第69話 言いに、来た
放課後の部室には西日が差し込み、窓際の棚に並んだ赤いだるまの影が壁まで伸びていた。開けた窓からは港へ向かう車の音に混じってフェリーの汽笛が届き、机を囲む凪たち九人の前には、遥香が受け取った次戦の案内が置かれている。
扉が開くと、芽衣が椅子から立ち上がった。
「花先輩」
花は部屋に入ると、九人を見回した。昨日公園で会ったときと同じ制服姿だったが、今日は鞄を肩から下ろさず、そのまま扉のそばに立っている。
「昨日、凪には先に話した」
芽衣の目が凪へ動いた。
花はそこには触れず、続けた。
「あれから海行くんもしんどいし、潮球やる気にもなれん。三原におったら、どこ行っても思い出す。じゃけん、退部する」
「嫌です」
花の言葉が終わるより早く、芽衣が返した。
「芽衣」
「嫌です。昨日からずっと考えたけど、やっぱり嫌です」
花が芽衣へ身体を向けた。
「嫌って言われても、うちが決めたことじゃけ」
「でも――」
「ごめん」
芽衣の言葉を遮ったあと、花は窓際の棚へ歩いた。
赤いだるまが並んでいる。一年の神明市で買ったものから、後輩たちが増えてから買い足したものまで、願いを書いた背中はずっと壁へ向けられていた。
花は端にある一体へ手を伸ばした。
「これも、もういらん」
棚から持ち上げると、今まで壁に隠れていた背中がこちらへ向いた。
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優勝して、ばあちゃんに報告する
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芽衣の手が机の縁を掴んだ。
「捨てるんですか」
「置いとっても仕方ないじゃろ」
「仕方なくないです」
「芽衣」
「だって、花先輩が書いたんじゃないですか」
「書いたよ」
花はだるまを手にしたまま芽衣を見た。
「一年のときに絶対叶えようって思っとった。でも、もうできん」
花がだるまを鞄へ入れようとしたところで、芽衣の指が机から離れた。
「じゃあ、私も辞めます」
花の手が止まった。
「は?」
「花先輩が辞めるなら、うちも辞めます」
「なんでそうなるん」
「花先輩がおったけん潮球始めたんです」
芽衣は立ったまま、花から目を逸らさなかった。
「小さいころから花先輩を見て、花先輩みたいになりたいって思ってました。高校入って潮球始めてからもそうです。花先輩みたいになりたくて、もっと強くなりたくて」
「じゃけん、なんでうちが辞めたら芽衣まで辞めるんよ」
「分からん!」
声が部室の壁へ返った。
芽衣は一度息を吸った。
「分からんけど、花先輩おらんのに続けるとか、今考えられん」
芽衣の声が途切れると、心春も椅子から立った。
「じゃあ、私も」
芽衣が振り返る。
「心春?」
「花ちゃんと芽衣ちゃんが辞めるんなら、私も辞める」
「待って」
今度は凪が声を出した。
心春がこちらを見る。
「心春は、潮球辞めたいの?」
「え?」
「花と芽衣が辞めるからじゃなくて、心春が辞めたい?」
心春は口を開いたまま、芽衣を見た。
「うちは……」
凪は芽衣へ顔を向けた。
「芽衣も」
「私は辞めます」
「花が辞めるから?」
「そうです」
「じゃあ、あかりは?」
芽衣の眉が動いた。
「……なんで今、あかりなんですか」
「次、西条付属だから」
机の上には、さっき遥香が持ってきた案内がある。
芽衣は紙へ目を落とした。
「前に、あかりに抜かれたって言ってたよね」
「言いましたけど」
芽衣は拳を握ったまま、机の上の案内を見ていた。
「それとこれは別です」
「うん。じゃあ、その別の方まで花に決めてもらうの?」
芽衣が顔を上げた。
「強くなりたいのも、あかりにもう一回勝ちたいのも、芽衣が決めたことじゃない?」
凪は答えを待ったが、芽衣は机の上の案内を見たままだった。
花が鞄を持ち直した。
「芽衣、それはうち関係ないじゃろ」
芽衣が顔を上げる。
「強くなりたいって言い出したん、芽衣じゃん」
「でも――」
「うちのせいで始めたんなら、それでもええよ。じゃけど、いつまで続けるかまでうちに決めさせんで」
芽衣はまた足元に目を落とした。その隣では心春がまだ立ったまま、芽衣と花を交互に見ている。
凪は心春へ向き直った。
「心春も、二人を見て決めなくていいと思う」
「でも、私、一人になったら……」
「一人じゃないよ」
七海が椅子から身を乗り出した。
「うちらおるじゃん」
優奈も心春を見た。
「辞めたいなら止めんけど、二人が辞めるけえって理由なら、まだ決めんでもよくない?」
心春は足元に目を落とした。
遥香が机の上の案内を自分の方へ引いた。
「次の試合、二人は出ないことにしませんか」
芽衣が顔を上げる。
「出ない?」
「今ここで決めたら、二人とも花さんが辞めることを受けて決めることになります」
遥香は案内を芽衣と心春の方へ向けた。
「西条付属戦は岸から見てください。そのあとで、それでも辞めたいのか、自分で決めませんか」
心春は芽衣へ顔を向けかけ、途中で止めた。そのまま机の上の案内へ目を落とした。
「……見ます」
芽衣はまだ答えなかった。
花が花はだるまを鞄へ入れたあと、芽衣を見た。
「西条、見てから決めたら」
「花先輩に言われたくないです」
「なんでよ」
「今、辞めるって言った人じゃないですか」
「それとうちが言うんは別じゃろ」
「別じゃないです」
二人の声が重なりかけ、結が口元を押さえた。
「そこはまだ普通に喧嘩するんじゃね」
花が結を睨むと、芽衣も同じ方向を見た。
「今笑うところ?」
「ごめんって」
結は手を上げたが、まだ口元が緩んでいた。
芽衣は息を吐き、もう一度案内を見る。
「……試合は見ます」
遥香が頷いた。
「登録はしません。心春さんも、それでいいですか」
「はい」
「じゃあ、うち帰る」
「花先輩」
芽衣が呼ぶと、花は扉の前で振り返った。
「まだ納得してないですから」
「知っとる」
「試合見ても、辞めるかもしれません」
「それは芽衣が決めたらええじゃん」
花はそう返して、部室を出ていった。
花が部室を出ると、開いた扉から入った風が机の上を抜け、西条付属戦の案内の端を持ち上げた。
芽衣はそこに載った学校名を見たまま椅子へ座り直し、膝の上で握っていた拳をほどいた。頬を伝った雫が、案内の端へ落ちた。




