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潮球  作者: カミツキ
八人の夏

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43/101

第43話 水の中に、いる人

 朝、枕元で鳴ったスマホの音に凪が目を開けた。部屋はまだ暗く、カーテンの隙間から入った細い光だけが床へ伸びている。向かいでは遥香が身体を起こしてスマホを取り、画面へ目を落としたところで指を止めた。


 その横で、花が毛布を蹴った。


「何時」

「七時前です」

「早い」


 花はもう一度、枕に顔を埋めた。少し遅れて、澪や結の枕元でも画面が光った。


 凪は自分のスマホへ手を伸ばした。


【地区大会3回戦】

 三原中央高校 vs 宮島高校

 会場:大三島沖 区画B

 集合時刻:13:00


 宮島の名前が出たまま、誰もベッドから動かなかった。澪だけが先に布団を抜け、床へ足を下ろした。


「食べろ」


 布団から顔を出していた渚が、澪を見た。


「朝ごはんですか」

「食べろ」

「はい」


 渚もそのままベッドを降りた。


 宿泊棟の食堂へ下りると、ほかの学校の見慣れないジャージがいくつかのテーブルを埋め、皿の触れ合う音に混じって給湯機の音が続いていた。味噌汁の湯気が、並んだトレーの上から細く上がっている。


 渚のトレーには、ご飯二杯分と焼き魚、卵、海苔、ヨーグルトまで乗っていて、隣で見ていた芽衣の目が丸くなった。


「それ、入るん?」

「入るよ」


 渚が箸を取ると、向かいの結が、隣でスマホを見ている遥香へ味噌汁の椀を押した。


「遥香、食べんと倒れるよ」

「食べます。今、確認だけ」


 遥香は味噌汁を持ち、一口飲んで、またスマホに目を落とした。


 花は窓の外に顔を向けたまま、焼き魚の上で箸を止めていた。隣にいた陽は小さな納豆の蓋をゆっくり剥がし、伸びた糸が切れるのを待ってからラー油を入れた。


 澪だけは前を向いたまま、いつもと変わらない速さでご飯を口へ運んでいて、それを見た凪の箸が一度止まった。


 渚が二杯目のご飯に箸を入れると、それを見た結が笑った。


「渚、ほんまに入るんじゃね」

「お腹減ってるので」

「昨日、試合後も弁当食べとったじゃろ」

「昨日の分は昨日です」


 花が、ようやく窓から顔を戻した。


「その理屈、嫌いじゃない」


 渚は二杯目のご飯をそのまま口へ運んだ。


 遥香はテーブルの端でスマホを何度も切り替えていた。地図を開いたかと思えば大会の通知へ戻り、今度は潮況の画面を出している。親指が画面の上を何度も往復していた。


 大三島へ向かう船では、エンジンの低い音が続いていた。甲板へ出ると風が頬に当たったが、昨日の伯方島沖とは違い、そのまま後ろへ抜けていく。凪は端まで歩いて水面へ目を落とし、船尾から伸びる白い航跡と、その外側で折れる小さな波を追った。


 航跡が崩れるまで見届けて船内へ戻ると、芽衣と遥香が並んで座っていた。遥香は鞄から酔い止めを出して見せたが、芽衣が首を振ったのでそのまま薬をポーチに戻した。


 売店の前では、渚が棚を見たまま動かず、その後ろから結がスマホを向けていた。


「渚、こっち向いて」

「今ですか」

「今」


 渚が振り返ると、片手には小さな袋を持っていた。


 シャッター音が鳴った。


 陽は窓際で海に顔を向け、手には何も持っていなかった。船が揺れるたび、膝の上に置いた指だけが動いた。


 船内にはほかにも空席があったのに、花は澪の隣に座っていた。肩は触れていないが、二人の間には荷物を置けるほどの隙間もない。


 澪が窓の外へ顔を向ける横で、花も同じ海を見ていた。


 凪は、その二人から目を離した。


 船は、島の影へ入っていった。


 岸壁の先には、浮標で囲まれた大三島沖の区画Bが広がっていた。小さな波にロープが上下し、水面には白い筋が残っている。伯方島沖の転流中のように、途中でほどける様子もなかった。


 凪は岸壁にしゃがみ、水へ指を入れた。指先を押す水圧は変わらず、浮標のロープも同じ方向へ張っている。昨日の転流中のように、触れている水の圧がふっと抜けることもない。


 読める。


 少なくとも、今は揺れていない。


 凪は指を抜いてタオルで拭いたが、指先にはまだ冷たさが残った。


 宮島高校は、すでに来ていた。


 宮島側からジッパーを閉める音とタオルを置く音が続いた。目を向けると、畳まれたタオルもゴーグルも同じ向きに揃い、バッグの肩紐まで同じ側へ落ちている。


 水際に、一人だけ立っている選手がいた。


 背も高くなく、体格も目立たない。腕を組むでもストレッチをするでもなく、水際でただ立っていた。


 踵は浮かず、肩も揺れない。髪の先から落ちた水滴だけが、足元の石に黒い点を増やしていく。


 渚が、凪の横で足を止めた。


「なんか違う」


 凪はタオルを握ったまま、宮島の水際に目を向けた。


 国際広なら、相手が入る前に道が狭くなった。庄原北なら、身体を返す前に水が押してきた。けれど、あの選手は踵も肩も動かない。どちらへ出るのかを拾えるものが、まだ一つもなかった。


 凪が見ている先へ、隣に来た澪も目を向けた。


「あれが、宮内瀬那じゃ」


 澪の声に、後ろから来た花も宮内へ目を向けた。


「二年なんじゃろ」

「そうじゃ」

「二年であれなん」


 澪が何も足さないまま海へ目を戻すと、花も口を閉じた。


 結が小さなホワイトボードを抱えて戻り、その横に遥香が立った。芽衣がタオルを置き、陽もゴーグルを手に取った。渚だけは、まだ宮内の方を向いていた。


 結がボードを岸壁へ立てかけようとしたところで、澪が全員の前へ出た。


「今日のスタメンを言う」


 結の手が、ボードの角に残ったまま止まった。


「凪、花、陽、結、うち」


 芽衣が顔を上げ、遥香と渚も澪へ目を向けた。花も一度口を開いたが、何も言わないうちに澪は水際へ歩き出した。


 凪がゴーグルをつけると視界が狭まり、水面の光が透明な板の向こうで揺れた。


 宮島高校も水際へ並び、その中から宮内が一歩だけ前へ出た。浮標のロープが水面で細く揺れ、元の張りへ戻るまで一拍かかる。


 審判が潮況ボードを掲げた。


【本日の潮況】

 時刻:14:00

 方向:東→西 秒速0.4m

 特記:島陰の影響あり

    区画内に流速差あり


 凪はボードから水面へ目を戻した。方向は、さっき指先で拾ったものと同じだった。


 流速差。


 水面に残る白い筋は、区画の沖寄りだけ手前より早く西へ伸びている。


 審判がボードを下ろすと、両校が開始位置へ散った。結と陽がそれぞれの位置へ向かい、花も肩を一度回して水際へ出る。澪はもう海を向いていた。


 その背中は、いつもと同じだった。


 凪は澪の隣に立った。


 結が息を吸った。澪は前を向いたまま動かない。


 笛が鳴った。

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