見栄と度胸の宛先
「全国巣民生活互助共済会」は、懲役に行った暴力団組員の家族(彼ら彼女らは、暴力団員ではなく「一般市民」です)の生活を互助するために設立された、健全な「共済会」です。
だから、その職員は銀行に口座も作れます。ローンも組めます。
だーって……ヤクザとちゃうもん!
ここからはバトン交代だ。
智の隣に控えていた同僚の鈴木が、すっと前に進み出る。男の激昂によって沸騰しかけていた応接室の空気を、物理的に冷ますかのように、ゆっくりと、そして極めて穏やかなトーンで言葉を紡ぎ始めた。
「ここにお邪魔させていただいたのは今回が初めてですが、お部屋に足を踏み入れた瞬間に伝わってまいりました。あなたたちが看板に偽りのない、生粋の『イケイケ』の極道だということは、肌に刺さるような空気で十分に感じ取っております。
ですが、少し冷静になって考えてみてください。事件から一晩が明けた今になっても、相手の連中が……現時点ではまだどこの組織かも判明していませんが、一向に警察に出頭する気配を見せていない。
この事実が意味することは、ただ一つです。彼らはあなたたち浅間組と、正面から本格的な抗争を構える覚悟も度量もないということなのでしょう」
「……お前、さっきから何が言いたいんや?」
男は不快感を隠そうともせず、文字通り殺意さえこもった獰猛な眼光で鈴木を鋭く睨みつける。
普通の堅気であればその視線だけで気圧されてしまうところだが、百戦錬磨の共済会職員である鈴木は、柳に風とばかりにその威圧をさらりと言い流し、何事もなかったかのように話を先へと進めた。
「あなたたちが最も重んじている、大切なメンツに関するお話ですよ。
わざわざこの事務所に拳銃の弾丸を撃ち込んできながら、その後は一切の名乗りも上げず、雲隠れを決め込んでいる。彼らは一体、誰に対してその行動を示し、誇示しようとしているのだと思いますか?」
「相手の立場に立って物事を考える」というのは、交渉事における基本中の基本だ。
しかし、自己の感情と組織の体面を最優先する暴力団員という人種は、悲しいかな、この客観的な思考が致命的に苦手な者が多い。
「それは…………」
核心を突かれた男は、言い返す言葉が見つからないのか、ぐっと言葉に詰まって大きな身体を強張らせた。
実は、この奇妙な襲撃の背景にある動機について、智の頭の中にはすでに明確な目星がついていた。
業界内でもとりわけ武闘派として鳴らし、売られた喧嘩は倍にして返すことで知られる浅間組。
そんな危険な組織の事務所に、わざわざ実弾を撃ち込んでおきながら、その後で一切の犯行声明を出さずに表舞台から姿を隠している理由。
……その根底にあるのは、おそろしくくだらない、単なる「見栄」だ。
襲撃側の組織、あるいは個人としても、全面抗争に発展して組織が壊滅するような事態は絶対に避けたい。
しかし、それでも弾を撃ち込まなければ、自分たちの、あるいは自分自身のメンツが守れない特殊な事情があったのだ。
というよりも、これほど危険な武闘派の組に銃弾を撃ち込んでみせることで、犯人は自分個人の「度胸」を周囲に強烈にアピールしたかったに違いない。
では、その命がけのアピールは、一体誰に向けて放たれたものなのか。
そこまで思考が至ったところで、智はふうと静かに目を伏せ、芝居がかった様子で、わざとらしいほど大きなため息を吐き出してみせた。
「どこのどこのアホ組織かはまだわからへんけどな。
ようするに、自分らの組の事務所に弾を撃ち込んで、他所ではなく『身内』に対して自分の度胸の良さを示したかっただけやろ。
この浅間組がターゲットに選ばれたんは、ここが業界内でも名前の通ったイケイケの組織やったからなのか、あるいは何か別の小さな因縁があったからなのか……そのあたりはまだ判然とせえへんけどな」
智が冷淡に言い放った推測は、男のプライドを大いに刺激した。
「……ウチの組が、そのどこぞの馬の骨の『ダシ』に使われた……って、お前はそう言いたいんか?」
低く、静かに、しかし地響きのような激しい怒気を孕ませた声で、暴力団幹部の男が問い返してくる。
それに対し、智は逆ににらみ返すように相手の目を見て、さらに声のトーンを落として言い放った。
「本命の理由はそれやろね。
で、対抗として考えられる理由が……ごくこんまい因縁や。
自分ら、ここ最近で誰かを派手に殴ったり、手を出したりした覚えはないか?」
そう直球で問われた男は、一瞬だけ視線を泳がせた。
しかしすぐに居住まいを正し、虚勢が7割、本音が3割といった様子で、ぶっきらぼうに言葉を返した。
「俺らは殴ってナンボの商売をしとるんや。
そこらの半グレだのチンピラだの、細かいのを数え上げたらキリがねえよ……。
けどな、もし他所の正規の組員を殴ったってんなら、今頃はとっくにウチの頭経由で連絡が入っとるはずだ。
そのあたりの筋だけは、きっちり通さなアカンからな」
男の言葉の裏にある焦燥を、智は見逃さなかった。裏社会のパワーバランスの狭間で、事件の真相は確実にその姿を現しつつあった。




