる『弁当』)になろうが構わないのだ。
とにかく暴力団員という身分の人間に「前科」のペナルティを課し、合法的に指紋とDNAを採取すること。それが第一の目的だ。
対象が正規の組構成員であれば、どんなに微罪であっても「組織的関与の疑い」を名目に、組事務所に対する家宅捜索令状を取得することができる。
これこそが警察の狙う最大の果実だった。
ガサ入れさえ成立すれば、本来なら強固なセキュリティに守られているはずの組事務所に堂々と踏み込み、内部のパソコンのハードディスクや、顧客名簿、会計ファイルといった機密情報を一網打尽に押収できる。
つまり、暴力団の組事務所という、厚いヴェールに覆われた難攻不落の要塞を、合法的に「硝子張り」のスケルトン構造に変えることができるのだ。
警察にとっては、無銭飲食の一件すらも、要塞の壁を穿つための絶好のドリルに変貌する。
「ゆーたかてなぁ……。こっちの身にもなってほしいわ、ほんまに」
智は誰に届くともない愚痴をポツリとこぼした。
警察の思惑がどうあれ、共済会としては会員である彼らを放っておくわけにはいかない。
万が一にでも彼らが実刑を食らって懲役に行くような事態になれば、共済金の支払いなどで無駄なコストが発生してしまう。
智の役目は、彼らの罪状や状況に合わせて、それぞれの案件に最も適した「裏社会の事情に強い弁護士」を的確にマッチングさせ、判決を確実に「執行猶予」の枠内に着地させることだった。
もちろん、こちらが弁護士の周旋を大っぴらにやれば弁護士法違反に問われかねないし、反社への利益供与と見なされれば一発アウトだ。だからこそ、あくまで「生活相談に伴うリーガルサポートの紹介」という極めて慎重な建前を通している。
当然、こちらの足元を見て法外な報酬を吹っかけてくる強欲な弁護士も少なくない。
そういった手合いに対し、智は「社内規定」という絶対の盾を掲げ、時に冷徹に値切り倒し、時に甘い言葉でなだめすかしながら、費用を最小限に抑え込んでいく。
これもまた、彼女の重要な「日常業務」の一つだった。




