↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮球  作者: カミツキ
八人の夏

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/101

第42話 変わる、潮

 試合前の伯方島沖は風がなく、水面だけを見れば平らだった。遠くでは白い橋桁の下を船がゆっくり進んでいる。凪は岸壁にしゃがみ、その静かな水へ指を入れた。


 速い。


 生口島の区画とは、別の水だった。


 指先を少し動かすだけで、持っていかれる。

 引っ張られるというより、最初から決まった道に乗せられる感じがした。


 渚が、浮標で区切られた競技区画の端を見ていた。


「なんか変な感じがする」

「流れ?」

「分からん。でも、なんか変」


 渚は、その端から目を離さなかった。


 国際広の選手たちが水際に並んだ。体格も声も目立たないのに、五人とも立つ場所に迷いがなく、水面を見ながらすでに試合の位置へ身体を置いていた。


 審判がボードを掲げた。


【本日の潮況】

 時刻:12:00

 方向:東→西 秒速0.7m

 特記:来島海峡の影響・流れ変動あり

    転流予定:13:10頃


 花がボードの特記欄に指を向けた。


「転流って何なん」


 澪も花の指先を追って、特記欄を見た。


「流れが逆になる」

「逆?」

「予定通りなら、試合にはほとんど関係ない」


 花が水面を見た。


「予定通りなら?」


 国際広の選手たちもボードを見ていたが、誰も騒がなかった。そのうち一人だけが水際にしゃがんで指先を入れ、すぐに水から上げた。


 試合開始の笛が鳴った。


 凪が先に潮核を拾うと、胸元のゼッケンが赤く光った。右手の浮標側へ流そうと身体を返した瞬間、国際広の選手が正面から距離を詰め、伸びた指がゼッケンに触れてそのまま残った。


 一秒。


 凪は触れられたまま水を蹴って前へ出て、相手の腕から逃れるように身体を反対へ返した。けれど、その進路にも別の青いゼッケンが半歩先に入っている。


 二秒。


 このままでは三秒になる。凪が潮核を流れへ離すと胸元の赤い光が消えたが、流れた先には国際広の選手が入り、そのまま潮核を拾った。


 次の潮核では陽が先に身体を沈め、水中で進路を変えたが、浮き上がった先にはもう国際広の選手が身体を入れていた。


 凪が息継ぎに水面へ出たところで、少し離れた遥香も顔を上げた。その瞬間に結の声が飛ぶ。


「芽衣、浮標側残して!」


 芽衣がすぐに身体を沈めたが、その進路にも国際広が先に入っていた。


 流れを読んでいるのではない。凪たちが次に入る場所を、先に潰している。


 青い光がゴールゾーンへ沈み、ブザーが鳴った。


 その後は残る三つでも得点が動かず、第一ピリオド終了の笛が鳴った。凪が水面へ上がると、岸の得点板には0対1が出ていた。


 五分後、第二ピリオドが始まると、陽が先に前へ出て身体を沈めた。水中で一度進路を変えたが、その先にはもう国際広の身体が入っていた。二度目も同じで、三度目にようやく腕を伸ばせる距離まで入ったものの、指先だけが届かない。


 昨日なら、届いていたかもしれない。


 凪は水中から、国際広の動きを見ていた。


 分かっていても、今日はその半歩へ身体が届かなかった。


 芽衣が前へ出て、潮核を持つ国際広の選手のゼッケンへ手を押し当てた。相手が身体を横へ逃がすと、追おうとした芽衣の足が水に浮かされる。


 一秒。


 昨日ならそのまま身体ごと寄せられたはずなのに、今日は蹴り直した足が水を捉えきれない。それでも指先だけはゼッケンから離さなかった。


 二秒。


 相手に引かれながらもう一度足を蹴る。


 三秒。


 青い光が消えたときには、その横を別の青いゼッケンが抜けていた。


 凪は流れてきた潮核を拾い、西へ走る潮へ乗せるように沈めようとした。潮核は狙った方へ引かれたが、肺に残った息ではもう一段身体を沈められず、伸ばした腕もいつもの深さまで届かない。


 潮核は流れへ入りきる前に浮いた。


 花が一人の進路へ身体を入れて止めたが、その隙にもう一つの青いゼッケンがゴールゾーンへ向かっていた。凪が身体を返すより先に青い光が沈み、ブザーが鳴った。


 その後は残る三つでも得点が動かず、第二ピリオド終了の笛が鳴った。凪が水面へ戻ると、得点板は0対2に変わっていた。


 五分のインターバルに入ると、凪はベンチの渚が得点板ではなく競技区画の端を見ていることに気づいた。凪が前を通っても、その視線は動かなかった。


 五分後、第三ピリオド開始の笛が鳴り、凪はもう一度水へ入った。


 これで負けたら、終わり。


 誰かが言ったわけではなかった。でも、水の中にいる間、ずっとそこにあった。


 二人が同時に入ってきても、花は先に一人の正面へ身体を入れた。ぶつかった肩を押し返され、昨日までなら踏ん張れた位置から半歩流される。それでも足を蹴り直し、相手のゼッケンへ手を残した。


 一秒。


 相手が身体を沈めても、花も一緒に潜る。


 二秒。


 もう一度押されても指は離れなかった。


 三秒。


 青い光が消えた。


 凪も流れの先へ出ようと水を蹴った。潮の向き自体は読めているのに、国際広は先に身体を置き、凪の身体は半拍ずつ遅れていく。もう一つの潮核が流れたところへ腕を伸ばしたが、指先まであと少し届かなかった。


 届かない。


 凪の指先を抜けた潮核を国際広が拾い、その青い光がゴールゾーンへ沈んでブザーが鳴った。


 その後は残る三つでも得点が動かず、第三ピリオド終了の笛が鳴った。凪が岸へ戻ると、得点板には0対3が残っていた。


 陽の肩は大きく上下し、芽衣もその場に手をついていた。


 澪は水面を一度見てから陽の前へ立った。


「陽、渚と替われ」


 陽が一度だけ頷くと、澪はそのまま芽衣へ顔を向けた。


「芽衣、うちと替われ」


 芽衣が顔を上げ、何かを言いかけたが息だけが出た。


 澪はもう水際へ歩いていた。


 渚は岸壁の端に膝をついて指先だけを水へ入れ、一秒だけ目を閉じてから立った。


 第四ピリオドが始まって十秒ほどは、国際広も凪たちもそれまでと同じ位置へ動いていた。ところが、凪の足首を西へ押していた水圧が、ふっと抜けた。泡の列も途中でほどけ、次の瞬間には反対側から脛へ水が当たる。


 水が変わった。


 十三時十分頃のはずだった。


 転流が、もう来ている。


 国際広の二人が同時に身体を向けかけ、途中で止まった。さっきまでなら先に塞がれていた場所が、まだ空いている。


 凪も止まり、足の裏から新しい流れの向きを拾おうとした。けれど、速さも、どこで曲がるかもまだ分からない。


 読めない。


 その横で、渚だけがもう身体を返していた。迷うように止まることもなく、崩れた泡の列へそのまま入っていく。


 流れてきた潮核へ渚が手を伸ばし、拾った瞬間に胸元のゼッケンが赤く光った。


 国際広の選手が身体を返しかけたが、渚の進路へ入る前に一度止まった。


 渚はそのまま潮核を深く沈め、ゴール側へ先に出ていた澪へ流した。澪が受け取って身体をゴールへ返すと、国際広が進路へ入り直すより先に赤い光が沈み、ブザーが鳴った。


 一点返した。


 渚はすぐに次の潮核へ向かった。転流はまだ収まらず、国際広が何度も身体を返して位置を取り直す横で、渚だけは止まらず、ほどけた泡の外側へ身体を沿わせていった。


 そのまま流れの境目を抜けて潮核を拾うとゼッケンが赤く光り、追ってきた国際広が進路へ入る前に深く沈めた。先へ出ていた澪が受け取り、その赤い光がゴールへ沈んでブザーが鳴った。


 あと一点。


 国際広の選手が水面に顔を出した。凪も息継ぎに浮上したところで、結の声が飛んだ。


「凪、岸壁側の潮核捨てて!」


 凪は岸壁側へ流れていた潮核を追わず、その手前を横切った。国際広の二人が凪へ寄る。


 凪が追わなかった潮核へ、沖側から渚が流れに乗って入ってきた。渚が潮核を拾うと胸元のゼッケンが赤く光り、凪へ寄った二人はまだ戻れていない。渚の正面には、国際広の身体が入っていなかった。


 そのまま渚が身体を沈め、赤い光がゴールゾーンへ沈んでブザーが鳴った。


 並んだ。


 凪の足首へ当たる水圧が、今度は同じ方向から続けて来た。さっきまで途中でほどけていた泡も、一つの筋になって流れている。


 固まってきた。


 読める。


 凪が潮核へ手を伸ばした。肺の奥はもう苦しく、ここで浮上すれば国際広に先へ入られる。


 あと一手だけ。


 潮核を拾うと胸元が赤く光り、国際広の一人もすぐに身体を返した。もう修正している。けれど、凪は足首へ続けて当たる水圧の向きへ身体を乗せ、相手が進路へ入りきる前にゴール側へ抜けた。追ってきた手が胸元へ届くより先に、赤い光が沈んだ。


 ブザーに続いて試合終了の笛が鳴り、凪が水面へ上がると、岸の得点板には4対3が残っていた。


 時間は、残っていた。


 岸壁へ上がった渚が、濡れた指先を見た。


「終わった」


 遥香も隣へ腰を下ろし、肩から息を吐いた。


「終わりましたね」


 少し遅れて、凪が渚の横で岸壁に手をついた。


「さっきの違和感、何だったの」

「変わる気がしたんです。どこで変わるかは、分からんかったけど」

「転流だった」

「凪さんは、読めたんですか」

「流れが落ち着くまでは、読めなかった」


 渚は水を一口飲み、さっき指を入れた水面へ目を戻した。


「うちは読めんけど、変なのは分かります」


 凪は答えず、水面へ目を戻した。伯方島の水には、もう新しい流れが走り始めていた。


 宿泊棟へ戻ると、花はそのままベッドへ倒れ、芽衣も隣へ横になった。渚はジャージを脱ぐこともなく丸まり、遥香はリュックを下ろす前に目を閉じる。陽はもう動かなかった。


 夜になり、部屋に寝息だけが残ったころ、凪の枕元でスマホが短く震えた。凪は薄く目を開ける。光った画面に見えたのは、対戦表の一行だけだった。


【地区大会3回戦】

 三原中央高校 vs 宮島高校


 画面が暗くなるころには、凪の目ももう閉じていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。