極め道
「お……落とすにしたって、相手の目星は!」
声を荒らげたのは、テーブルの対面に座る浅間組の中堅組員だった。張り詰めた空気が漂う事務所の中で、彼の額には薄すらと汗がにじんでいる。
問われて智は、わざとらしく両方の手のひらを上に向けて、肩をすくめてみせた。
「初手に言うてるやん。新聞報道以上のネタなんか無いって」
……よし、完全に煮詰まってきたな。
部屋の空気は重く、どす黒く淀んでいる。ここでタイミングを外したら、また最初からやり直しの堂々巡りのループに陥る。
ヤクザを相手にする時は、この一瞬の空気の変わり目を見逃してはならない。
智は隣に座る鈴木に、視線だけで「どうする?」と問いかけた。
鈴木は表情を一切変えないまま、顎をくいっと小さく上げた。
(このまま行け……ちゅうことか。了解)
智は小さく息を吸い込み、攻め方を変えてみることにした。
少しだけ声のトーンを落とし、諭すような口調を作る。
「自分ら、今の状況わかってます? ぶっちゃけ、外の警察も自分らも、現時点では何のネタも目星も無い状態なんですよね。
そこから『よーい、ドン!』で一斉に走り出して、警察より早くマトが見つけられるって、本気で思ってるんですか?
あっちは数もアホほどおるし、組織力使ってしらみつぶしに聞き込みだってできるんですよ?」
目の前の組員は「グググ……」と喉の奥でうめくだけで、それ以上の言葉を返せない。
何か言い返せば、それがすなわち根拠のないハッタリであり、ただの「嘘」になってしまうことを彼ら自身も理解しているのだ。
プライドだけは人一倍高い男たちが、現実を突きつけられて黙り込む。
智は上半身を少し前に傾け、木製のテーブルに体を這わせるような姿勢を取った。そして、上目遣いでじっと相手の目を見据える。
さらに声のボリュームを絞り、耳元で囁くような声音を使った。
「自分らが警察に勝ってることって、一体何やと思います?」
「こ……根性! 気合いや!」
返ってきたあまりにも古典的な精神論に、智は思わず吹き出しそうになるのをぐっとこらえた。
口元が緩みそうになるのを必死に引き締め、代わりにウインクを一つ投げかける。
「自分ら……『証拠』いらんやん?」
「え…………?」
男の動きが、ぴたりと止まった。
本来なら、この浅間組の事務所には彼ら組員と、共済会に所属する智、そして鈴木の四人しかいない。
こんな密室で、わざわざ声を潜めて内緒話をする合理的な意味はどこにもない。
だが、この「内緒話の形を取る」というパフォーマンスそのものが、相手をこちらのペースに引きずり込む強力な罠になるのだ。
ここで相手にとって完全に予想外の、しかし魅力的な提案をポイと放り出す。そうすると相手は、さらに話を聞き逃すまいと、自ら進んで口をつぐみ、こちらの言葉に耳を傾けるようになる。
ここからの交渉のコツは、たった一つだけだ。
相手に反論の隙を与えないよう、息継ぎなしで、一気に話しきること。
「やからね。警察は令状やら何やら、動くたびに書類が必要になるでしょ。聞き込みをして証言を集めたり、周辺のドライブレコーダーや防犯カメラの映像をリレー形式で追いかけたりして、ガチガチに固めていかなアカンのです。
……いうか、そうせな動かれへん。
けど、自分らはそんな面倒な手続きを全部すっ飛ばして、勘や雰囲気だけで怪しい場所に突っ込めるでしょ?
その証拠集めのプロセスを全部省略できたら、ワンチャン警察を追い越せるんちゃいます?」
「あ…………」
男の口から、短い感嘆の漏れ声が挟まれた。
手応えはあった。だが、ここでさらに畳み込もうとしても効果は薄れる。
それどころか、下手に追い詰めれば「舐められた」と勘違いして逆ギレしてくるのがヤクザという生き物だ。
智は、再び隣の鈴木に視線を送った。今度はバトンタッチの合図だ。
鈴木がそれを受け取り、小さく頷いて口を開く。
「まぁ、やってみなければわからないんですけどね。もし仮に、相手が『自分の武勇伝を作りたい』なんてくだらない理由で撃ってきたのだとしたら……犯人は黙っていると思いますか?」
「……上には、言うやろな」
「それだけですかね?」
「女にも……話すかもしれん」
鈴木が、ちらりと智の方を見た。
智はあえてその視線を綺麗にそらし、手元のメモ帳に目を落とした。
男同士の、それも色恋や女に関する話だ。
女である智がここで口を挟むのは得策ではない。
男のプライドを傷つけないよう、ここは鈴木の独壇場に任せるのが正解だった。
鈴木は、冷徹とも言える落ち着いたトーンで淡々と続けた。
「いつ警察の証拠が固まって、いつ逮捕状が出るか、撃った本人にも分かっていないはずです。
明日は我が身という状況で、部屋の押し入れにガタガタ震えてこもったまま、誰にも言わずに黙っていられるような……そんなヤクザ、今の時代にいますか?」
「なら……どうするってんだ」
「夜職のお姉さんに、ちょっと自慢したいというのが人情でしょう。
男の見栄ってやつですよ」




