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潮球  作者: カミツキ
2年目の海

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44/90

第44話 薄い場所

笛が鳴った。


 瀬那が、水に入った。


 音が小さかった。


 凪は一瞬、その姿を見失った。


 水しぶきは上がっている。

 宮島のゼッケンも見えている。

 潮核も、四つ浮かんでいる。


 それなのに、瀬那だけが水の中に混じっていた。


 速いわけではない。


 深く潜ったわけでもない。


 ただ、流れの端にいた。


 凪が潮核へ向かった。

 流れは読めている。


 右へ流れる。

 手首ひとつ分、沈む。

 そのあと、左へ戻る。


 凪の手が、潮核へ届く。


 その前に、瀬那の手があった。


 潮核の方が、瀬那へ寄った。


 ゼッケンが青く光る。


 花が前へ出た。

 体を入れる。


 瀬那は止まらなかった。


 ぶつからない。

 避けたわけでもない。


 花の体の横にある、細い水の隙間を通っていた。


 花の手が、泡だけを掴んだ。


 澪が追う。

 陽が斜めから入る。


 宮島の別の選手が、その前にいた。


 瀬那の正面ではない。

 半歩外れた場所に立っている。


 その分だけ、瀬那の通る水が空いていた。


 凪が足先で流れを探る。


 読める。


 流れは読めている。


 でも、瀬那がどこにいるのか、途中で消える。


 青い光が、ゴールゾーンへ沈んだ。


 スコア:三原中央 0-宮島 1


 水面で、結が息を吸った。

 声は出なかった。


 花が拾った。


 赤いゼッケンが光る。


 瀬那は遠かった。

 花の前の水が、先に揺れた。


 泡が切れたとき、花の前に宮島の腕があった。


 花の足が止まる。

 腕の角度が崩れた。


 潮核が、手から外れた。


 第1ピリオドが終わった。


 岸壁に上がった花が、水を吐いた。


「何なん、あれ」


 澪がゴーグルの水を払った。

 結は水面の方を向いたままだった。


 凪は水面を見ていた。


 瀬那は、宮島のベンチの前に立っていた。

 息は乱れていない。


 水を見ていない。

 それでも、足先は次に入る場所へ向いていた。


 澪がゴーグルを握った。


「もう一回行く」


 花が顔を上げた。


「うちらで?」


「うちらで」


 陽がゴーグルをつけ直した。



第2ピリオドの笛が鳴った。


 今度は、花が先に前へ出た。


 瀬那へ向かう。


 潮核は別の場所にあった。

 けれど、花は瀬那を見ていた。


 瀬那が動く。


 花も動く。


 水の中で、二人の距離が近づいた。


 花の指が、瀬那のゼッケンへ伸びる。


 届かない。


 瀬那の体が、複雑な流れの中に沈んでいく。


 沈んだのではない。

 そこにあった流れと、境目がなくなった。


 宮島の選手が一人、陽の前に入る。

 もう一人が、澪の進路を狭める。


 瀬那の周りだけ、水が空いた。


 凪が潮核を拾った。

 ゼッケンが赤く光る。


 左へ流す。

 瀬那から遠い場所へ。


 瀬那は追ってこなかった。


 代わりに、宮島の選手がそこにいた。

 凪の進路を止める。


 青いゼッケンではない。

 でも、場所だけを消された。


 陽が水面に顔を出した。


「陽、深く!」


 結の声が飛んだ。


 陽は返事をしなかった。

 すぐに潜った。

 深く入った。下へ回る。


 その先の水が、揺れなかった。


 瀬那がいた。

 陽の進路だけが、そこへ近づいていった。


 陽の指先が伸びる。

 潮核に届かない。


 青い光が、また動いた。


 ベンチで、遥香が手帳を開いていた。


 瀬那の通った線を、何本も引く。

 一本。

 二本。

 三本。


 どの線も、複雑な流れの上を通っていた。


 遥香は水面の端を見た。


 浮標の内側、ロープ一本分。

 流れが強くない場所。


 そこだけ、線がない。


 遥香は、もう一本線を引いた。

 その場所だけ、まだ白いままだった。


 遥香は、もう一度手帳に目を落とした。


 瀬那が動く。

 宮島の選手が道を作る。

 青い光が揺れる。


 また、その場所を通らない。


 遥香の指が、手帳の端で止まった。

 手帳の端に、白い場所が残った。


 花が追う。

 澪が追う。


 凪も、流れの先を読んだ。


 読んだ場所に、瀬那がいない。


 次の瞬間、肩一つ横にいた。


 そこは、凪が読まなかった場所ではない。

 読める流れの中だった。


 なのに、瀬那だけが浮かんでこない。


 青い光が、ゴールゾーンに沈んだ。


 スコア:三原中央 0-宮島 2


 第2ピリオド終了の笛が鳴った。



インターバル。


 花が水面から上がって、膝に手をついた。

 陽の肩が、大きく上下していた。


 澪が陽を見た。


「陽、渚と替われ」


 陽は一度だけ頷いた。


 渚がベンチから立った。

 足元に置いていたボトルを手に取る。

 蓋を開けずに、また置いた。


 凪と目が合った。


 渚は何も言わなかった。


「瀬那さん、入らない場所があります」


 遥香の声だった。


 花が顔を上げた。


「入らん?」


 遥香は手帳を開いたまま、水面の端を指した。


「あそこです。第二ピリオドの間、一度も通っていません」


 結がその方向を見た。


「潮核、あそこ行く?」


「ほとんど行きません」


 遥香は首を振った。


「でも、宮島の選手もあまり使っていません」


 渚が、岸壁の端に膝をついた。

 指先だけを水に入れる。


 目を閉じた。


 すぐに開く。


「そこ、変です」


 凪が水面を見た。


「変?」


「分からん。でも、軽い」


 澪の目が、その場所へ向いた。


 流れの端。

 何もない場所。


 瀬那が通らなかった場所。


 澪がゴーグルをつけた。


「試す」


 花が立ち上がった。


「一点取るんじゃろ」


「まず、瀬那を止める」


 花の指先から、水が落ちた。


 結が水面の位置へ戻った。


 澪が全員を見た。


「行くぞ」



第3ピリオドの笛が鳴った。


 渚が水に入った。


 瀬那は、また流れの中にいた。


 潮核が二つ、同時に動く。


 宮島の選手は、無理に取りに来ない。

 瀬那に近い方だけ、先に水を切った。


 凪は、半拍早く動いた潮核を追った。


 花が瀬那の通り道を塞ぎに行く。

 澪が逆側へ回る。

 渚は水面の端へ流れた。


 遥香が示した場所。


 流れの薄い場所。


 花が、水中で体を入れた。

 瀬那へではない。


 その場所へ。


 瀬那の進路から、半身外れた場所に、体を置いた。


 瀬那の動きが、一瞬だけ遅れた。


 初めてだった。


 凪は、その遅れを見た。


 瀬那の体に、輪郭が戻った。


 腕。

 肩。

 ゴーグルの線。


 けれど、潮核は遠い。


 宮島の選手が戻ってくる。

 道を作り直す。


 瀬那は、もう一度流れの中に混じった。


 青い光は沈まなかった。

 赤い光も沈まなかった。


 次のプレー。


 凪が潮核を深く流した。

 薄い場所の手前へ。


 宮島が寄る。

 瀬那も動く。


 渚が横から水を掻いた。


 流れは弱い。

 だから、渚の一掻きで向きが変わった。


 瀬那がそこへ入る。


 一瞬、遅れる。


 花が触れた。


 一秒。


 瀬那の体がずれる。


 二秒。


 花の手が離れそうになる。


 三秒の前に、瀬那が潮核を手放した。


 青い光が消えた。


 結の指が、水面で止まった。


 声は出なかった。


 そこまでは、届いた。


 でも、得点には届かない。


 宮島の選手が戻ってくる。

 空いた場所を埋める。


 澪が前へ出ても、進路が半分消される。

 凪が下へ流しても、瀬那が戻ってくる。


 赤い光は沈まなかった。


 第3ピリオドが終わった。


 スコアは動いていなかった。



インターバル。


 花が岸壁に上がると、そのまま座り込んだ。

 肩で息をしている。


 澪が隣に立った。


「見えたか」


「ちょっとだけ」


 花は水面を見た。


「やっと見えた」


 凪はゴーグルを外した。

 水が顎から落ちる。


「流れが薄い場所なら、瀬那は消えない」


 渚が膝に手をついていた。


「あそこだけ、水が軽い」


 遥香が手帳を閉じた。


「宮島の他の選手は、瀬那さんの通り道を作っています。そこから外れたら、半拍遅れます」


 澪が水面を見た。


「半拍でいい」


 澪が水際へ半歩出た。


「一点取る」


 花が立ち上がった。


「二点じゃなくて?」


「まず一点」


 結がホワイトボードを閉じた。


「時間、少ないよ」


「知っとる」


 澪はゴーグルをつけた。


「行くぞ」



第4ピリオドの笛が鳴った。


 宮島が最初に動いた。


 瀬那が、複雑な流れへ入る。

 宮島の選手たちが、その周りを開ける。


 いつもの形。


 凪は追わなかった。


 水の中で、光が折れていた。

 瀬那の通ったあとの泡が、白くほどけていく。

 宮島の選手たちが開けた道だけ、島影の黒が薄くなっていた。


 怖い。


 それは消えていない。

 でも、目は逸れなかった。


 凪は潮核を拾った。

 すぐには沈めない。


 宮島の選手が寄ってくる。


 凪は深く流した。

 流れの薄い場所へ。


 瀬那が入る。

 潮核を拾った。


 青いゼッケンが、水の静かな場所で浮いた。


 花がそこへ向かう。


 水が静かな場所に入った瞬間、瀬那の体が見えた。


 目。

 肩。

 腕の角度。


 花が前へ出る。

 ゼッケンに触れる。


 一秒。


 瀬那が抜けようとする。

 でも、複雑な流れがない。


 二秒。


 花の足が揺れる。

 それでも離さない。


 三秒。


 青い光が消えた。


 水面の結が、指を出した。


「澪、今!」


 澪は水面に顔を出していた。

 声が届いた瞬間、もう潜っていた。


 凪は、残っていた潮核へ向かった。

 手が届く。

 赤いゼッケンが光る。


 すぐに下へ流した。

 薄い場所の先へ。


 渚が流れを拾う。

 宮島の選手が戻る。


 でも、一拍遅い。


 瀬那の肩が見えた。

 その一拍だけ、道が閉じなかった。


 澪が受け取った。


 ゼッケンが赤く光る。


 ゴールゾーンへ向かう。


 瀬那が追う。


 今度は見える。

 見えるなら、避けられる。


 澪の体が横へ流れる。

 花が瀬那の進路に入る。


 渚がその横を抜ける。


 宮島の選手が戻ってくる。


 間に合わない。


 赤い光が、ゴールゾーンに沈んだ。


 スコア:三原中央 1-宮島 2


 結の声が水面で弾けた。


「一点!」

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