第30話 分かれ目
澪の指先が、潮核に触れた。
掴めなかった。
ただ、軌道は変わった。潮核は岩礁の影へ逃げる。
忠海中央の選手が追った。
凪も追った。
流れが折れる手前で、足の裏がまた止まる。
岩礁の左側。
さっきより、少し近かった。
花が岸から戻ってきた。退水が解けていた。
水面で一度だけ深く息を吸い、そのまま潜る。
五人に戻った。
それでも、水面の声はなかった。
忠海中央がもう一度動く。
能島が潮核へ向かい、澪が追った。
陽が外側を切る。
花は戻ったばかりの体で、能島の前に入った。
能島が深く沈める。
沈めた先で、流れが折れた。
凪の手が届いた。
潮核に触れる。
掴む前に、指先を弾かれた。
それでも、ゴールゾーンからは外れた。
第2ピリオド終了。
スコア:忠海中央 1-三原中央 0
インターバル。
花が水面に上がってきた。肩で息をしていた。
「ごめん」
澪が短く返した。
「海じゃ」
花は唇を噛んだ。
澪がベンチを見た。
「遥香。芽衣と交代じゃ。水面に入れ」
芽衣は何も言わなかった。
自分が下がることは、もう分かっていた。
結はゴーグルを握ったまま、遥香を見ていた。
「全部見ようとしたら遅れるけんね」
「はい」
「でも、見えたら言えばええ」
遥香が頷いた。
芽衣は水面を見たまま、ゴーグルを外した。
「止めきれませんでした」
「止めた。次は見とけ」
第3ピリオド。
遥香が水面に残った。
花、凪、澪、陽が水中へ入る。
水面から見る鞆の浦は、三原とも大久野島とも違った。
潮核は、まっすぐ進んでいるように見える。
でも岩礁の影を通ると、一瞬だけ遅れる。
遅れたあとに、向きが変わる。
遥香の息が浅くなった。
「左」
遅かった。
忠海中央はもう左へ曲がっていた。
能島が潮核を拾い、ゼッケンが光る。
澪が前に入り、三秒タッチが始まった。
遥香は潮核を追うのをやめた。
岩礁の影を見る。
水面が、そこだけ少し黙っていた。
遥香は水面を蹴った。
ベンチの結が、少しだけ身を乗り出した。
「そこ入るん!?」
能島が潮核を横へ手放す。
忠海中央の選手が受けに来た。
その通り道に、遥香の体が入った。
触れたわけではない。
ただ、受けに来た選手の通り道が少し狭くなった。
凪の足の裏が止まった。
流れが折れる。
花がそこに入った。
さっき横へ流された場所だったが、今度は折れる前に体を入れていた。
潮核を拾う。ゼッケンが光る。
忠海中央の選手が来た。
花の体が押され、横へ流れる。それでも倒れなかった。
踏ん張った足が、岩礁の影の流れを掴んでいた。
ゴールゾーンへ。
赤い光。ブザー。
スコア:忠海中央 1-三原中央 1
遥香が水面に上がった。大きく息を吸う。
ベンチで、結が少しだけ笑っていた。
第4ピリオド。
能島が前に出た。
遥香は水面から見ていた。凪も、水中で見ていた。
流れが折れる場所は、少し分かった。
けれど能島は、折れる前から沈んでいた。
凪が動く。
遅い。
能島は岩礁の影へ入った。
体が沈む。
潮核も沈む。
流れが折れた。
折れた先に、能島だけがいた。
陽が追う。
花が追う。
澪が内側へ入る。
能島は潮核を浅く流した。
別方向で、忠海中央のゼッケンが光る。
「右!」
遥香の声に、花が反応した。澪も動く。
そこではなかった。
さらに奥。
岩礁の裏側で、もう一度流れが折れていた。
忠海中央が拾う。ゴールゾーンへ。
青い光。ブザー。
遥香が、水面で奥の岩礁を見ていた。
「一つ目を、見せられました」
奥の岩礁の影で、泡が遅れて浮いた。
「本命は、二つ目でした」
スコア:忠海中央 2-三原中央 1
遥香は水面で止まった。
一度、水中へ入ろうとした。
けれど、視線は奥の岩礁から離れなかった。
結が、口を少し開けた。
「今の、よう残ったね」
遥香は水面に残った。
潮核が三つ、別々の流れに乗っていた。
能島が一つへ向かい、忠海中央の別の選手が逆へ走る。
凪の足が止まる。
岩礁の左側ではない。
奥だった。
さっき能島が使った、二つ目の折れ目。
遥香が奥の岩礁を指した。
手のひらで、水面を斜めに切る。
「奥です! 二つ目!」
凪が見た。
陽も見た。
能島が潮核を掴む。
澪が前に入った。
三秒タッチが始まる。
泡の向こうで、陽のサインが出た。
花が動く。
潮核はまだ遠い。
流れに乗っている。
普通に追えば届かない。
凪の足の裏が止まった。
流れが折れる。
今度は、止まるだけじゃなかった。
凪が先に手を伸ばし、潮核の軌道が変わる前に指先で触れる。
潮核が浅く流れた。
ベンチの結が、息を吸った。
「うそじゃろ、それ」
花の前へ。
花が拾った瞬間、ゼッケンが光る。
忠海中央の選手が二人来る。
一人が正面に入り、もう一人が横から触れた。
三秒タッチ。
一秒。
花の体勢が崩れた。
正面を塞がれ、体が沈む。
二秒。
横へ流される。
足が水を掴めない。
それでも、潮核を抱えた腕だけは離さなかった。
前へ。
三秒になる、その直前。
花の腕が、ゴールゾーンの境界を越えた。
潮核が沈む。
赤い光。
ブザー。
次の瞬間、花のゼッケンの光が消えた。
試合終了の笛が重なった。
水面に、三原中央の五人が上がった。
誰もすぐには声を出さなかった。
花はゴールゾーンの方を見ていた。
「追いついたん?」
渚の声が、岸から飛んだ。
審判がスコアボードを見た。
スコア:忠海中央 2-三原中央 2
花がその場で、ようやく息を吐いた。




