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潮球  作者: カミツキ
2年目の海

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32/101

第32話 夏まで

雨が、朝から降っていた。


 オーシャンプラザの入口広場に、凪と渚と澪が先に着いていた。

 屋根の下に入って、雨が斜めに吹き込んでくるのを避けながら立っていた。


 施設は古い。コンクリートの壁に、長年の雨染みがある。

 広場の端に野外ステージがあって、雨に濡れていた。

 誰も使っていない。梅雨の休日の午前中だった。


 渚が広場の屋根の端を見上げた。


「でかい施設ですね」


「三原じゃ昔からある」


 澪が傘を閉じた。


 しばらくして、花と芽衣が走ってきた。

 芽衣は傘を差しているが、花は差していなかった。

 花の前髪から、雨粒が落ちていた。


「濡れとるじゃん」


「走ったけん濡れとるんよ」


 花が前髪を一度だけ払った。


 少し遅れて、橋の方から傘を差した結と遥香が来た。

 遥香が少し息を切らしている。


「待った?」


 結が傘を閉じながら澪を見た。


「今来たところじゃ」


 入口の自動ドアが開いて、陽が出てきた。

 手には紙パックの飲み物があった。


「もう入っとったん?」


 陽は頷いた。


 八人が揃った。雨が広場の石畳を叩いている。


「入るぞ」



オーシャンプラザのトレーニング室。


 中に入ると天井の蛍光灯が、一か所だけ少し点滅していた。


 澪がタイマーをセットした。


「体幹とスクワット。交互に三セット」


 マットを敷く音が続いた。全員が床に散らばった。


 花が器具の前で一度だけ立ち止まった。


「ここ、うちが小学校のとき水泳教室で来よった施設なんよ」


「へー」


 結がマットに肘をつきながら返す。


「プール、ずっと変わっとらん」


 花が手すりを一回だけ握って離し、そのままマットに伏せてプランクに入る。

 陽がタイマーを押した。


「これ何秒ですか」


「六十」


「長い」


 花の腕が、少し震えていた。

 芽衣も同じだった。二人とも崩れなかった。


 遥香はフォームを崩さなかった。視線が床の一点に落ちたまま動かない。


 タイマーが鳴った。


 三セット目が終わるころには、床に汗の跡が残っていた。


 澪がランニングマシンを指した。

 凪は隣に並んだ。


「今年、早いですね」


「去年が遅れただけじゃ。台風で」


「地区大会も?」


「危なければ延びる」


 六月。地区大会まで二か月を切っていた。



トレーニングが終わった。


 更衣室から出ると、梅雨の湿った空気が戻ってきた。


 花が荷物を肩にかけた。


「セトグランで何か食べていかん?」


 結の顔が花の方へ向いた。目が少し光っていた。


「晴天堂行こ」


 陽がすでに歩き出していた。


 道路を渡ると、セトグランの駐車場に出た。

 雨粒が水たまりに落ちて、小さな輪をいくつも作っていた。


 凪の足が、半歩だけ遅れた。


 潮目ではない。

 ただの雨水だった。


「冷たっ」


「見て歩きんさい」


 雨で白く光ったアスファルトの向こうに、晴天堂Cafeの看板が見えた。



晴天堂Cafe。


 花が引き戸を開けた。


「いらっしゃいませ」


 店内は明るかった。テーブルが並んでいる。

 昼を少し過ぎた時間で、席は半分ほど埋まっていた。


 八人で奥の席に向かった。

 花だけ、迷わず奥へ進む。残りが少し遅れてついていった。


 メニューを開いた。渚がたまごサンドの写真のところで止まった。


「これ食べたい」


 店員が近づいてきた。


「たまごサンドは本日売り切れとなっております」


 渚がメニューに目を落とした。


「じゃあナポリタン」


 芽衣が口元を押さえた。


 くりーむパンのトーストが届いた。


 遥香の前に白い皿が置かれた。

 きつね色に焼けたパンの中から、クリームが少しだけはみ出している。


 遥香がひとつ取った。かじった。


 クリームが少しだけ唇についた。結がナプキンを差し出した。

 遥香はそれを受け取る前に、自分で拭いた。少し赤くなっていた。


 花がハンバーグを切りながら横を見た。何も言わなかった。



渚がナポリタンの皿を空にした。


「おいしかったです」


「たまごサンドのことは?」


 結がレモンティーをすすりながら向いた。


「次は朝からきます」


「その時はクリームパンのお土産待っとるよ」


 窓の外で、雨が少し弱くなっていた。アスファルトが濡れて光っている。


 澪がカップを置いた。


「因島の海は知らん」


 コーヒーの匂いが、少しだけ漂った。


「じゃけん、体だけ先に作る」


 花がフォークを持ったまま前を向いた。


 芽衣が頷いた。遥香はくりーむパンの残りに目を落としたまま、静かに頷いた。


 渚は水を一口飲んだ。


 陽は窓の外を見ていた。雨が、また少し強くなっていた。


 八月の海は、まだ見えなかった。

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