第74話 勝った、よ
佐木島沖は、風がなかった。
前に竹原第一とここで戦った日は、白い泡が水面を横へ走っていた。今日は浮標の旗も垂れ、島影から出た流れだけが、区画の中央へ細い筋を作っている。
凪は岸壁へ片膝をつき、右手を水へ入れた。
表面は日を含んでいる。指を沈めると、その下を冷たい水が外側へ引いた。
浅い筋は島影に沿って西へ抜ける。深い筋は区画の外側へ膨らみ、ゴールゾーンの手前で浅い方へ寄ってくる。
二つが触れる場所では、手首と指先が別々に引かれた。
花は水際のホワイトボードを見ていた。
【地区予選第4戦】
【竹原第一高校-三原中央高校】
【三原中央高校 二勝一敗】
【未対戦】
竹原第一高校
尾道高校
忠海中央高校
心春の指が、三校の名前を上から下へ動いた。
「今日落としたら、自分らが残りを勝つだけじゃ足りんくなるん?」
「はい。ほかの高校の結果次第になる可能性があります」
「上二つしか行けんもんね」
「今日勝てばええじゃろ」
花は手袋の端を引いた。
遥香が未対戦の欄から目を離し、その横へ第1ピリオドの五人を書く。
【凪】
【陽】
【渚】
【芽衣】
【優奈】
最後まで書かれても、花の名前はなかった。
その下に、結の名前もない。
「うち、入らんの?」
「第2ピリオドからお願いします」
「戻ったんじゃけど」
「今日は、戻った人から順番に入れる試合ではありません」
花の眉が動いた。
遥香は優奈の名前へ丸をつける。
「第1ピリオドは水面担当を置きません。優奈さんには、竹原第一の受け手を一人だけ見てもらいます」
「一人だけ?」
「はい。全体は見なくていいです」
優奈は竹原第一の列を見た。
「右側におる人ですか」
「そうです。どのタイミングで受けに出るか、確認してください」
結が横からホワイトボードを覗く。
「うちは?」
「第3ピリオドからお願いします。優奈さんが見つけたものを、全体へ広げてください」
「後半だけ働くんじゃね」
「前半も見ていてください」
「ずっと働くやつじゃん」
花の目が、芽衣の名前で止まった。
「うちは何を見るん?」
「五人全員が水中へ入ったとき、どこが空くかです」
「うちが入る場所?」
「はい」
花は手袋の指を一本ずつ引いた。
「分かった」
向かい側では、竹原第一の五人が二つの流れの出口へ散っていた。
潮核を追ってはいない。
浅い筋と深い筋へ一人ずつ置き、三原中央が片方を塞いでから、もう片方を使う。
前にも見た形だった。
* * *
開始の笛が鳴った。
凪、陽、渚、芽衣、優奈が潜る。
水面には、誰も残らない。
最初に動いた潮核を、竹原第一が拾った。
持球者の胸と手足に青い発光ラインがつく。浅い筋へ乗り、芽衣が右足へ触れた。
一秒。
持球者の肩が深い側を向く。芽衣も離れない。渚が外側へ寄り、深い筋へ出る潮核を待った。
優奈が見ていた受け手も動く。
深い方へ。
優奈の足が追った。
二秒。
芽衣の手が離れた。
持球者は深い方へ行かない。潮核だけを浅い筋へ戻した。
芽衣、渚、優奈。
三人の視線が、深い側へ残った。
島影に沿った水が、反対側まで潮核を運ぶ。
陽が一人で待っていた。
竹原第一の選手がその外側で受け取る。胸と手足に青い発光ラインがついた。
陽の足が反転する。
凪は深い筋から内側を狙った。
冷たい水が右足首へ巻きつき、下半身を外へさらう。蹴り直した一回で、陽との間が開いた。
届かない。
竹原第一の選手が潮核を抱えたまま、ゴールゾーンへ沈んだ。
スコア:竹原第一高校 1-三原中央高校 0
花の右手が、膝の上で開いた。
芽衣は深追いしていない。渚も深い側の受け手を消していた。優奈も、指示された一人から離れていない。
目の前は、誰も間違えていなかった。
反対側だけが空いていた。
残る三つの潮核へ、三原中央が先に触れる。
芽衣が持球者の内側を消し、渚が外へ出る潮核を追う。優奈は右側の受け手だけを見続けた。
局地では、竹原第一より一人多い。
持球者へ触れるまでが速い。落ちた潮核にも、三原中央の手が先に届く。
奪ったあとが続かなかった。
全員が水中にいる。
誰も、反対側を教えない。
凪が潮核を拾うと、芽衣も渚も受け取れる距離へ寄った。陽も浅い筋へ出る。
三人とも近い。
遠い出口には、誰もいない。
竹原第一は、三原中央の集まった場所を避けて外側へ戻る。
浅い筋から深い筋へ移るたび、凪の右足が冷たい水に持っていかれた。受け取る場所へ着いても、次の一蹴りが遅れる。
竹原第一は、その一回で出口を塞ぐ。
第1ピリオド終了のブザーが鳴るまで、三原中央はゴールゾーンへ入れなかった。
五人が岸へ戻る。
芽衣は右肩を水面から出さないまま、梯子へ手を掛けた。優奈はその後ろで息を整えながら、向かい側を見ている。
花が二人の横を通り、ホワイトボードの前へ立った。
遥香が【反対側】と書く。
「花さん、どこが空いていましたか」
「全員、近い方しか見えとらんかった」
「はい」
「外を消しても、逆が空く。結がおらんけん、誰も言わん」
花は陽を見た。
「うちが陽と替わる」
「お願いします」
「芽衣は残すんじゃろ」
「はい」
「分かっとる」
陽がゴーグルを外した。
「外、頼んだよ」
「任せて」
花は水際へ向かう。
芽衣が隣へ並んだ。右肩には、薄いテープが残っている。
「二秒で離すん?」
「相手と、あんたの場所次第」
「昨日と違いますね」
「昨日は練習じゃろ」
花はゴーグルを下ろした。
「今日は勝つんよ」
第2ピリオド。
凪、花、渚、芽衣、優奈。
水面には、まだ誰もいない。
花の体が水へ沈むと、浅い筋が左腰を西へ押した。風がない分、水の向きが崩れずに体へ来る。
竹原第一が先に潮核を拾った。
青い発光ラインが深い筋へ沈む。花は正面から詰め、持球者の左足へ手を重ねた。
一秒。
持球者の腰が内側へ入る。芽衣はまだ遠い。深い水に押された体が、花との間へ一人分の隙間を作っていた。
二秒。
花は手を離した。
持球者が内側を抜ける。
芽衣の指先が、その進路を消す。
花の判断は間に合っていた。
竹原第一は、二人の外へ潮核を流した。
優奈が見ている選手ではない。
別の受け手が浅い筋へ出る。
渚の足が追う。
一歩遅い。
青い発光ラインが凪の横を抜けた。
ゴールゾーンの手前。
凪の右手が潮核へ伸びる。
浅い水が胸を西へ押す。深い水が右足を外へ引く。
上半身だけが先に流れた。
指先が潮核の端へ触れる。
赤い発光ラインが一瞬つき、すぐ消えた。
軌道を外れた潮核が、枠の横を通り過ぎる。
花は浮上しなかった。
浅い筋へ押されるまま、芽衣と渚の位置を見る。
近い方は消えていた。
見えなかった方へ出された。
次の潮核を竹原第一が持つ。
今度は浅い筋。
花の手が右足へ重なる。持球者の体が外へ膨らみ、花の腰へ入った水が下半身を島側へ押した。
一秒。二秒。
芽衣はまだ内側へ届いていない。
花の手は残った。
持球者が深い筋を選ぶ。花の肩が水に引かれ、指先が発光ラインの端へずれる。
芽衣の左手が内側の水を掴んだ。
三秒。
青い発光ラインが消えた。
潮核が持球者の手から落ち、深い筋へ沈む。
凪の足がその先へ出た。
浅い筋は西へ抜ける。深い筋は外へ膨らんでから戻る。
二つが寄る前なら、竹原第一より先に触れられる。
凪は深い側から潮核を掴んだ。胸と手足に赤い発光ラインがつく。
予測した位置より、半歩外。
冷たい水が右足首を引き、胸の前へ収めた潮核が左脇へずれた。竹原第一の手が凪の右足へ重なる。
一秒。
浅い筋の先に花がいる。
芽衣も内側にいる。
渚は外。
優奈も、見ていた受け手の前へ出ていた。
出せる場所が多い。
凪の指は開かなかった。
自分で境目を越えれば、その全部を残したまま前へ出られる。
二秒。
右の太腿が縮む。
蹴る。
浅い水に押された胸だけが前へ出た。触れられた右足は深い側へ残る。体が開き、花への線が消えた。
竹原第一の別の選手が、凪の正面へ入る。
水面から知らせる声はない。
凪には、その一人が遅れて見えた。
左手で潮核を押し出す。
花には届かない。
誰もいない浅い筋へ流れる。
竹原第一の手が伸びた。
その前へ、花の体が滑り込む。
潮核の下へ手のひらを入れ、軌道だけを持ち上げる。赤い発光ラインが一瞬つき、すぐ消えた。
潮核は浅い筋を西へ流れる。
凪の右足から竹原第一の手が外れた。
深い側から、潮核の先へ。
一度目より息が足りない。顔を上げずに二度蹴る。潮核をもう一度掴んだ。
竹原第一の二人は、芽衣と渚に前を切られている。
凪は潮核を抱えたまま、ゴールゾーンへ沈んだ。
スコア:竹原第一高校 1-三原中央高校 1
浮上した凪の胸は、一度では広がらなかった。水を吐き、二度目で息を入れる。
花は凪を見ず、もう次の潮核へ向かっていた。
残る潮核は、両校とも運び切れなかった。
第2ピリオド終了のブザーが鳴った。
優奈は梯子を上がると、ゴーグルを額へ押し上げた。
息が戻る前に、竹原第一の右側を指す。
「あの人、受け取る前だけ、二回目の蹴りが浅くなります」
「毎回?」
結が聞いた。
「三回続きました」
「ほかは?」
「見れてない」
優奈の指が下がった。
結はゴーグルを目元へ下ろす。
「一人でええよ。残りは、うちが見る」
遥香が交代表へ名前を書く。
【優奈→結】
【渚→心春】
結が水面担当。
凪、花、芽衣、心春が水中へ入る。
「第3ピリオドは、優奈さんが見つけた受け手を結さんが確認してください。心春さんは反対側に残ってください」
「花ちゃん、うち見失わんでね」
「見えとるよ」
「水ん中でも?」
「見える位置におってや」
「それなら任せて」
第3ピリオド。
結が水面に残った。
四人の赤い発光ラインと、竹原第一の五人。
浅い筋。深い筋。
どちらへ人数が寄ったか、上からなら一度に見える。
竹原第一の持球者が深い筋へ肩を見せる。
花の手が足へ触れた瞬間、潮核だけを外へ流した。
心春は追わない。
反対側へ残る。
優奈が見ていた受け手が、深い側で一度蹴った。
二度目。
浅い。
結の手が水面を二度叩く。
水中へ泡が落ちた。
凪の目が、その受け手へ向く。
竹原第一の選手は潮核を受け取らなかった。
浅くなった二度目の蹴りは、囮だった。
手のひらだけが潮核の下へ入る。
青い発光ラインが一瞬つき、すぐ消えた。
浅い方へ押し戻されたように見える。
結の視線も、優奈が見つけた一人に残った。
凪の足が先に内側を取る。
潮核は上がらない。
境目の下。
冷たい水。
深い側。
竹原第一の別の選手が、凪の背後で受け取った。
胸と手足に青い発光ラインがつく。
凪の腰が反転する。
一度目の蹴りは浅い水に押し流された。二度目で深い側へ戻る。
その二回。
芽衣の右肩も水を押せない。左手で掻き、内側へ腰を寄せる。距離は縮まらない。
竹原第一の選手が潮核を抱え、ゴールゾーンへ沈んだ。
スコア:竹原第一高校 2-三原中央高校 1
凪は浮上した。
結も優奈の方を見た。
優奈は岸で、右側の受け手から目を離していない。
見つけた癖は、合っていた。
竹原第一が、その癖を見せたまま別の選手を使った。
次の潮核。
結の手が、反対側を指した。
心春がそこへ残る。
花が持球者へ触れ、芽衣が内側を消す。竹原第一は優奈が見つけた受け手へ一度見せてから、深い側へ潮核を戻した。
凪の足が先に動く。
足元の冷たい流れが強まり、右膝を外へ開いた。潮核を正面で受けられない。
竹原第一の手が先に伸びる。
凪は潮核の下へ指を入れた。
浅い方へ押す。
赤い発光ラインが一瞬つき、すぐ消えた。
花が二つの筋の間に残っている。
潮核を掴む。胸と手足に赤い発光ラインがついた。
正面には竹原第一の一人。
花は押し切らない。深い側から戻った凪へ浅く流した。
花の発光ラインが消え、凪の胸と手足に赤い発光ラインがつく。
凪は境目を捨てた。
浅い筋の出口で受け取り、ゴールゾーンの外側を抜ける。
潮核を抱えたまま、その内側へ沈んだ。
スコア:竹原第一高校 2-三原中央高校 2
残る潮核を、竹原第一は区画の外へ逃がした。
第3ピリオド終了のブザーが鳴る。
花が水面へ顔を出した。
息を吸っても、胸の奥が遅れて広がる。右の太腿に力を入れ直さなければ、岸へ向けた体が浅い筋へ流された。
芽衣も肩で息をしている。右腕は水面より上へ上がらない。
花は岸へ戻りながら、その肩を見た。
「まだいける?」
「花先輩は?」
「聞いたの、うちじゃけど」
「いけます」
「じゃあ、うちも」
結は水面へ残ったまま、優奈を見た。
「二回目、浅かったよ」
「でも、受けませんでした」
「そこから変えてきたんじゃろ。一個見えたけん、変えたのも見えた」
優奈が頷いた。
凪は梯子へ手を掛けたまま、境目を見た。
二つの流れは、同じ場所を通っている。
右のふくらはぎが張り、つま先を伸ばすと細く震えた。
遥香は交代表へ手を伸ばさなかった。
「同じ五人で行きます」
第4ピリオド。
竹原第一は中央の二本へ一人ずつ置いた。
三原中央も動かない。
水面には結。
浅い側に心春。
内側に芽衣。
持球者へ花。
境目に凪。
最初の潮核を竹原第一が浅い筋へ運んだ。
花の手が持球者の左足へ重なり、芽衣の体が内側の線を塞ぐ。
結の手が外側を指す。
心春は動かない。
流された潮核の先へ、竹原第一の受け手を入れさせなかった。
竹原第一は無理に通さない。
潮核を区画の外へ逃がした。
二つ目を三原中央が拾う。
凪が深い筋から花へ流した。花は正面の選手へ左肩を入れ、ゴールゾーンへ体を向ける。
右足に手。
一秒。
芽衣はまだ内側へ届いていない。
二秒。
花の指が開きかける。
結の手が、まだ、と水面で止まった。
浅い筋が花の左肘の下へ入る。
潮核が腕の外へ押し出され、指先から抜けた。
竹原第一が拾う。
花の腰が反転する。
浅い水が横から押し返す。
一蹴り。
戻らない。
二蹴り目で、ようやく相手の後ろ。
凪も戻る。
右足を蹴るたび、ふくらはぎの奥が細く縮んだ。
竹原第一は深い筋へ潮核を流す。
結の腕が反対側へ振れる。
心春が受け手との間へ体を置く。
潮核は内側へ戻った。
芽衣の左手が水を掴む。
右肩は遅れたまま。
腰だけが内側を向く。
竹原第一の選手が先に潮核を掴んだ。
胸と手足に青い発光ラインがつく。
ゴールゾーンへ近づく。
花の手が足へ重なる。
一秒。
持球者は花を引いたまま、深い筋へ沈んだ。
冷たい水が花の腰へ食いつく。腕と胴体の間が伸びる。
二秒。
芽衣の左手が内側の水を掴んだ。
持球者の手から、潮核が離れる。
ゴールゾーンの反対側。
心春は浮いたまま。
右のふくらはぎが縮む。
使えない。
左足。両腕。
水の壁。
押しても、胸だけが前へ出る。
空気がない。
水面。
潮核。
枠。
三つ。
左足がもう一度縮んだ。
体が進む。
手。
届かない。
潮核の下へ、指先。
水圧が手首を折る。
押す。
発光ライン。
赤。
一瞬。
消える。
潮核は枠の上を越え、冷たい筋へ落ちた。
得点にはならなかった。
凪は水面へ上がった。
口を開く。
水。
顔を横へ向けて吐く。
吸う。
胸の奥まで入らない。
花と芽衣も浮上した。
「残り一分二十秒」
結の声が届いた。
右足を伸ばす。
硬い。
ふくらはぎの奥。細い震え。
境目に竹原第一。
浅い出口にも一人。
潮核は中央。
次に沈む場所も見える。
取れる。
凪の右足が先に縮んだ。
体が境目へ出る。
浅い水が左腰を押す。
深い水が足首を奪う。
上と下が、別々に流れる。
潮核。
相手。
その向こう。
花。
まだ遠い。
芽衣。
右肩を残したまま、内側へ来る。
心春。
外の受け手を塞いでいる。
水面。
結の腕は、動いていない。
まだ。
凪の足が止まった。
潮核ではなく、三人を待つ。
竹原第一も動かない。
凪が先に掴めば、触れる。
花が先に出れば、内側が空く。
どちらかが答えを出すまで、待っている。
花の腰が浅い筋へ乗った。
芽衣の左手が水を掴む。
心春の体が外側の線を塞ぐ。
結の腕が下りた。
三つの位置が揃った。
潮核が傾く。
今。
水の下へ手を入れる。
沈む重さ。
手首へ乗る。
押し上げる。
花へ。
潮核が浅い筋へ乗った。
花は追わない。
水が運ぶ場所で受け取る。
胸と手足に赤い発光ラインがついた。
正面に一人。
右足に手。
一秒。
浅い水が左腰を押す。
右足だけが残る。
上半身が先に出た。
二秒。
太腿がもう一度、水を蹴ろうと縮む。
その前を、芽衣の左手が通った。
右肩は上がっていない。
それでも、受け取れる位置にいる。
花の指が開いた。
赤い発光ラインが消える。
潮核は正面の選手の足元を抜け、浅い筋へ乗った。
泡。
潮核が消える。
右肩は動かない。
芽衣の左手が水を掴む。
腰が泡の先へ押し出される。
指先に、硬い感触。
掴む。
胸と手足に赤い発光ライン。
深い水が右腰へ食いつく。
ゴールゾーンが横へ逃げる。
左腕。
両足。
縮む。
進む。
まだ遠い。
もう一度。
水の壁が胸へ当たる。
押し返す。
竹原第一の手が背後から伸びる。
凪の体が境目から浅い筋へ出た。
右足は使えない。
両腕が水を押す。
肩が相手の前へ入る。
花の右足から手が外れた。
正面を塞いでいた選手との間に、花の体が残る。
芽衣の前だけが空いた。
左手が水を掴む。
潮核を抱えた体が、ゴールゾーンへ沈んだ。
芽衣の発光ラインが赤く沈む。
得点ブザーが鳴った。
スコア:竹原第一高校 2-三原中央高校 3
芽衣が浮上した。
時計は残り十八秒だった。
深い筋の外側には、まだ潮核が一つ残っている。
竹原第一が最後の攻撃へ動いた。
凪は境目へ戻ろうとした。右足を蹴るたび、ふくらはぎが細く縮む。
花も浅い筋へ戻ろうとしたが、最初の一歩を水に押し返された。
竹原第一の持球者が深い筋へ入る。
花の手が足へ重なった。
一秒。
芽衣の左手が内側の水を掴む。
二秒。
花の手が離れた。
持球者は外へ逃げる。
そこには心春がいる。
内側には芽衣。
境目には凪。
水面から、結の手が外側を切った。
潮核を出せない。
試合終了の笛が鳴った。
花の手が水中で止まる。
竹原第一の青い発光ラインが消えた。
スコア:竹原第一高校 2-三原中央高校 3
芽衣が花の隣へ来た。
左の手のひらが、花の右手を一度叩く。
「最後、二秒?」
「二秒です」
「なら、合っとる」
花も叩き返した。
凪は水面で右足を伸ばした。
ふくらはぎは硬いままだった。
岸へ戻った結が、優奈の肩を一度叩く。
「二回目、浅かったよ」
「でも、途中から使わなくなりました」
「使わせんかったんじゃろ」
優奈は向かい側の竹原第一を見たまま、ゴーグルを外した。
遥香がホワイトボードの戦績を書き換える。
【三原中央高校 三勝一敗】
未対戦の欄から、竹原第一の名前に線が引かれる。
【尾道高校】
【忠海中央高校】
心春が二校を見比べた。
「どっちが先なん?」
「前日の連絡まで分かりません」
「どっちも嫌じゃね」
花は濡れた手袋を外し、道具鞄へ入れた。
「今日の相手は、もう残っとらんじゃろ」
ホワイトボードには、二校だけが残った。
* * *
夜。
花は道具鞄を部屋の隅へ置いた。
仏壇の横には、赤いだるまが朝と同じ向きで置かれている。片方の白い目に、部屋の明かりが映っていた。
花は線香へ火をつけた。
細い煙が、写真立ての前を通る。
「勝ったよ」




