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潮球  作者: カミツキ
3年目の海

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65/91

第65話 次の、潮核

佐木島の斜面は、冬に走ったときより緑が濃くなっていた。


 桟橋を離れたフェリーの波が、少し遅れて練習区画へ届く。浮標が端から順に持ち上がり、繋いだ紐が水面の下で引かれた。


 潮核は四つ。


 一つは区画の中央。二つ目は東側の浮標近く。残りの二つは、島影の内側と南端を別々の速さで流れている。


 遥香のノートが、五月のページで開いていた。


【五対五】

【十分】

【潮核 四つ】

【公式戦形式】


 七海は東側の潮核へ顔を向けた。


「全部使うんですか」


「公式戦と同じ条件です」


 遥香がホワイトボードへ線を引く。


「一つへ集まりすぎないでください。ただし、今の攻防を途中で捨てないこと」


「四つあったら、ずっと攻撃できますね」


 優奈がゴーグルを拭く手を止めた。


「取れたらね」


「取るよ」


「一人で行かんでよ」


「優奈も来ればええじゃん」


「行くかどうかは、そのとき決める」


 七海はもう水際へ向かっていた。


【赤】

 凪

 花

 結

 芽衣

 心春


【青】

 陽

 渚

 遥香

 七海

 優奈


 結が赤の水面側へ入る。


 青は遥香が水面に残った。笛を手首へ通し、残る四人を浮標の内側へ並べる。


 中央から一人分離れた場所に、心春がいた。その先を、東側の潮核が浮標の外へ向かって流れている。


 黒いドライスーツが五人ずつ。


 胸と手足の発光ラインは、まだ透明だった。


 遥香の笛が鳴った。


* * *


 渚が中央の潮核へ先に触れた。


 胸と両手、両足に青い光が走る。


 花が後ろへ入り、渚の右足へ手を伸ばした。渚は足を外へ払って接触を避けたが、反対側から来た芽衣の手が左足の発光ラインへ触れた。


 一秒。


 渚は水を蹴らず、中央を横切る流れへ体を預けた。芽衣の腕を引いたまま体の向きを変える。


 二秒。


 渚の手から潮核が離れた。


 浅い流れへ乗った潮核を、陽が受け取る。青い光が移り、凪が正面から進路を切った。花も右足へ触れ、陽は七海が待つ右斜め前へ半身を開く。


 七海の顔は、もう東を向いていた。


 二つ目の潮核が、フェリーの波に押されて浮標の外側へ近づいている。東へ向かう水は、中央へ戻ろうとする流れと正面からぶつかっていた。


 七海が水を蹴る。


 一度では、体が思ったほど進まない。腿へまとわりつく水をもう一度押し、陽の右側から離れていく。


 陽が潮核を放した。


 七海がいた場所へ潮核が流れる。


 受け取る手はなかった。


 凪が横から掴む。青かった発光ラインが赤へ変わった。


 中央では、七海が抜けた分だけ青の守りが薄くなっていた。芽衣が陽の進路へ入り、心春は花の横へ寄る。凪が浅く流した潮核を花が受け取り、赤い光を引いたまま青の二人の間へ体を沈めた。


 渚が追う。


 間に合わない。


 花の赤い光がゴールゾーンへ沈み、得点を知らせるブザーが鳴った。


 東側では、七海が二つ目の潮核へ手を伸ばしていた。


 流れに逆らって泳いだ分、息がもう浅い。潮核を掴むと青い光が点いたが、心春が正面へ入り、その左足へ手を触れた。


 一秒。


 七海が強く蹴る。


 心春の腕が伸び、肩まで同じ方向へ引かれる。七海の一蹴りは長かったが、横から入る水に削られ、心春を振り切るところまでは進まない。


 二秒。


 七海の顔が南へ向いた。


 三つ目の潮核が、島影から出たところで浮いている。南端へ向かう水へ乗れば、今度は流れに逆らわなくていい。


 七海の両足が止まった。


 三秒。


 判定音が水中へ響き、青い光が消える。潮核が手から落ちた。


 七海は拾い直さなかった。


 足が、もう南へ向いていた。


 優奈が東側へ着いたときには、七海は心春から離れ始めていた。優奈が伸ばした手は届かず、落ちた潮核を心春が拾う。


 東側でも、赤い光が点いた。


 七海が水面へ顔を出す。


 正面には、得点を終えた花の赤い光があった。振り返れば、東側では心春が潮核を持っている。


 中央も、東も、赤だった。


 七海の足は南へ向いたまま、水を蹴らなかった。


 遥香の笛が二度鳴った。


* * *


「まだ時間、ありましたよね」


 七海がゴーグルを額へ上げる。


「ありました」


 遥香は中央を指した。


「陽さんは、七海さんがいた場所へ潮核を流しました」


 七海の顔が、中央へ戻る。


「もう取られると思った」


「花先輩のタッチは、まだ二秒じゃった」


 優奈が水を払いながら隣へ浮かんだ。


「七海がいなくなったけん、中央を取られたんよ」


「でも、二つ目は取ったよ」


「一人で取って、心春に渡したじゃん」


「渡してない」


「結果は同じじゃろ」


 七海の指が、水面を一度押した。


 小さな波が優奈の胸へ届く。


「次のが見えたんよ」


「今のが終わってないのに?」


 七海は東側を見た。


 心春が持っていた潮核は、すでに元の位置へ戻されている。


 凪は南端を流れる三つ目へ顔を向けた。


 自分にも見えていた。


 陽から潮核を奪った直後、南へ向かう流れが強くなっていた。あのまま一人で行けば、七海より先に三つ目へ触れたかもしれない。


 右足を南へ向けたとき、中央へ戻る水が脛へ巻きついた。


 一蹴りで進める距離が、半分になる。


 そこから南へ行けば、着くまでに息を一つ使う。取ったとしても、中央へ戻る分は残らない。


 だから花へ渡した。


 南端の流れは、まだ足の裏に残っていた。


 見えているのに、行かなかった潮核。


 遥香が四つを順番に元の位置へ戻した。


「もう一度、同じ位置から始めます」


 七海がゴーグルを下ろす。


 優奈も隣で水へ沈んだ。


* * *


 二本目。


 中央の潮核へ、今度は花が先に触れた。赤い光が走り、陽が正面へ入る。渚が右足へ触れたが、花は足を大きく振って手を外し、芽衣へ浅く潮核を流した。


 芽衣が受け取る。


 七海の顔が東へ向いた。


 二つ目の潮核は、さっきと同じ場所から浮標の外側へ流れ始めている。七海の足が一度動いたが、中央では優奈が芽衣の左側へ入り、遥香の手が右を示していた。


 七海は東へ行かなかった。


 芽衣の右足へ優奈が触れる。一秒。芽衣が足を引いても、優奈の手は離れない。


 二秒。


 芽衣が心春へ潮核を流した。


 心春が受け取ると、陽が左足へ触れた。心春は花の方へ動きかけたが、水面にいる結の手が中央を示す。


 向きを変え、凪へ潮核を放す。


 陽の指が発光ラインから外れた。


 凪が受け取る前に、渚の手が潮核の端へ触れる。青い光が一瞬だけ走って消え、保持にはならないまま軌道だけがずれた。


 赤も青も、中央へ寄る。


 花と渚の手が同時に伸び、花の指が先に潮核を掴んだ。


 赤い光が点く。


 七海が東へ向かって水を蹴った。


 今度は、中央へ一度だけ顔を戻していた。


 渚と陽が花へ寄り、優奈も中央に残っている。遥香の手が東を示した。


 優奈が向きを変える。


 七海はその動きを見てから、二つ目へ向かった。


 それでも、先に出たのは七海だった。


 東へ向かう流れが胸を押し返した。


 七海は蹴る。


 思ったほど進まない。


 もう一度蹴ると、太腿の奥が重くなり、吐いた息がゴーグルの横を白く塞いだ。


 七海が潮核を掴む。


 青い発光ラインが点いた。


 心春が中央から振り返り、七海の左足へ向かう。優奈はまだ追いついていない。


 七海は外側へ回ったが、心春の指が発光ラインへ触れた。


 一秒。


 前を向いたまま強く蹴る。


 心春の体もついてくる。流れへ逆らう水が七海の肩へ重なり、肺に残る空気が一度で減った。


 二秒。


 七海の目が、右へ動いた。


 優奈はまだ半歩後ろにいる。


 七海の足が、次の一蹴りだけ弱くなった。


 止まってはいない。


 優奈が横へ入る。


 七海は潮核を放した。


 心春の指が発光ラインから外れ、計測が途切れる。優奈が受け取ると、青い光が七海から移った。


 遥香の手が右へ動く。


 陽が中央から東へ向きを変え、渚はその場に残って花の赤い光を追う。優奈は陽の位置を一度確かめ、島影の端で下へ落ちる流れへ潮核を乗せた。


 潮核が陽の手前で沈む。


 遅れて浮き上がったところを、陽が受け取った。


 青い光が、七海から優奈、陽へ繋がった。


 凪と芽衣が東側へ戻る。中央には、赤く光る花と、その足へ触れた渚が残っている。


 凪の足元へ、南端へ向かう流れが届いた。


 三つ目の潮核が動いている。


 今なら取れる。


 右足を南へ出すと、逆向きの水が膝の裏へ入り、体を中央へ押し戻した。ここから強く蹴れば流れを越えられる。その代わり、東へ戻る息は残らない。


 陽の青い光が、凪の横を進んでいる。


 南へ行きたい。


 足の裏には、取れる流れがある。


 凪はその流れを蹴らなかった。


 陽の正面へ入る。


 陽は潮核を深く沈めた。東側の流れが弱くなり、潮核が二人の下で失速する。


 浮かび始めた潮核へ、七海が先に手を伸ばした。


 青い光がもう一度点く。


 ゴールゾーンまで、浮標二つ分。


 凪が正面へ入り、芽衣が七海の右足へ触れる。一秒。七海は足を払って芽衣の手を外したが、凪が胸へ触れる前に陽の位置を見た。


 すぐには放さない。


 陽が半歩だけ右へ開く。


 七海が潮核を戻した。


 陽から優奈へ渡り、優奈がゴールゾーンの手前で受け取る。花が中央から追いつき、右足へ触れた。


 一秒。


 優奈の体が傾く。


 二秒。


 優奈が七海を見る。


 七海はもう次の位置へ出ていた。


 ただし、今度は一人分先へ行っていない。


 優奈が潮核を流す。七海が手を伸ばし、指先へ触れた。


 青い光が走る。


 終了の笛が鳴った。


 潮核は七海の手の中にあった。


 ゴールゾーンの縁まで、半歩届いていない。


* * *


 七海が水面へ顔を出した。


「あとちょっとだった」


 優奈も隣へ浮かぶ。


「今度は、一人じゃなかったじゃろ」


「最初に来たの、優奈じゃったね」


「分かっとるじゃん」


「陽先輩も来ました」


「うちが先」


 陽は何も言わず、七海の手から潮核を受け取った。


 遥香は時計を止め、ホワイトボードへ目を落とす。


「七海さん」


「はい」


「二本目も、動き出すのは早かったです」


 七海の口が少し開く。


「でも、一度だけ優奈さんを見ました」


 七海は隣へ顔を向けた。


 優奈はもう岸へ向かっている。


「次は、待つんですか」


「止まる必要はありません」


 遥香が四つの潮核を見る。


「次へ行く前に、今いる人を見てください」


 七海の目が、中央から東へ動く。


 島影。


 南端。


 四つの潮核が、それぞれ別の場所にある。


 凪も同じ順番で見た。


 全部の流れが分かっても、全部へは行けない。


 選ばなかった潮核は、誰かへ任せるしかない。


 片付けが始まった。


 四つの潮核をケースへ戻す。


 七海が一つ目を入れた。


 潮核はケースの底へ当たり、そのまま半周した。


 七海の手は、もう二つ目へ伸びている。


 優奈がケースの縁を押さえた。


「まだ止まっとらんよ」


 一つ目の潮核が、底を転がる。


 七海の手が途中で止まった。


 潮核が角へ当たる。


 小さく戻る。


 もう一度、角へ触れる。


 動かなくなった。


 七海は、それから二つ目を持ち上げた。

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