第94話 息の切れ目
宮島高校のベンチで、二人が立ち上がった。
宮内の周囲を泳いでいた二人と入れ替わる。退いた選手は濡れたまま椅子へ座り、一人は水筒へ手を伸ばす前に、膝へ両手をついた。
花が宮島側を見る。
「替えるん?」
「疲れることも含めて、予定どおりなんだと思います」
遥香は区画図から顔を上げなかった。
宮内の周囲には、短い矢印が三本書かれている。どれも一人分ほどの長さしかない。その始点には宮島の選手が通った位置、終点には宮内が足を入れた位置が残っていた。
「最初に水を作った人を止めても、別の人が入ってきました」
優奈が言った。
「同じ人じゃなかった?」
結が聞く。
「はい。最初は宮内さんの後ろにいた人。その次は前。そのあと、下から来た人です」
花の指が、宮内の後ろへ書かれた丸を叩く。
「なら、この人を止めても意味ないじゃん」
「誰か一人を止めるだけでは、足りないと思います」
遥香は宮内の周囲にある四つの丸を見た。
四人全員を同時に止めることはできない。
宮内がどこで止まるかによって、最も近い一人が水を作る。決まった選手が、決まった方向から入っているわけではなかった。
「次は、最初に宮内さんへ近づいた人を花さんが止めてください。陽さんは、その次に誰が入るかを見てください」
「凪と渚は?」
「前と同じです。宮内さんを中央へ入れて、自然の潮流へ戻る出口を塞ぎます」
遥香は結を見る。
「結さんは、水を作った人がそのあとどこへ行くかをお願いします」
「上がるか、戻るかってこと?」
「はい」
遥香は優奈へも顔を向けた。
「優奈さんは、宮内さんと最初に横切る一人を見てください」
「二人なら追えます」
「その人が宮内さんの近くを通ったあと、次に何をするかを見てください」
優奈は宮島高校へ視線を戻した。
宮内は立ったまま、区画中央を見ていた。
周囲の選手が替わっても、立つ場所は変わらない。
「宮内は替えんのじゃね」
花が言った。
「宮内さんを残すための交代だと思います」
遥香が区画図を閉じる。
「宮内さんだけを、四ピリオド動かすつもりです」
開始を知らせる音が鳴った。
花が立ち上がる。
「なら、周りから止めるよ」
第2ピリオド開始の笛が、大三島沖へ響いた。
凪たちは海へ戻った。
沖側の細い潮流は、第1ピリオドと同じ向きへ流れている。中央へ近づくほど水の押しが薄くなり、足を蹴った分だけ自分で進まなければならなかった。
宮島高校の新しい二人は、海へ入るとすぐ宮内の左右へ分かれた。
四つの潮核が競技区画へ放たれる。
宮内は沖側へ向かった。
凪と渚が先に細い潮流へ入り、出口を塞ぐ。宮内は二人の位置を見ると、無理に流れへ入らず、中央へ進路を変えた。
水の押しが消える。
宮内の速度が落ちた。
潮核を拾った瞬間、胸と手足へ青い発光ラインがつく。
花は宮内へ向かわなかった。
斜め後ろから近づく宮島の選手へ正面を向け、その選手と宮内の間へ体を入れる。横切ろうとした選手は花の肩を避け、外側へ回るしかなかった。
宮内へ水が届かない。
宮内が潮核を離す。青い発光ラインが消え、潮核は手の横へ浮いた。自然の潮流がないため、一人分も進まない。
凪が取りに入る。
前回と同じ形だった。
だが、花が止めた選手を宮島高校は待っていなかった。
宮内の下から、新しく入った選手が浮上した。深い位置から水面へ向かって蹴り上がり、宮内の右側を斜めに通り抜ける。
その選手の体が抜けたあと、水が遅れて持ち上がった。
宮内は後流が腰へ触れた瞬間、自分でも右足を蹴った。止まっていた体が半歩進み、浮いていた潮核をもう一度受け取る。
凪は潮核の手前で向きを変えた。
宮内の右足へ花が戻ろうとするが、花は最初の選手を外側へ押し出した直後だった。宮内までの間に、一人分の距離が残っている。
渚は自然の潮流への出口を塞いでいる。
陽は下から来た選手へ目を向けたが、その選手は宮内の反対側へ抜けていた。
宮内が自分で一度水を掻く。
後流が消える前に、もう一人が宮内の前を横切った。
宮内はその水へ左足を入れ、ゴールゾーンの外側へ向きを変える。凪が内側を塞ごうとした時には、宮内の肩がすでに枠の下へ入っていた。
青い光が沈む。
ブザー。
スコア:宮島高校 3-三原中央高校 0
宮内が浮上する。
下から横切った選手も水面へ上がった。大きく一度息を吸い、すぐ宮内の反対側へ戻っていく。
「今の、最初の人じゃない!」
結の声が落ちた。
凪も分かっていた。
「空いた人が行ってる!」
花が止めた選手の代わりに、最も近かった選手が下から入った。
順番を変えたのではない。
最初から順番がなかった。
宮内が止まった位置に合わせ、近くにいる一人が水を作る。誰かが塞がれれば、別の一人がその場で入る。
優奈は岸から、花が止めている選手を追っていた。
その選手が外側へ回ったことは見えている。しかし、宮内の下から入った一人は、優奈が見ていた二人の外にいた。
優奈の顔が、浮上した選手へ遅れて向く。
一人を見れば、その人の動きは追える。
別の方向から入る一人までは見えない。
宮島高校が次の潮核へ動いた。
宮内の左右に、交代した二人が入る。第1ピリオドから残った二人は、少し離れて潮核の出口を押さえていた。
宮内が中央へ入る。
花は一人目を追わず、宮内の足へ触れた。
一秒。
宮内は潮核を離す。
横から一人が通る。
凪はその選手へ向かわず、宮内の前へ入った。だが、横切った選手の後ろに残る水がどこまで続くかは、触れてからでなければ分からない。
水の向きが足元へ届く。
凪が終点へ向かう。
その時には、宮内がもう一歩進んでいる。
潮流なら、動く前からそこにある。
人が作った水は、誰かが通ったあとにしか生まれない。
凪が読んでから動けば、一拍遅れる。
宮内の前を二人目が通ろうとした。
陽はその選手ではなく、水中に残った泡を見ていた。
一人目の後ろへ伸びた泡は、宮内から一人分ほど離れた場所で形を失っている。その先に、二人目がまだ入っていない。
陽の指が水中で動いた。
宮内の一歩先。
凪はサインを見た。
宮内を追わず、陽が指した場所へ向かう。
横切った選手が潮核を受け、宮内の反対側へ運ぶ。次の選手が戻るまでの間、一人目が作った水は薄くなっていった。
宮内が右足を入れる。
半歩進む。
その先で、水が消えた。
宮内の体が潮止まりの中で止まる。戻された潮核も、宮内の手前で失速した。
凪は、すでにそこにいた。
潮核を掴まず、下側へ指先を入れる。オレンジ色の球が宮島側から外れ、一瞬だけ凪の胸と手足が赤く光った。
保持する前に手を離す。
赤い光が消え、潮核が渚の方へ浮いた。
宮島高校の選手も反応する。
しかし、一人は宮内の右から左へ抜けた直後だった。もう一人は次の水を作るため、宮内の反対側へ回っている。
宮島側の右側が空いていた。
渚が潮核を拾う。
赤い発光ラインがつくと、正面から宮島の選手が距離を詰めた。渚は長く持たず、沖側の細い潮流へ潮核を離す。
赤い光が消える。
潮核が南西へ動き始めた。
陽が流れの外側から入り、潮核の端へ触れる。軌道が中央へ寄り、宮島の守備もそちらへ向いた。
花は反対側へ回っている。
宮内の右側に生まれた空間へ入り、陽が変えた潮核を受け取った。胸と手足へ赤い発光ラインがつく。
宮島の選手が背後から花の左足へ触れる。
一秒。
花は相手を振り払おうとせず、そのままゴールゾーンへ体を沈めた。中央へ向けた肩が水に押し返されるが、右手で一度掻き、枠の内側へ戻す。
二秒になる前に、潮核を両手で沈めた。
ブザー。
スコア:宮島高校 3-三原中央高校 1
花が水面へ上がり、大きく息を吸う。
「空いとった!」
「通った人の後ろ!」
結の声が返る。
凪も水面へ出た。
宮内へ水を渡した選手は、必ず宮内の反対側へ抜ける。
体力が残っていても、通り抜けた直後には、元の場所にいない。
その選手が守っていた区域は一拍だけ空く。
宮島高校は宮内を進めるため、自分たちの配置を一度崩していた。
残り時間、宮島高校は後流同士の間隔を短くした。
一人目が宮内の前を抜ける前に、二人目が次の位置へ入る。宮内へ水を渡した選手は守備へ戻らず、反対側からそのまま次の潮核を受けた。
三原中央も宮内だけを追わない。
陽が泡の消える位置を示し、凪が後流の終点へ入る。花と渚は、宮内へ近づく選手の進路を狭めた。
宮内の青い光はゴールゾーンまで届かない。
三原中央も、奪った潮核をもう一度得点へつなげられなかった。
第2ピリオド終了の笛が鳴る。
スコア:宮島高校 3-三原中央高校 1
* * *
凪たちが仮設桟橋へ戻ると、宮島高校のベンチでさらに二人が立ち上がった。
第1ピリオドから残っていた二人が交代する。
これで、宮内の周囲にいる四人は、試合開始時とは全員違っていた。
「また元気になったじゃん」
結がタオルで髪を挟みながら言った。
新しく入る選手たちは、腕を回し、海へ入る準備をしている。第2ピリオドから出ている二人にも、まだ大きな疲れは見えなかった。
「元気でも、通ったあとの位置は同じです」
遥香が区画図を広げた。
短い矢印の終点とは別に、選手が抜けた方向へ長い線が引かれている。
「右から宮内さんの前を通った人は、左へ抜けます。その瞬間、その人がいた右側が空きます」
「逆から来たら、逆が空く?」
「はい」
花が区画図を見る。
「でも次の人が入ってくるじゃろ」
「入ってきます」
遥香は次の選手が動いた線を書き足した。
「だから、全員を見る必要があります」
「……私には無理です」
優奈自身が言った。
声は変わらなかった。
「一人なら見られます。二人目が別の方向から来たら、さっきみたいに遅れます」
「全員は見なくていいです」
遥香は宮内の最も近くにある丸を一つ囲んだ。
「優奈さんは、宮内さんの一番近くにいる一人だけを見てください。その人がどちらから入り、どちらへ抜けるかをお願いします」
「抜けたあとの場所は?」
「結さんが見ます。私は、次に誰がその場所へ入るかを記録します」
凪は区画図の短い矢印を見た。
「私は、水が消える場所へ入ります」
花が宮内へつながる線を指す。
「うちと渚で、次の人が入る場所を狭める」
「はい」
遥香が頷いた。
「宮内さんへ水が届く前に全員を止めるのではありません。水を作るために一人が移動したあと、空いた場所を使います。第3ピリオドから、優奈さんが入ります。陽さんはここで交代です」
陽はゴーグルを外した。
優奈が立ち上がる。
陽は区画図ではなく、海を指した。
「泡、消えたあと」
優奈は海を見た。
「私は……人を見ます」
陽が頷く。
* * *
第3ピリオド開始の笛が鳴った。
凪が水へ沈む。
第2ピリオドまで肩を引いていた水が、来ない。
一掻きしても、押した水が腕の後ろへ抜けるだけだった。足を戻すたび、自分で動かした水が脛へ当たり、次の一蹴りへ重さを残す。
海水が変わったわけではない。
選手を運んでいた力が消え、自分で掻いた分しか進まなくなった。
優奈は凪や花を見ない。
宮内の右前にいる選手だけを追っている。
四つの潮核が入ると、その選手は大きく息を吸ってから潜った。宮内の前を右から左へ横切り、腕と足で作った水を後ろへ残す。
宮内がその水へ右足を入れた。
優奈の顔も、宮内を追う。
横切った選手は左へ抜け、そのまま水面へ上がった。
右側が空く。
優奈が右手を動かしかけた。
その空間へ、別の宮島の選手が下から入る。
優奈の反応が遅れた。
二人目は宮内の右側を通り、次の一歩を作る。
宮内が潮核を拾った。
青い発光ラインがつく。
凪が後流の終点へ入るより早く、宮内は二歩目へ進んでいる。ゴールゾーンの外側へ向きを変え、花の手が届く前に深さを変えた。
優奈は最初の選手を追っていた。
二人目がどこから来たかは、見えていない。
宮内が枠の手前まで入る。
花が背後から右足の発光ラインへ触れた。
一秒。
宮内は自分で水を蹴る。弱くなった潮流では花も大きく流されず、接触した距離が縮まらない。
二秒。
宮内が潮核を離した。
青い発光ラインが消え、潮核はゴールゾーンの外側で浮いた。
凪が先に入り、宮島側から軌道を外す。
失点にはならなかった。
優奈が水面へ上がる。
水中では、吐いた息がゴーグルの横を流れ、自分の腕が水を押す鈍い音しか聞こえなかった。
顔を出した瞬間、風と呼吸音と結の声が一度に戻ってくる。
「今見とった人、左に抜けた! 右が空いた!」
「すみません。二人目を見てませんでした」
「それはうちが見る!」
優奈は一度だけ頷き、また潜った。
次の攻防では、宮内の左側にいる一人を見る。
その選手が動く前、右肩がわずかに沈んだ。左から右へ横切る準備だった。
優奈は、その選手だけを追う。
水を強く掻き、宮内の前へ入る。
宮内が一歩動く。
選手は右側へ抜けた。
優奈が左手の指を一本立てる。
今度は遅れなかった。
水面の結が、空いた左側を指す。
凪の足元には、まだ流れがなかった。
それでも左へ進んだ。
水が来てからでは遅い。
今度は、自分の足へ届く潮流より先に、優奈の指と結の位置を選んだ。
宮内へ向かわず、次の選手が左側から入るはずの線へ潜る。
花は宮内の正面から進路を狭め、渚が反対側へ回った。
宮島の二人目が、左側の空間へ入ろうとする。
凪が先にいる。
正面には花。
反対側には渚。
二人目は三人を避けるため、外側へ進路を変えた。蹴り足の後ろに残った水も、宮内から半歩離れた場所を通る。
宮内へ次の一歩が届かない。
宮内は潮核を持ったまま、潮止まりの中へ残された。
花が右足の発光ラインへ触れる。
一秒。
宮内が水を蹴った。
自然の潮流に乗った時ほど速くはないが、自分の力で半歩進む。
花は接触を切らさず、同じ方向へ体を伸ばした。
二秒。
宮内が潮核を離す。
青い発光ラインが消える。
潮核は宮島の選手へ届く前に、中央で失速した。
渚が下から入った。
両手で潮核を掴み、胸と手足へ赤い発光ラインをつける。
宮島高校の四人は、宮内の周囲に寄っていた。
一人は右側へ抜けた直後。
一人は凪たちを避けて外へ回っている。
残る二人も宮内から離れた位置へ戻れていない。
宮島側のゴールゾーンまで、一本だけ広く空いていた。
渚が水を蹴る。
沖側の潮流は弱い。
背中を押す水を待たず、自分の力で空いた場所へ進んだ。
宮島の選手が背後から追いつき、渚の左足へ触れる。
一秒。
渚は潮核を離さなかった。
体を斜め下へ沈め、接触された左足を後ろへ残す。弱い潮流の中では、相手も渚と同じ方向へ大きく運ばれない。
渚が右足を強く蹴る。
上半身だけが前へ出た。
相手の手が左足首から滑り、発光ラインを外れる。
計測が切れた。
渚は体を戻し、両手の潮核を抱え直す。正面から別の選手が近づいていたが、ゴールゾーンはもう下にある。
赤い光が沈む。
ブザー。
スコア:宮島高校 3-三原中央高校 2
渚が水面へ上がった。
息を吸いながら、岸へ向かって拳を上げる。
優奈は宮内の近くにいた選手から目を離していなかった。
第3ピリオドの残り時間、宮島高校は後流を作る位置を変えた。
宮内のすぐ横を通らず、少し離れた場所から斜めに水を残す。優奈が一人を追えば、別の選手が宮内の反対側へ入る。
三原中央も、空いた場所を使い続けた。
結が全体から一人の抜けた側を示し、遥香が岸で記録する。凪は後流の終点へ入り、花と渚が次に水を作る選手の進路を狭めた。
追加点は入らない。
第3ピリオドの残り時間が少なくなった頃、宮島高校の動きが変わった。
宮内の周囲にいた四人が、左右へ広がる。
三原中央に使われていた通過後の空間を消し、宮内の進路から外れた。
誰も前を横切らない。
後流を残す位置へも入らない。
凪は区画中央を見る。
潮止まりは残っている。
泡は浮いたまま、ほとんど位置を変えていない。
宮内が潮核を拾った。
青い発光ラインがつく。
優奈は宮内の一番近くにいる選手を見る。
その選手は動かなかった。
宮内の前には、誰も入らない。
最初の一蹴り。
宮内の体はほとんど進まなかった。
潮流のない場所では、水を蹴った分しか動けない。宮内の足が押した水は後ろへ逃げ、腰がわずかに前へ出る。
凪には、進む方向が見えた。
次に右足を入れる場所も分かる。
花が接触へ向かう。
凪も宮内の進路へ入った。
宮内は潮核を離さなかった。
もう一度、水を掻く。
遅い。
沖側の潮流へ入った時とは違う。体の輪郭も消えず、一つ一つの動きが見える。
それでも、宮内は二歩目を進んだ。
優奈が周囲を見る。
「誰も、通ってない」
水面の結にも聞こえた。
「宮内だけ!」
宮内が三歩目へ足を入れる。
花の手が右足へ近づく。
凪も正面へ入る。
その直前、第3ピリオド終了の笛が鳴った。
スコア:宮島高校 3-三原中央高校 2
宮内が水面へ上がる。
周囲の四人も遅れて浮上した。
凪は区画中央に残る泡を見た。
宮内の前には、誰もいなかった。
水も動いていない。
それでも宮内は止まらなかった。
遅いまま、自分で次の一歩を作っていた。




