第80話 光る、前
大久野島の影が、試合区画の南側へ落ちていた。
北東から来た潮が島の手前で分かれている。一方は沖へ抜け、もう一方は岩礁に沿って区画の内側へ戻っていた。
【北東→南西 秒速0.6m】
【島影内 弱流】
【南側岩礁付近 収束あり】
収束する場所では、水面の泡が細い帯になって南西へ流れている。その横には、島影に入って動かない水があった。
流れる場所と、止まる場所。
二つの境目が、浮標の間を斜めに切っている。
凪はベンチから海を見た。
右足を地面につける。踵を上げ、爪先へ体重を移した。
一度目は動く。
二度目を踏む前に、ふくらはぎの奥が硬くなった。
「まだです」
遥香の声に、凪は踵を下ろした。
「第1ピリオドは、陽さん、渚さん、七海、心春。私が水面へ残ります」
ホワイトボードの先発欄に、五人の磁石が並んでいた。
凪、花、結、芽衣はベンチに残る。
「最初から行かんでええん?」
「第1ピリオドを捨てるわけではありません。今の五人で止めながら、今年の形を確認します」
遥香は忠海中央の欄へ目を向けた。
忠海中央の五人が、入水位置へ並んでいる。
去年の映像にはいなかった名前が、その中央にあった。
久野みなみ。二年。
小柄な選手だった。
ドライスーツの袖口を一度引き、海を見下ろしている。隣の選手がゴーグルを下ろしても、みなみの右足だけが水面の手前で止まった。
一秒。
忠海中央の四人は振り返らない。
誰も急かさない。
みなみは岩礁の位置を見た。次に浮標。その間を流れる泡を追い、右足を海へ入れた。
開始の笛が鳴った。
第1ピリオド。
四つの潮核が区画へ入る。
忠海中央の四人が、それぞれ別の潮核へ向かった。
中央。
沖側。
島影の手前。
南側の収束流。
四人の手が潮核へ触れる。
四か所で、青い発光ラインがついた。
手。
足。
胸。
みなみだけが光っていない。
遥香は水面から四つの青を見た。
「沖!」
入水前の七海へ声を飛ばす。
七海が沖側へ向かい、陽は中央へ潜った。渚は南側の収束流へ入り、心春がその後ろへ続く。
四つとも、ゴールゾーンへ届く場所にある。
陽が持球者の足へ触れた。
一秒。
渚は収束する水へ肩から入り、青い発光ラインとの間に体を置く。七海も沖側の持球者へ近づいていた。
心春は渚の動いた方向へ寄る。
その間に、みなみが島影へ入った。
発光ラインはない。
岩礁の色とドライスーツが重なり、両足から先が見えなくなる。
遥香が息継ぎに上がった心春を見つけた。
「心春、島影!」
心春が顔を向ける。
中央の持球者が潮核を離した。手足と胸の青が消える。
潮核だけが、流れの弱い側へ落ちた。
次の瞬間、島影の奥で青い線がついた。
みなみの右手。
両足。
胸。
潮核を受け取った体が、岩礁の横から出てくる。
心春は渚から離れ、島影へ戻ろうとした。一蹴りでは届かない。
みなみは潮核を胸元へ引いた。弱流から収束する水へ入った瞬間、腰だけが南西へ持っていかれる。
潮核が右腕から外れかけた。
左手で抱え直す。
赤い発光ラインが近づく前に、みなみは体を沈めた。
青い光が、ゴールゾーンへ入る。
得点ブザーが鳴った。
スコア:忠海中央高校 1-三原中央高校 0
残る三つの潮核は動き続けている。
みなみは浮上しない。ゴールゾーンの下から体を起こし、島影へ戻った。
別の場所では、忠海中央の上級生が潮核を保持している。
陽の手が発光ラインへ届く。
一秒。
持球者は陽を引いたまま、沖側へ流れた。七海は別の青を追っている。渚も収束流の近くから戻れない。
二秒。
心春が陽へ寄る。
その背後で、光っていない忠海中央の選手が島影へ入った。
今度は、みなみではない。
心春が息継ぎに顔を出した。
「戻って! 島影!」
遥香の声を受け、心春が進路を変える。
持球者の青が消えた。
島影の反対側で、別の手足と胸が青く光る。
心春は受け手へ向かった。
その一歩で、陽との間が空いた。
忠海中央は島影の選手へ運ばない。受け取った選手はすぐ潮核を戻し、陽と心春の間へ流した。
中央の上級生が受け取る。
渚が戻る。
発光ラインへ手を伸ばすが、収束流が腰を南西へ引いた。指先が胸の線を外れる。
七海が沖側の潮核から離れた。
中央へ向かう。
一度、岩礁側へ流される。
両腕で水を押す。
もう一度蹴る。
持球者がゴールゾーンへ入る前に、七海の手が左足の発光ラインへ重なった。
一秒。
持球者は進まない。七海を引いたまま、島影側へ横に流れる。
二秒。
陽が内側へ戻る。渚も正面へ入った。
三秒。
青い発光ラインが消えた。
落ちた潮核を心春が拾う。手足と胸に赤い線がつく。
正面には忠海中央の上級生。
心春は渚へ顔を向けた。
渚は収束流へ入っている。
心春は出さなかった。
渚が戻る場所へ潮核を流し、すぐに手を離す。赤い発光ラインが消えた。
渚が受け取るより先に、忠海中央の選手が軌道を外へ押した。
青い線が一瞬つき、消える。
潮核は区画の外へ流れた。
三原中央の得点にはならない。
それでも、忠海中央の二点目も入らなかった。
次の攻防では、心春は渚についていかなかった。
渚が収束流へ向かう。
心春は、渚が戻る側へ残る。
光っていない選手が島影へ入っても、追わない。
忠海中央の持球者が潮核を離す。
島影の奥で青がついた。
心春は受け手ではなく、その内側へ入った。
進路が一つ消える。
みなみが外側へ走り、別の上級生が中央を埋めた。
忠海中央は無理に運ばない。潮核を浅い側へ戻し、残る別の一つへ形を移した。
止めても、崩れない。
誰が島影へ入るかだけが変わっていく。
第1ピリオド終了のブザーが鳴った。
スコア:忠海中央高校 1-三原中央高校 0
岸へ戻ると、遥香はゴーグルを外しながらホワイトボードへ向かった。
優奈のノートには、忠海中央の五人の名前ではなく、五つの丸が並んでいる。
「持っている人を隠していません」
遥香が四つの丸を青で囲んだ。
「持つ前の人?」
「はい。光る前に島影へ入っています」
優奈がページをめくった。
「持っていない人が、毎回違います」
「みなみだけじゃないんじゃね」
花が忠海中央のベンチを見る。
みなみは上級生の話を聞きながら、島影の出口を指でなぞっていた。先制した選手を囲む者はいない。
「一人を見ても、次は変わります」
優奈は五つの丸を順に結んだ。
結が遥香を見る。
「全部の青を見たらええん?」
「全部を追ったら遅れます」
遥香は区画図にある島影を囲んだ。
「見るのは、島影から出られる場所だけです」
「三つ?」
「はい。内側、中央、岩礁側。誰かが息継ぎに上がった時に、空いている出口を伝えてください」
「青が消えた方じゃなくて?」
「次につく方です。ただし、島影へ入る人が本命とは限りません」
結の指が止まった。
「囮にもするんじゃね」
「去年と同じです」
遥香は磁石を二つ動かした。
心春から花。
遥香から結。
第2ピリオドは、陽、渚、七海、花、結。
「心春は、渚さんが戻る場所を残せていました」
「でも、取れませんでした」
「次に使います」
心春は頷き、濡れた髪をタオルで押さえた。
花が海へ向かう。
「三十分じゃろ」
「今のところは」
「今のところって何」
「使える時間が減れば変えます」
「減らさんけえ」
「そういう話ではありません」
花は口を閉じ、ゴーグルを下ろした。
第2ピリオド開始の笛が鳴る。
新しい四つの潮核が区画へ入った。
忠海中央は、また四人で四つを拾った。
四か所に青い発光ラインがつく。
結は青を追わない。
水面から、島影にある三つの出口を見る。
陽が中央へ潜る。
渚は南側の収束流。
花が岩礁側の持球者へ触れ、七海は沖側へ走った。
島影へ入ったのは、みなみだった。
みなみの足が、岩礁の手前で一度止まる。
入らない。
四つの青も消えない。
結は待った。
陽が中央の持球者へ近づく。持球者は弱流へ入り、速度が落ちていた。
陽が息継ぎに顔を出す。
「陽、中央は追わんで!」
陽は一度だけ中央を見て、別の青へ向きを変えた。
花は岩礁側の青へ接触を続ける。渚も収束流から戻らない。七海だけが、弱流へ入った青を振り返った。
中央の持球者が潮核を離す。
青い発光ラインが消えた。
潮核は島影へ向かわず、流れの弱い場所へ残った。
持球者はそのまま別の攻防へ移る。
捨てた。
三原中央の四人も、残る三つへ向かった。
弱流の潮核だけが、浮標の外へ近づいていく。
七海が息継ぎに上がった。
「七海、後ろ!」
結の声に、七海が振り返る。
次の青へ向けていた体を反転させた。
岩礁から戻る水が胸へ当たり、進路が外へずれる。
両足を蹴る。
一度。
もう一度。
潮核が区画の外へ出る前に、七海の右手が届いた。
胸と手足に赤い発光ラインがつく。
忠海中央の五人は、すでに残る三つへ散っている。
七海の前に、誰もいない。
長く持たない。
収束流の手前へ潮核を流す。赤い発光ラインが消えた。
渚が下から入る。
収束する水が潮核の底を押し、予定より速く南西へ運んだ。
渚は抱えない。
両手で軌道を中央へ変える。
赤い線が一瞬つき、消えた。
花が受け取る。
胸と手足に赤い発光ラインがついた。
忠海中央の上級生が左足へ触れる。
一秒。
花はゴールゾーンへ向く。
島影から戻る水が右肩へ当たり、上半身だけが内側へ押された。潮核が胸元から外れかける。
左腕で挟む。
二秒。
正面には別の忠海中央の選手。
花は右足を蹴らない。
触れられた足を残し、左足と両腕だけで体を沈める。
青い手が胸元へ伸びた。
赤い発光ラインが、ゴールゾーンへ入る。
得点ブザーが鳴った。
スコア:忠海中央高校 1-三原中央高校 1
花は浮上しない。
残る三つの潮核へ向かう。
七海も弱流から戻り、次の持球者の外側へ入った。
忠海中央は同点になっても配置を変えない。
みなみが、もう一度島影へ向かう。
発光ラインはない。
結は三つの出口を見る。
みなみの右足が岩礁の手前で止まった。
一秒。
結の視線も、そこへ残った。
みなみは島影へ入らない。
反対側で、一つの青い発光ラインが消えた。
その選手が潮核を離し、島影とは逆の岩礁裏へ潜る。
結が顔を向ける。
別の持球者が潮核を横へ流した。青い発光ラインが消え、岩礁の裏で手足と胸に新しい青がつく。
みなみはまだ、島影の手前にいる。
光っていないまま、結を見上げていた。
受け取った上級生がゴールゾーンへ向かう。
陽が正面へ入る。
岩礁から返る水に腕を押し上げられ、指先が胸の線を外れた。
陽が息継ぎに顔を出す。
「陽、内側!」
結の声が飛ぶ。
陽が潜り直し、内側へ回る。
花が外側から持球者の足へ触れた。
一秒。
持球者は花を引いたまま、弱流へ入る。
二秒。
速度が落ちる。
渚が収束流の側から戻った。
三秒。
青い発光ラインが消えた。
落ちた潮核へ陽が触れる。赤い線が一瞬つき、潮核がゴールゾーンの外へ転がった。
七海がさらに外へ押す。
赤い発光ラインが一瞬つき、消える。
得点にはならない。
結は水面から、まだ島影の手前にいるみなみを見た。
止まった一秒。
入るための確認だけではない。
見させるためにも使っている。
次の攻防では、みなみは止まらなかった。
別の一年生が島影へ入り、上級生が沖側へ走る。
忠海中央の五人が、順番に光る前の一人になる。
結は息継ぎに上がった選手へ、短い声だけを飛ばした。
「島影!」
「戻って!」
「岩側!」
陽は危険の少ない青から離れる。
渚が収束流を塞ぎ、花が三秒を取り、七海は捨てられた潮核が残っていないかを見る。
失点はしない。
潮核も奪い切れない。
第2ピリオド終了のブザーが鳴った。
スコア:忠海中央高校 1-三原中央高校 1
岸へ戻ると、優奈のノートには四つの項目が並んでいた。
【光っている四人】
【光っていない一人】
【島影の出口】
【捨てられた潮核】
「次に光る人は、決まってません」
優奈が言った。
結はタオルを頭へかぶせたまま、ノートを見る。
「全部追ったら、また使われる」
「はい」
「追わんかったら?」
「七海が拾ったみたいに、残ることがあります」
遥香はホワイトボードの七海の磁石を外した。
同じ場所へ、凪の磁石を置く。
第3ピリオド。
凪。花。陽。渚。結。
「七海さんは、ここまでです」
「まだ動けます」
「交代したら戻れないので、ベンチから見てください」
七海は一度だけ凪の右足を見た。
「拾ってきたけえ、使ってください」
「うん」
凪は立ち上がった。
右足へ体重を乗せる。
一度だけなら、強く蹴れる。
海には、四つの潮核が入る。
四つを全部追う足はない。
「全部の潮核を追わないでください」
遥香が言った。
凪はホワイトボードの四つの丸を見る。
「どれを見るの?」
遥香は、丸を一つ消した。
「見る方ではなく、捨てる方を決めてください」




