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潮球  作者: カミツキ
3年目の海

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87/92

第87話 十人で、上る

 やっさの提灯は、駅前から外されていた。


 電柱の間には紐だけが残り、朝の商店街を箒の音が進んでいる。三原港では、始発を終えた船が低いエンジン音を響かせていた。


 軒下に、十人分の荷物が並んでいる。


 三谷が競技用具の箱を車へ積み、後部扉を閉めた。


「乗船まで四十分だ」


 花が駅の向こうへ顔を向けた。


「八幡宮、行けるじゃろ」

「八時四十分までに戻れ」

「余裕じゃね」

「荷物は置いていけ。石段へ持って上がる必要はない」


 花は大きな鞄を足元へ戻した。


「持って行こうとはしとらんよ」

「今、持ち上げただろ」

「置き直しただけ」


 三谷は答えず、次の箱を確認した。


 遥香が名簿を閉じる。


「小さい鞄だけ持ってください。出発します」


 十人は港を離れた。


 祭りで使われた柵が、路地の端へ重ねられている。掲示板には、町内会の練習日程がまだ残っていた。


 花が先を歩く。


 心春が、その横へ並ぶ。


「試合前は毎回行くん?」

「行ける時はね」

「お願いしたら勝てる?」

「そこは自分らでやるんよ」

「じゃあ何をお願いするん?」

「それは着いてから決める」


 花は歩く速度を変えなかった。


 商店街を抜け、坂へ入る。

 大きな鳥居の先に、石段が続いていた。


 十人が、その前で止まる。

 結が一番上まで見上げた。


「三年目になると、さすがにこの長さにも慣れるね」

「まだ一段も上っとらんよ」


 花が一段目へ足を置く。


「見る方には慣れたんよ」


 結も、そのあとへ続いた。

 花と渚が先へ進む。


 七海も二人を追いかけたが、横へ並ぶところで速度を落とした。


 遥香と優奈は一定の間隔で上る。


 芽衣は鞄を左手に持ち、右肩を揺らさない。心春は隣にいたが、手を出さず、自分の歩幅で段を踏んだ。


 陽は結の少し後ろを上る。


 凪は右足を石段へ置いた。

 体重を乗せる。

 張りはない。


 もう一段。


 高さのある場所では左足から入る。右足だけで体を持ち上げず、同じ速さで進んだ。

 蝉の声が、石垣の上から落ちてくる。

 途中で結の呼吸が大きくなった。


 花が上から振り返る。


「慣れたんじゃなかったん?」

「長さには慣れたって言っただけ」

「上る方は?」

「今年も長いね」


 結は止まらなかった。

 陽も何も言わず、その後ろを上った。


 随神門の前で、先に着いた花たちが待っていた。

 七海は水筒を持ったまま、石段の下を見る。渚は門の陰へ入り、呼吸を整えている。

 結が最後の段へ足を置いた。


「今年は途中で座らんかったね」


 花が言う。


「一回も座ったことないよ」

「一年目、端に寄って動かんかったじゃん」

「あれは景色見よったんよ」

「石垣しかなかったよ」


 結は花の水筒を受け取った。


「三年経っても覚えとるんじゃね」

「覚えとるよ」


 花はそれ以上続けなかった。


 十人が揃い、本殿へ向かった。

 境内には、朝の日差しが斜めに入っている。蝉の声に混じり、町の下から作業音が届いていた。


 花が最初に賽銭を入れた。

 鈴を鳴らし、頭を下げる。


 手を合わせた。


 隣にいた結は、何も言わなかった。

 花の指は、しばらく合わさったままだった。


 港の方から、フェリーの汽笛が一度響く。


 花は目を開けた。


 もう一度頭を下げ、横へ場所を空ける。


 結が前へ出た。


 陽、渚、遥香、芽衣が続く。

 優奈、七海、心春も、それぞれ賽銭を入れた。

 誰も、祈ったことを聞かなかった。


 最後に、凪が本殿の前へ立つ。


 手を合わせる。


 蝉の声が近い。


 木の葉が擦れ、その向こうから、もう一度汽笛が届いた。


 凪は頭を下げた。


 参拝を終え、境内の端へ進む。

 木々の間から、三原の町が見えた。


 駅の屋根。

 港の建物。

 造船所のクレーン。

 海の向こうに重なる島。


 七海が手すりの前へ立った。


「あれ、うちらの浮標ですか」


 港の端に、黄色い点が並んでいる。


「そう」


 凪が答えた。


「小さ」

「中に入ると、広いよ」


 優奈が目を細める。


「二番浮標は、どれですか」

「右から二つ目」

「流れまでは見えませんね」

「ここからじゃ見えない」

「凪先輩でも?」

「見えないものは見えないよ」


 優奈は頷き、もう一度港を見た。


 心春は町の中を探している。


「昨日踊った道、どこじゃろ」

「駅の向こう」


 花が指した。


「集会所は?」

「屋根までは見えんよ」


 花の指が町の上を短く動く。

 それから、港へ戻った。


 芽衣は海の先を見る。


「佐木島、どれ?」

「向こうです」


 渚が一つの島を指した。

 陽が首を振る。


「違う」

「じゃあ隣です」

「それも違う」

「見え方が変わりました」

「島は動かない」


 渚は指を下ろした。


 凪は、海と空の境目より下を見た。

 黄色い浮標が、港の端に並んでいる。


 その先を、一隻のフェリーが横切った。


 白い波が船尾から広がり、少し遅れて消えていく。


 遥香が時計を見る。


「戻ります。乗船まで二十五分です」


 十人は境内を離れた。

 石段を下りる。

 上りよりも、足音が近い。


 先へ出た七海が、日陰の濡れた段の前で止まった。後ろの優奈も立ち止まり、二人で乾いた中央へ移る。


 芽衣は一段ずつ、右肩を揺らさずに下りた。


 心春はその隣を、自分の足で進む。


 結も手すりに触れず、陽と同じ速度で下りていた。


 凪は右足を置く。


 体重を残さず、次の段へ移る。


 石段に、十人分の足音が続いた。


 鳥居を抜けると、港から乗船案内が聞こえた。


 花が歩く速度を上げる。


「間に合う?」

「予定どおりです」


 遥香が答える。


「走らんでいい?」

「走らないでください」

「聞いただけじゃん」


 花は歩いたまま、港へ向かった。


 三谷は車の横で待っていた。

 十人が軒下へ戻ると、共有用具の箱はすでに台車へ移されている。


「全員いるな」


 三谷が聞く。


 遥香は振り返った。


「十人います」

「なら乗るぞ」


 花が自分の鞄を受け取る。

 凪はドライスーツの入った荷物を肩へ掛けた。

 一年生三人も、それぞれの鞄を持つ。


 乗船案内が、もう一度流れる。

 十人は改札を通り、桟橋を渡った。

 船内へ入り、荷物を足元へ置く。


 低いエンジン音が床から伝わってきた。

 ロープが外される。

 フェリーが岸壁を離れた。


 三原港の建物が、窓の向こうで低くなる。


 黄色い浮標が、船尾の下へ小さくなっていった。

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