第17話 春が、来た
4月。
空気が変わっていた。
造船所の音。フェリーの汽笛。
潮の匂いに、春の温かさが混じっていた。
凪が自販機でお茶を買う。冷たいやつに変えた。
ボタンを押して待つ間、港を見た。
澪が来た。隣に立って、海を見た。
「今年も始まるぞ」
「……始まりますね」
波が来る。引いていく。
春の瀬戸内は、冬より明るかった。
部室に五人が集まった。
棚にだるまが並んでいた。
背中は見えない向きに置いてある。神明市で買ったやつが、五つ。
右目だけはすべて白かった。
澪が全員を見渡した。
「今年の目標、地区大会出場。忠海中央に勝つ。それだけじゃ」
誰も何も言わなかった。
「まず新入生を迎える。来年の部員につながる子を見つける。全員で動くぞ」
花が頷く。
「任せて」
結が先に歩き出した。
陽も静かに立ち上がる。
放課後。
花が帰り道を歩いていると、後ろから声がかかった。
「潮球部って、花先輩のとこですよね」
振り返ると、小柄な女子が立っていた。
糸崎結衣。
同じ町内会の、一つ下の子だった。
「結衣?」
「神明市でだるま買っとるの見ました」
「だるまが?」
「部活が、ですよ」
花が少し笑った。
「やりたいん?」
「やりたいです。海、好きなので」
「じゃあ来んさい」
それだけだった。
翌日。
部室のドアをノックする音がした。
澪が開けると、背の高い女子が立っていた。
沖野渚。
「潮球部ですよね。入りたいんですけど」
「経験は?」
澪が聞いた。
「中学で少しだけ」
「なんで入りたいん?」
渚が少し考えた。
「……昔から、海入ると変な感じするんですよね」
「変?」
「落ち着くっていうか、流れ分かる気がするっていうか」
澪が凪を見た。凪は渚を見た。
「準備しておけ」
結衣と渚が、入部届を出した。
「二人も入ってくれた!」
結が机を叩いた。
「よかった」
花が小さく笑った。
「まだ始まったばかりじゃ。育てるぞ」
凪は渚の入部届を見ていた。
そのとき、部室のドアが開いた。
「あの…潮球部ですよね」
全員が振り返った。
「入部届、出しにきました」
澪が少し目を細めた。
「名前は?」
「望月遥香です。静岡から来ました。潮球、やってみたいです」
「え、静岡から!?」
結が目を丸くした。
「はい。前は海でよく泳いでたんですけど…瀬戸内の海が気になって」
「太平洋と瀬戸内、全然違うけど大丈夫なん?」
花が首を傾げた。
「まあ、うちもよく分かっとらんのじゃけど」
「だから来たんです」
澪はしばらく遥香を見ていた。
「入れ」
部室に八人が集まった。
今まで五人だった部屋が、急に狭くなった気がした。
澪が新入生三人に目を向けた。
「明日から練習を始める。海に入ったことがない子は?」
「あります」
結衣が先に答えた。
「一応あります」
「あります。でも瀬戸内は初めてです」
「そうか」
澪が全員を見渡した。
「明日から始める。よろしく」
「おー」
結だけが小さく返した。
凪は新入生三人を見た。
去年、自分もここにいた。
でも、少し違った。
結衣は自分から来た。
渚は体で海を知っている。
遥香は知らない海を求めてここに来た。
部室に、少しだけ新しい空気が流れていた。




