第29話 潮の分かれ目
三原駅から福山まで電車に乗った。
車窓から、三原の港が遠ざかっていった。
工場の煙突が並び、また緑が増えてくる。福山に着いて、バスに乗り換えた。
バスが山を越えたとき、遠くに海が見えた。
鞆の浦のバス停を降りた瞬間、潮の匂いが近くなった。
三原とは違う匂いだった。濃くて、古い。
石垣が続く細い道。蔵の白壁。古い港町の岸壁が、そのまま海へ落ちていた。
対岸に島が重なって見える。その間を、流れが走っていた。
「……三原と違う」
遥香が立ち止まった。
「潮の匂いが重い」
「長いこと港やっとるけんね」
花は岸壁を見たまま歩き続けた。
試合会場。鞆の浦の港の一角。
審判がボードを掲げる。
【本日の潮況】
時刻:10:00
方向:複合
速度:秒速0.5m
特記:瀬戸内航路の影響で複数方向混在
岩礁周辺に急変ポイント複数あり
凪は水面に手を当てた。
足の裏が、途中で止まった。流れが折れている。
対岸に忠海中央の五人が並んでいた。
能島蒼が前に出た。
凪と目が合った。
能島はそのまま視線を水面に戻した。
でも凪には、その一秒に、去年の海が戻ってきた。
澪が凪の隣に立った。
「慣れる前に感じろ。流れが折れる場所を、入りながら探す。焦らんでいい」
試合開始の笛が鳴った。全員が海へ。
水に入った瞬間から、三原と違うと分かった。流れがどこかで折れている。
岩礁の陰を通るたびに、足の裏の感覚がズレる。
凪が探した。流れが折れる場所。
忠海中央が動いた。能島が先に動いた。
能島の軌道が、岩礁の手前で急に曲がった。曲がった先でそのまま加速する。
三原中央のディフェンスが追う。追いつかない。
でも花が先に回り込んでいた。
体でコースを塞いだ。能島が止まった。三秒カウントが始まる。
潮核が手から離れた。流れに乗って横へ。忠海中央の別の選手が拾う。
陽がサインを出した。全員が動く。澪が潮核へ向かう。
岩礁の手前で流れが変わった。澪の軌道がズレた。
忠海中央に拾われた。
凪が追った。流れが折れる手前で、足の裏が先に止まった。
忠海中央が深く沈めた。流れが向こうへ運ぶ。ゴールゾーンへ。
陽が追った。陽の手が届いた。三秒タッチ。
カウントが終わる前に、陽が別の忠海中央の選手へのパスコースを塞いだ。
潮核が手から離れた。流れの中へ散った。
得点は動かなかった。
第1ピリオド終了。
スコア:忠海中央 0 - 三原中央 0
インターバル。水面に集まった。
澪が一歩前に出た。
「鍵、見えたか」
凪は鞆の浦の岸壁を見た。
古い石垣の下で、潮が一度だけ斜めに揺れた。
「あと少しです。体は止まる。でも、場所がまだ分かりません」
「次のピリオドで探せ」
「次は水面担当なしで行く。結衣が入れ。五人で守って、凪に探る時間を作る」
結衣が頷いた。
水面を一度見た。
「攻めは捨てるんですか」
「捨てない。凪が見つけた瞬間、誰でも前に出られる形にする」
結はベンチで、ゴーグルを握っていた。
水面を見る場所が、空いた。
第2ピリオド。
結衣が水中へ入った。
五人全員が水中にいた。水面の声はなかった。
花が息継ぎに水面へ出た。見渡す。潜る。また出る。また見渡す。声はなかった。
結衣は見える範囲でディフェンスに徹した。
右のコースを切る。左のコースを潰す。全体は見えなかった。
でも自分の前は、止められた。
陽が潮核を持ったまま泳ぎ続けていた。サインはない。
流れを読んで、渡せる場所を探していた。
澪が攻めを試みた。岩礁の手前。流れが変わった。またズレた。
凪は探し続けた。
流れが折れる感覚。足の裏に来るズレの前兆。どこで変わるか。
岩礁の左側。
そこを通るたびに、足の裏の感覚が変わっていた。
ここだけじゃない。でも、ここが一番強い。
足の裏が止まった。
流れが折れた。
花が横へ流された。踏ん張る前に、忠海中央の選手と肩がぶつかった。
笛。
審判の腕が上がった。
退水。
花が水面に上がった。
岸の方へ向かいながら一度だけ振り返った。
水中に残った三原中央は、四人だった。
忠海中央がすぐ動いた。
潮核を持った選手がゴールゾーンへ向かう。
もう一人が逆方向を走る。
結衣が潮核を持った選手へ向かった。
触れた。三秒タッチが始まる。
逆方向で、別のゼッケンが光っていた。
止まらなかった。
誰もいなかった。
ゴールゾーンへ、青い光が沈んだ。
ブザーの振動だけが、水の中へ届いた。
でも全体が見えなかった。水中から見えるのは、自分の周囲だけだった。
スコア:忠海中央 1 - 三原中央 0
潮流が動いた。
もう一つの潮核が、流れに乗って動き始めた。
結衣の方向へ来ていた。
忠海中央の選手が先に動いた。
澪が横から入った。
指先が、潮核に触れた。




