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潮球  作者: カミツキ
八人の夏

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第44話 薄い場所

 笛と同時に宮内が水へ入った。水しぶきは上がり、宮島のゼッケンも四つの潮核も見えているのに、入水の音だけが妙に小さく、凪は一瞬その身体を見失った。


 速いわけでも、深く潜ったわけでもない。


 ただ、流れの端にいた。


 凪は潮核へ向かい、さっき岸から読んだ流れを足元でも拾った。潮核は西へ運ばれながら一段沈み、その先でわずかに軌道を変える。凪は曲がる先へ手を伸ばした。


 届く。


 そう思ったときには、潮核が沈む先へ宮内の手がもう入っていた。宮内が拾い、胸元のゼッケンが青く光った。


 花が正面へ身体を入れたが、宮内はぶつかるでも大きく避けるでもなく、花の身体の横に残った細い水の隙間へそのまま入った。花が伸ばした手はゼッケンに届かず、泡だけが指の間を抜ける。


 その先へ澪が追い、陽も斜めから距離を詰めたが、宮島の別の選手が宮内の正面から半歩外れた位置へ入り、二人の進路を塞いだ。その分だけ、宮内の通る水が空く。


 凪が足先へ当たる流れを拾った。向きも、次に曲がる場所も分かる。


 読める。


 青い光の位置も見えている。それなのに宮内の肩や腕は泡と水の揺れに紛れ、次にどの流れへ身体を預けるのかだけが拾えなかった。追おうと一段身体を沈めたところで、肺の奥が先に苦しくなった。


 ここで浮けば、また宮内を見失う。


 凪はあと一掻きだけ追った。


 間に合わない。


 青い光がゴール側へ沈み、ブザーが鳴った。


 残る三つのうち一つへ花が先に入り、拾った瞬間に胸元のゼッケンが赤く光った。宮内は離れたところにいたが、花が身体を返した先では水が先に揺れ、泡が切れたところへ宮島の選手の腕が入ってくる。花は避けようと足を蹴ったものの姿勢を崩し、潮核を手から外した。


 その後も残る三つでは得点が動かないまま、第一ピリオド終了の笛が鳴った。凪が水面へ戻ると、岸の得点板には0対1が残っていた。


 岸壁に上がった花が、水を吐いた。


「何なん、あれ」


 澪がゴーグルの水を払った。

 結は水面の方を向いたままだった。


 凪は水面を見ていた。


 宮内は、宮島のベンチの前に立っていた。

 息は乱れていない。


 水を見ていない。

 それでも、足先は次に入る場所へ向いていた。


 澪がゴーグルを握った。


「もう一回行く」


 花が顔を上げた。


「このまま行くん?」

「このまま行く」


 陽がゴーグルをつけ直した。


 第二ピリオドが始まると、今度は花が潮核ではなく宮内へ先に向かった。宮内が身体を動かすのに合わせて花も距離を詰め、胸元のゼッケンへ指を伸ばす。


 届かない。


 宮内の身体が、流速の違う水が重なる境目へ入っていく。沈んだわけではない。速さの違う水に身体まで重なり、肩と腕の境目がなくなった。


 宮島の一人が陽の前へ入り、もう一人も澪の進路へ身体を寄せた。その二人が三原中央を引き受けたぶん、宮内の周囲だけ水が空く。


 凪は潮核を拾うと胸元のゼッケンが赤く光り、宮内から距離を取るため、岸壁へ向かう流れに乗せた。宮内は追ってこない。


 代わりに宮島の別の選手が先へ入り、凪の進路を塞いだ。ゼッケンは光っていない。潮核を持っていない選手に、通りたい場所だけを消された。


 陽が水面へ顔を出し、凪も息継ぎに浮上したところで結の声が飛んだ。


「陽、深く!」


 陽は返事をせず、すぐに身体を沈めた。凪も息を入れて潜り直す。


 陽が沈んだ先では、もともとの流れだけが揺れていた。宮内自身が水を掻いた跡は見えない。


 その流れの中に青い光があり、陽が胸元へ指先を伸ばした。


 ゼッケンに届かない。


 青い光が、また動いた。


 花と澪が追う中、凪も宮内の先にある流れを拾った。西へ抜ける筋と、その途中から流速の違う水へ折れる細い筋。どちらも読めている。


 けれど、宮内の肩はどちらにも向かなかった。自分で水を掻くより先に身体が流れへ乗り、泡の中で腕の境目が消える。


 次の瞬間には、肩一つ横を青い光が抜けていた。


 海は読めている。


 宮内だけが、自分から動き出す瞬間を見せない。


 凪が身体を返したときには遅く、青い光がゴールゾーンへ沈んでブザーが鳴った。


 その後も残る三つでは得点が動かないまま、第二ピリオド終了の笛が鳴った。凪が水面へ戻ると、岸の得点板は0対2に変わっていた。


 五分のインターバルに入ると花が水面から上がって、膝に手をついた。

 陽の肩が、大きく上下していた。


 澪が陽を見た。


「陽、渚と替われ」


 陽は一度だけ頷いた。


 渚はベンチから立ち、足元のボトルへ手を伸ばしたが、蓋を開けないまま置き直した。凪と目が合っても、何も言わなかった。


 交代の話が切れたところで、遥香が手帳を開いた。


「宮内さんが一度も通ってない場所があります」


 花が顔を上げた。


「入らん?」


 遥香は手帳を凪たちの方へ向けた。第二ピリオドで宮内が通った線が何本も引かれている。その中で、浮標沿いの一か所だけが白く残っていた。


「ここです。第二ピリオドの間、一度も通っていません」


 結がその方向を見た。


「潮核、あそこ行く?」

「ほとんど行きません」


 遥香は首を振った。


「でも、宮島の選手もあまり使っていません」


 渚は岸壁の端に膝をつき、指先だけを水へ入れて一度目を閉じた。すぐに開く。


「そこ、変です」


 凪が水面を見た。


「変?」

「分からん。でも、軽い」


 澪の目が、その場所へ向いた。


 流れの端。

 何もない場所。


 宮内が通らなかった場所。


 澪が薄い流れへ目を向けた。


「試す」


 花も同じ場所を見て立ち上がった。


「一点取るんじゃろ」

「まず、宮内を止める」


 花の指先から、水が落ちた。


 結が水面の位置へ戻った。


 澪が全員を見た。


「行くぞ」


 第三ピリオドの笛と同時に渚が水へ入り、凪は半拍早く動いた潮核を追った。宮内はまた流れの中にいるが、宮島は無理に潮核を取りに来ず、宮内に近い潮核だけへ先に選手を動かしている。


 渚は遥香が示した浮標沿いへ回り、澪は宮内へ距離を詰めた。


 流れの薄い場所。


 花は宮内本人へ行かず、その薄い流れへ先に身体を入れ、宮内の進路から半身だけ外れた位置を塞いだ。澪も反対から宮内へ寄る。宮内がそこへ入った瞬間、動きが一拍だけ遅れた。


 初めてだった。


 凪の目に、宮内の腕と肩、ゴーグルの線まで浮かび上がった。


 けれど、潮核は遠い。


 宮島の選手たちがすぐ戻って空いた場所を埋め、澪が前へ出ても進路を半分塞ぎ、凪が潮核を下へ流せば宮内も強い流れへ戻ってくる。結局、赤い光はゴールまで沈まなかった。


 別の潮核へ凪が先に入り、薄い場所の手前へ深く流した。


 宮島の選手が寄り、宮内も潮核へ動いたところで、渚が横から水を掻いた。流れが弱いぶん、その一掻きだけで潮核の向きが変わり、薄い流れの中へ入っていく。


 宮内も薄い流れへ入った。それまで水に引かれるように先へ出ていた足が、そこで初めて自分で水を蹴った。


 一拍、遅れた。


 その肩の向きまで、今度は見える。花が距離を詰め、胸元の青いゼッケンへ左手を押し当てた。


 一秒。


 宮内が花の手から胸元を逃がすように身体を捻ったが、強い流れへ戻る前ではまだ加速できず、花も足を蹴って指先を残した。


 二秒。


 横から来た水に花の肘が流れ、指がゼッケンの端までずれる。


 三秒になる前に、宮内が潮核を離した。


 青い光が消えた。


 そこまでは、届いた。


 でも、得点には届かない。


 宮島の選手たちはすぐ空いた場所を埋め直し、澪が前へ出れば進路を塞ぎ、凪が潮核を下へ流せば宮内も強い流れへ戻ってくる。赤い光は、最後までゴールへ沈まなかった。


 その後も得点が動かないまま、第三ピリオド終了の笛が鳴った。


 五分のインターバルに入ると、花は岸壁へ上がるなりその場へ座り込み、肩で大きく息をした。澪はその隣に立ち、凪もゴーグルを外しながら二人のそばへ上がる。渚は少し離れたところで膝に手をつき、遥香は手帳を開いたまま、結は残り時間の表示が見える位置にいた。


「見えたか」

「ちょっとだけ」


 花は水面を見た。


「やっと見えた」


 凪も花の見ている水面へ目を向けた。


「流れが薄い場所なら、宮内さんは消えない」


 渚も同じ場所へ目を向けた。


「あそこだけ、水が軽い」


 遥香が手帳を閉じた。


「宮島の他の選手は、宮内さんの通り道を作っています。宮内さんがそこから外れると、少し遅れます」


 澪は遥香の言葉を受けて、水際へ半歩出た。


「少しでいい。一点取る」

「二点じゃなくて?」

「まず一点」


 結が残り時間の表示から澪へ目を戻した。


「時間、少ないよ」

「知っとる」


 澪はゴーグルをつけた。


「行くぞ」


 第四ピリオドが始まると宮島が先に動き、宮内は流速の違う水が接するところへ身体を入れた。その周囲を宮島の選手たちが空け、泡だけが白くほどけていく。


 宮内が入った流れの境目で泡が一段深く沈み、その下の色が暗くなった。凪の呼吸が一度だけ浅くなる。


 怖い。


 それでも、目は逸らさなかった。


 凪は潮核を拾ったが、すぐには離さなかった。宮島の選手がこちらへ寄るのを待ってから深く流し、薄い流れの中へ潮核を入れる。


 宮内が来た。潮核を拾った瞬間に胸元が青く光ったが、薄い流れの中では、水に紛れていた身体の輪郭まで浮かび上がる。目の向きも、肩も、腕の角度も見えた。


 花が正面から距離を詰め、胸元の青いゼッケンへ手を押し当てた。


 一秒。


 宮内が身体を捻って強い流れへ戻ろうとしたが、花も足を蹴り直し、引かれながら指先を残した。


 二秒。


 横から来た水に花の肩が流され、口元から細かな泡が続けて抜けた。それでも顔は上げず、今度は見えている宮内の逃げる先へ一緒に身体を沈める。


 三秒。


 宮内の手から潮核が離れ、青い光が消えた。


 凪が息継ぎに顔を出したとき、水面では結が指を伸ばしていた。


「澪、今!」


 少し離れたところで澪も顔を出しており、声を拾うとすぐ潜った。凪も息を吸ってその後を追う。


 宮内が落とした潮核へ凪が先に入り、拾った瞬間に胸元のゼッケンが赤く光った。すぐ薄い流れの先へ離すと、そこへ回っていた渚が横から水を掻き、潮核の軌道を澪のいる方へ曲げる。


 宮島の選手も戻ったが、一拍遅い。薄い流れの中では宮内の肩も見えており、その一拍だけ潮核から澪までの流れが空いた。


 澪が流れてきた潮核を受け取ると胸元のゼッケンが赤く光り、そのままゴール側へ身体を返した。宮内もすぐ追ったが、薄い流れの中では肩も腕も見えている。


 今度は見える。


 見えるなら、避けられる。


 澪が宮内の手から外れるように身体を横へ流すと、追う宮内の前へ花が身体を入れた。渚も花の外を抜け、戻ってきた宮島の一人を引いた。


 間に合わない。


 赤い光がゴールゾーンへ沈み、ブザーが鳴った。


 凪が息継ぎに顔を出すと、結の声が水面で弾けた。


「一点!」

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