表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮球  作者: カミツキ
3年目の海

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
78/91

第78話 初めての

高架を電車が通るたび、石庭の天井から低い音が落ちてきた。


 座敷の中央では、鉄板の上で肉と野菜が焼けている。イカの卵焼きに脂が染み、湯気がポン酢の匂いを押し広げていた。


「尾道に勝ったんよね」


 結が言った。

 花が肉を裏返す。


「三回目じゃけど」

「まだ分からんのんよ」

「何が?」

「勝ったことが」


 結はスマートフォンを開いた。試合結果の画面には、何度見ても同じ数字が並んでいる。


【尾道高校 2-三原中央高校 3】


「ほら」

「分かっとるって」


 花は焼けた肉を芽衣の皿へ置いた。


「花先輩の決勝点、二秒でした」

「それも何回言うん」

「花先輩が三秒ぎりぎりみたいに話すけえです」

「二秒も三秒も変わらんじゃろ」

「一秒違います」


 芽衣は左手で箸を持ったまま、右肩を上げなかった。


 向かいでは、渚が大盛りのご飯をもう半分まで減らしている。優奈は膝の上へノートを開こうとして、遥香に閉じられた。


「食べてからにしてください」

「忘れるかもしれません」

「来島さんのこと?」

「最後、誰を見ていたかです」

「全員じゃろ」


 七海が優奈の皿へ野菜を乗せた。


「見とった本人より、食べてない優奈の方が先に倒れるよ」

「倒れませーん」

「なら食べんさい」


 優奈はノートを座布団の横へ置いた。


 心春が鉄板の端に残った玉ねぎを取る。陽は隣で、焦げかけたキャベツを黙って自分の皿へ移していた。


「陽、それうちの」


 花が箸を伸ばす。


「焦げとる」

「焦げる前に取ろうとしとったんよ」

「もう焦げとる」


 陽はそのまま食べた。


 凪はポン酢の小鉢を見た。


 試合が終わってから、何度も同じ数字を見た。帰りの電車でも、石庭へ入ってからも、結が画面を開くたびに尾道の名前があった。


 去年は、その下に三原中央がいた。


 今は、上にいる。


 右足を座布団の外へ伸ばす。ふくらはぎの奥には、薄い硬さが残っていた。鉄板の熱が足元まで届いても、海の冷たさはまだ消えない。


「澪さんにも言おうや」


 結がスマートフォンを伏せた。


 鉄板の上で、脂が弾けた。


「尾道に勝ったん、初めてじゃん」

「結が電話すればええじゃん」


 花が新しい肉を並べる。


「凪がするんよ」

「なんで私?」

「凪が言う方がええけえ」


 結はそれ以上説明しなかった。


 凪はスマートフォンを取り出した。連絡先を開くと、澪の名前は前と同じ場所に残っている。


 発信を押した。

 呼び出し音は、一度で止まった。


『なに』

「澪さん」

『うん』

「今日、尾道に勝ちました」

『知っとる』


 凪の指が、スマートフォンの縁で止まった。


「知ってるんですか」

『見に行っとったけえ』

「来てたんですか」

『今、石庭におるん?』

「はい」

『じゃろうね』


 入口の引き戸が開いた。

 外の冷たい空気が、暖簾を内側へ揺らした。


 澪が、スマートフォンを耳に当てたまま立っていた。


「そこ、詰めて」


 電話からではない声が、座敷まで届いた。


 凪はスマートフォンを耳から離せなかった。


 入口に立つ澪の輪郭が、店の照明の下で一度滲んだ。


 結の箸が、皿の縁から畳へ落ちた。


「澪さん、遅いんよ」


 笑っていた声の最後が細くなる。結は落ちた箸を拾おうとして、手の甲で目の端を擦った。


 花は鉄板へ顔を向けたまま、同じ肉をもう一度裏返した。


「それ、さっき返したよ」


 陽が言った。


「分かっとる」

「また返した」

「分かっとるって」


 花は箸を置き、手首で目の下を拭った。


 陽は湯飲みを持ち上げた。飲まずに口元へ置き、目を二度閉じる。


「煙」


 結が鼻をすすった。


「陽のとこ、煙行ってないじゃん」

「来た」

「どこから」

「鉄板」


 渚の箸が止まっていた。


 大盛りのご飯を抱えたまま、入口を見ている。澪と目が合うと、口元だけを上げ、顔を茶碗へ戻した。


 遥香は一度息を吸った。


「お久しぶりです」


 声は普段と変わらなかった。けれど、湯気の向こうで目元が濡れていた。


 芽衣は右肩を動かさないまま、左手で自分の皿を寄せた。


「ここ、空いてます」


 優奈、七海、心春が、何も言わずに座る位置をずらした。渚も大盛りのご飯を抱えて一人分横へ移る。


 澪は靴を脱ぎ、空いた場所へ座った。


 店主が奥から新しい皿と箸を持ってくる。


「来たんか」

「来ました」

「最初から来りゃええのに」

「試合があったけえ」


 店主はそれ以上聞かず、澪の前へ皿を置いた。


 花が肉を二枚乗せる。


「見に来とったんなら、終わった時に声かけてくれたらよかったじゃん」


 澪は一枚を花の皿へ戻した。


「今日は、うちが入る日じゃないけえ」


 花の箸が止まった。


 結が澪の前へ野菜を置く。


「石庭には入るんじゃ」

「打ち上げじゃけ」

「勝手じゃね」


 結が笑い、また目元を擦った。


 澪は割り箸を割った。


「最後、潮核を取りに行っとらんかったね」


 凪はスマートフォンを机へ置いた。


「詩織さんを、一つ外へ出したかったので」

「来島も?」

「渚が空けた場所へ動くと思いました」

「見えた」


 澪は花の皿から戻ってきた肉を取った。


 褒められたわけではない。けれど、凪が海の中で選んだことは、岸からも見えていた。


 鉄板の音が戻った。


 渚は澪の分まで取ろうとしたイカの卵焼きを、遥香に箸で止められた。


「一つくらい残してください」

「まだ焼けます」

「澪先輩の分です」

「じゃあ半分」

「一つ残してください」


 陽が残っていた一つを澪の皿へ置いた。


「陽先輩が取った」


 渚が言う。


「澪の」

「分かってます」


 高架を電車が通った。

 皿が細かく震え、湯飲みの表面に輪ができた。


 凪は澪を見た。


「西条付属、前より強くなってました」


 澪はイカの卵焼きを箸で切った。


「それも知っとる」

「見たんですか」

「鏡山が卒業しても、徹底的に鍛えとる」

「鏡山さんとまだ連絡を?」

「色々あってな」

「尾道も、去年と違いました」

「向こうも一年進んどるけえ」


 澪はポン酢をつけた。


「三原中央だけじゃない」


 凪は頷いた。


 尾道には詩織が入った。来島は、自分で一つ外へ行く選手ではなく、誰かをそこへ送る選手になっていた。


 西条付属も、鏡山が抜けた場所を空けたままにはしていない。


 卒業しても、次の選手が入る。


 澪が座っていた場所にも、今は別の形がある。


「澪さん」


 結が皿を持ったまま顔を上げた。


「また見に来るん?」

「時間が合えば」

「連絡してよ」

「なんで」

「探すけえ」

「試合見んさい」

「見ながら探す」


 花が結の皿へ肉を置いた。


「今度は泣かんようにね」

「花もじゃろ」

「煙」

「陽の取るんじゃないんよ」

「うちも煙」

「二人とも鉄板から遠いじゃん」


 澪は肉を食べながら、座敷の七人を順に見た。


 凪。

 花。

 結。

 陽。

 渚。

 遥香。

 芽衣。


 去年まで、澪と同じ海へ入っていた七人。


 今は澪だけが、鉄板の向こう側に座っている。


 それでも、結が勝手に澪の皿へ野菜を足し、花が焦げた肉を押しつけ、陽が黙って別の肉と交換する。


 渚がイカの卵焼きへ箸を伸ばし、遥香に止められる。芽衣は空いた皿を澪の近くへ寄せた。


 優奈たちは、そのやり取りを見ながら席を詰めていた。


 凪はポン酢の小鉢を置いた。


「澪さん」

「なに」

「勝ちました」


 澪は箸を止めなかった。


「知っとる」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ