第45話 赤い光の、手前
「一点!」
結の声が、水面で弾けた。
赤い光が沈んだ。
会場のボードが変わる。
スコア:三原中央 1-宮島 2
花が水面に顔を出した。
大きく息を吸う。
凪も、渚も、同じ方を見た。
宮島の列は、動かなかった。
誰も声を上げない。
誰も慌てない。
瀬那が、水面に顔を出した。
息をひとつ吸う。
その目が、初めて三原中央の方を見た。
凪の背中が冷えた。
見つけた。
そう思った次の瞬間、見られた。
残り時間は、一分を切っていた。
笛が鳴る。
宮島が動いた。
さっきまでと同じではなかった。
瀬那が、薄い場所へ来ない。
凪は潮核へ向かった。
手が届く。
赤いゼッケンが光る。
深く流す。
流れの薄い場所へ。
そこなら、目も肩も見える。
花も動いていた。
渚も、流れの端へ向かう。
けれど、瀬那は来なかった。
薄い場所が空いている。
空きすぎていた。
別の場所で、青いゼッケンが光った。
宮島の選手が、潮核を持っていた。
隠れていない。
見えている。
そのまま進めば、ゴールゾーンに沈む。
花が向きを変えた。
行くしかなかった。
宮島の青い光が、まっすぐ来る。
瀬那ではない。
でも、速い。
迷いがない。
花が体を入れた。
押される。
押し返す。
ゼッケンに指が触れる。
一秒。
青い光は止まらない。
二秒。
花の足が、水の中で揺れた。
三秒。
青い光が消えた。
花の手は、まだ相手のゼッケンにあった。
その三秒の間に、瀬那は戻っていた。
複雑な流れの中へ。
凪が水を探る。
もう輪郭がない。
さっき見えた目も、肩も、腕の角度も、水の中に混じっていた。
薄い場所は、まだ空いている。
でも、瀬那はいない。
凪の足が、水の中で止まった。
宮島は弱点を塞がなかった。
使わせた。
結が水面で指を出した。
「凪、戻して!」
凪は水面に顔を出していた。
声が届く。
すぐに潜る。
残り、三十秒。
潮核はまだある。
澪が前へ出ていた。
花が止めたあとにできた、一拍分の空き。
渚がその水を見ていた。
凪は潮核を拾った。
ゼッケンが赤く光る。
宮島の選手が二人。
寄ってくる。
凪は前へ出ない。
流す。
深く。
流れの端へ。
渚が動く。
水を押すほどの力はない。
でも、薄い流れの端に触れるだけで、潮核の向きが変わった。
澪の前へ。
澪が受け取る。
ゼッケンが赤く光る。
残り、二十秒。
結の指が水面で動く。
「澪、左!」
澪の顔が、一瞬だけ水面に出ていた。
声を受けて、すぐに潜る。
左へ。
宮島の選手が追う。
瀬那も来る。
もう見える場所ではなかった。
複雑な流れの中から、いつの間にか近づいていた。
凪が追う。
渚も追う。
花はまだ戻り切れていない。
残り、十秒。
澪の前に、ゴールゾーンがあった。
あと少し。
瀬那の手。
左横。
ゼッケン。
指。
一秒。
澪は離さない。
前へ。
二秒。
重い。
腕。
伸びない。
別の影。
下へ。
深く。
もう一段。
深く。
揺れる。
赤い光。
音。
赤い光が、ゴールゾーンの手前で揺れた。
笛が鳴った。
試合終了の笛だった。
赤い光は、沈んでいなかった。
スコア:三原中央 1-宮島 2
水面が、一拍遅れて揺れた。
澪は水の中にいた。
誰も動かなかった。
瀬那が先に水面へ上がった。
息を吸う。
それから、澪の方を見た。
澪も水面に顔を出した。
ゴーグルの下で、表情は見えなかった。
花が水を蹴って近づいた。
凪も、渚も、結も、同じ方へ向かった。
澪は岸壁に手をかけた。
上がる前に、一度だけ水面を見た。
宮島の選手たちは、静かに整列していた。
瀬那も、その中に戻っていた。
さっきまで水に混じっていた人が、今はただの高校生の顔をしていた。
澪が岸壁に上がった。
花が何か言おうとした。
澪は、先に息を吐いた。
「届かんかった」
誰も返事をしなかった。
花が、ようやく口を開いた。
「一点は、取った」
澪は花の方へ顔を向けた。
「うん」
「でも、負けた」
「うん」
花の目元が、赤くなっていた。
まばたきをしても、赤さは引かなかった。
凪は水面を見た。
薄い流れは、まだそこにあった。
見つけた場所だった。
届いた場所だった。
でも、勝てなかった場所だった。
審判が試合終了の記録を確認している。
会場のボードは、まだ同じ数字を出していた。
三原中央 1-宮島 2
澪が、もう一度だけ水面を見た。
それから、全員の方を向いた。
「整列するぞ」
声は、いつもと同じだった。
花が目元を手の甲で拭った。
結がホワイトボードを置いた。
渚が水から上がった。
芽衣が立ち上がった。
遥香が手帳を閉じた。
陽がベンチから歩いてきた。
八人が、水際に並んだ。
宮島高校も、向かいに並んだ。
瀬那は、列の中にいた。
もう、水には混じっていなかった。
澪が頭を下げた。
三原中央の全員が、それに続いた。
潮の音だけが、一拍遅れて聞こえた。




