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潮球  作者: カミツキ
1年目の海

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7/101

第7話 今日、勝つ

 やっさ祭りから数日が経っても、駅前から港へ続く道には町内会の旗がまだ残っていた。朝の風に揺れるその向こうから、造船所の金属音が届いてきた。


 港の練習区画で、凪はいつもの錆びかけた自販機のボタンを押した。少し遅れて缶が落ちるまでの待ち時間にも、もう慣れていた。


 拾い上げたところへ澪が来て、隣に立った。


「今日、試合前最後の練習じゃ」

「常水館(じょうすいかん)、強いですか」

「泳力がある。正面から取られたら、竹原第一よりしんどい」


 澪は海へ目を向けた。


「でも、あのときより今のうちらの方が上じゃ」


 凪は海を見た。浮標のロープは東から西へ張り、その脇を朝の泡が流れていく。缶を持つ指先に当たる風は、祭りのころより冷たかった。


 澪がホワイトボードに大きく「C」と書いた。


「今日はこれを詰める。Bまで読まれたら、次はC。切り替えの合図も出さん」


 結が眉を寄せた。


「切り替わったって、どうやって分かるん?」

「Bまで読まれたら次。それで決めとく」


 花がボードを見た。


「見るのは前と同じ?」

「うちの位置と、凪が流した潮核。そこだけ見る。始めるぞ」


 五人が海へ入っても、陽の手は上がらなかった。凪が澪の前へ潮核を流すと、花と陽が同時にその軌道へ寄り、肩が重なった。互いに避けたぶんだけ二人の動きが遅れる。


 二回目は、花が澪の位置を見て外へ開くと、陽が凪の流した潮核の先へ回った。今度は二人が重ならず、潮核は陽の前を抜けて澪まで流れた。


 * * *


 浮標で囲まれた競技区画の向こうに、常水館の五人が並んでいた。三原中央より肩幅が広く、水着から出た腕にも厚みがあった。


 審判が潮況ボードを掲げた。


  【本日の潮況】

  時刻:13:00

  方向:東→西 秒速0.45m(やや強め)

  特記:湾央に流れの切れ目あり

     干潮まで3時間・水位低め


 花がボードに目を向けた。


「凪、流れの切れ目って何なん?」

「流れが急に抜ける場所です。そこで、潮核が止まることがあります」


 澪の視線の先で、常水館の一人がほかの四人より半歩前へ立っていた。


「真ん中、小早川」


 小早川は海を見たまま、開始線の前で肩を回していた。


 凪は水面へ目を戻した。水位が下がった浅瀬では流れがいつもより速く、湾央へ向かう途中で水面の揺れが一度ほどけている。


「澪さん」


 澪が振り返った。


「切れ目の手前で待てば、潮核が流れ込んでくるはずです。向こうより先に気づければ」


 澪が海へ目を戻した。


「最初はBでいく。そこ使うぞ」


 開始の笛が鳴り、五人が一斉に海へ入った。


 凪も遅れなかった。


 気づいたのは、冷たさが胸まで来てからだった。


 小早川が潮核へ向かって水を掻くと、一掻きごとに花との差が半身ずつ開いた。陽も斜めから進路へ入ろうとしたが、その前に小早川の手が潮核へ届き、ゼッケンが青く光った。


 花が三秒タッチへ入れる距離まで詰める前に、小早川はそのままゴールゾーンへ沈んだ。


 凪が水面へ顔を出すと、岸の得点板が1対0へ変わっていた。


「速い」


 結の声が落ちてくる。


 次の潮核へ向かうと、陽の右手が動いた。花が浅い側へ開き、正面にいた常水館の選手が一拍遅れてその後を追う。花は先に潮核へ届き、ゼッケンが赤く光った。


 横から伸びた手が肩口へ触れたが、花は浅い流れに足を残したまま身体を前へ運び、二秒になる前に相手の指を外す。そのままゴールゾーンへ入ると、赤い光が沈んでブザーが鳴った。


 凪が息継ぎに顔を出すと、小早川は花ではなく陽の右手を見ていた。次に、花が抜けた浅い側へ顔を向けた。


 残る二つの潮核では得点が動かず、1対1のまま第一ピリオド終了の笛が鳴った。


 第二ピリオドでは、花が正面から進路へ入っても小早川は速度を落とさず、その横を抜けて先に二点目を沈めた。


 陽の右手が横へ動いた。小早川はすぐには動かず、花が浅い側へ切ったのを見てから身体を返す。花が先に潮核を拾い、半拍遅れて小早川がその後ろへ入った。


 花は潮核を抱えたまま浅い流れに足を残した。小早川の指が右肩のゼッケンへ触れ、一秒、二秒と残った。


 三秒になる直前、身体を横へ倒して肩を抜くと、相手の指が離れた。その勢いのままゴールへ入り、赤い光が沈んでブザーが鳴った。


 残る二つもゴールまでは届かず、2対2で第二ピリオドを終えた。


 五分後、第三ピリオドが始まると、凪は水温と泡の動きを追いながら切れ目を探した。足首を押していた水がふっと抜けたのに、泡だけはその先へ流れていく。


 ここだ。


 追わずに待つ。潮核はまだ数メートル先で、肺の方が先に苦しくなった。ここで浮けば、この位置を捨てることになる。凪がもう一度だけ足元の流れを確かめると、潮核がゆっくりこちらへ流れてきた。


 掴んだ瞬間、ゼッケンが赤く光った。


 右後ろから、小早川が距離を詰めてきた。一掻きごとに肩が近づき、背中側の水圧が強くなる。


 それでも、手は沈まなかった。


 浅く。


 凪が澪の前へ浅く流すと、澪が受け取って身体をゴール側へ返した。赤いゼッケンがそのまま水中の枠へ沈み、ブザーが鳴った。


 次に陽の右手が動いたとき、小早川は花が動くのとほとんど同時に浅い側へ切った。


 第二ピリオドにあった半拍の遅れが、消えていた。


 残る三つでは常水館に押し込まれながらも守り切り、2対3のまま第三ピリオド終了の笛が鳴った。


 第四ピリオドに入ると、小早川が一段前へ出た。陽の右手が横へ動くと、今度は花を見なかった。そのまま浅い層へ身体を入れ、一掻きするたびに花との差を詰めていく。凪も斜めから入ったが、二人の間を抜くように小早川の腕が先に潮核へ伸びた。


 もう、確かめていない。


 Bの意味まで、読まれている。


 花と凪が追ったが、小早川の腕が先に潮核へ届いた。青いゼッケンがそのままゴールへ沈み、ブザーが鳴った。


 息継ぎに顔を出すと、岸の残り時間はもう三十秒を切っていた。


 残る三つのうち、切れ目の手前を漂っていた一つへ凪が動くと、小早川も右から沈んできた。


 陽の手は、もう動かなかった。


 C。


 凪が水を蹴り、小早川より半歩先に潮核を掴むと、ゼッケンが赤く光った。


 凪は澪を探した。切れ目の向こう、ゴール側へ半身ずれた位置にいる。


 そこへ直接は届かない。


 水面の泡は切れ目の手前でよどんでいる。それでも足首を抜ける水は止まらず、その下を切れ目の向こうへ抜けていた。


 凪は潮核を浅く沈め、その流れへ乗せた。


 潮核の先で花が受けられる位置へ入り、陽は反対側へ開いた。花の正面に青いゼッケンが一人入り、もう一人も陽へ寄る。その間に、切れ目の向こうにいる澪の前だけが空いた。


 小早川の指先が凪の胸元をかすめたときには、潮核はもう切れ目を越えていた。


 澪が受け、そのままゴールへ身体を返す。潮核を抱えた澪の赤いゼッケンが水中の枠へ沈み、ブザーが鳴った。


 水面へ上がると、岸の得点板は3対4に変わっていた。


 試合終了の笛が鳴った。


「勝ったん!?ほんまに勝ったん!?」


 結の声が水面に響いた。


 花が両手で何度も水面を叩き、跳ねた水が隣の陽まで飛んだ。陽は顔を向けずに空を仰ぎ、澪はゴーグルの奥で目を細めていた。


 凪は水面に浮いたまま、空を見上げた。


 三谷の声が、岸から届いた。


「上がれ」


 岸壁へ上がると足の裏に石畳の硬さが戻り、遅れて膝が震えた。


 息を吸っても、まだ足りなかった。


 夕方の港沿いを五人で歩いた。造船所の金属音にフェリーの汽笛が重なり、潮の匂いを含んだ風は祭りのころより涼しくなっていた。


 しばらく、五人分の足音が港沿いに続いた。


 澪が凪の隣に並んだ。


「今日、入るとき遅れんかったな」

「気づいてました?」

「初めて会った時から、ずっと見とったけんね」


 凪はそのまま海を見て歩いた。


「今日は、お前の海じゃったな」


 花が振り返った。


「来々軒、行く?」

「行く行く!」


 結がすぐ花の隣へ寄り、陽と澪もそのままついていく。花がもう一度凪を見た。


「凪は?」

「行きます」

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