第14話 水面の理由
瀬戸内潮球センターでの合宿3日目の朝。
施設の空気に、少しだけ慣れてきた気がした。
塩の匂いがないことも、波の音がないことも、昨日より気にならなかった。
練習が始まる前、凪は水面に手を当てた。
規則的な流れ。読もうとするより、パターンを感じる方が早かった。
大崎上島がまだ苦労していた。
島の海で育った選手たちが、人工の流れに翻弄されている。
島影を探す癖が抜けない。自然の海での「読み方」が、ここでは逆に邪魔をしていた。
でも、一人だけ早く慣れた選手がいた。
大崎上島のエース、木江汐だった。
流れを読もうとせず、ただ体を動かしていた。
花が木江を目で追った。
「あの子、なんか変わったね」
澪は木江から目を離さなかった。
「島の海を知りすぎとるけん、逆に捨てるのも早いんじゃろ」
練習の合間。
鏡山が凪の隣に来た。
「昨日の話、制御できないから読みたい、って言ったじゃろ。それって怖くないん?」
「昔は怖かった。今も、少し怖い。でも、怖さより知りたいが勝ってきた」
鏡山が少し考えた。
「うちは逆なんよね。怖いから制御したい。制御できるものを極めたい」
「でも、公式戦は全部海ですよね」
「そう。じゃけん毎年負ける」
鏡山が少し笑った。
「でも、それでもやるんよ」
鏡山が水面を見た。
「ここで極めたものが、いつか海でも使えると思っとる。制御された流れで覚えたことが、不規則な流れの中でも基礎になる」
「……鏡山さんの潮球、来年の公式戦で見てみたいです」
「海では負けるよ」
鏡山が笑った。
「それでも見たいです」
4日目。
凪は練習しながら、結を見ていた。
結は、いつものように水面に残った。
誰かが息継ぎに上がるたび、短く声を飛ばす。
「右!」「今!」「深く!」
でも、声が昨日より少し小さかった。
練習が終わった後。
結が一人でボードの前に立っていた。
凪が近づいた。
「結、今日、声小さかったね」
「そう?」
「うん」
結が水面を見た。
「水中に入らんのが、なんか引け目に感じてきて」
「結の声、助かっとるよ」
「分かっとるつもりじゃけど」
「でも、うちが水中に入れたら、もっといいじゃろ」
凪は少しだけ首を振った。
「それは、違うと思う」
「水中だと見えん時あるけど、結の声で分かる時ある。あれ、結にしかできんよ」
結が凪を見た。
結の目が、わずかに揺れていた。
「凪は水中に入れるけんそう言えるんじゃろ」
凪は何も言えなかった。
その日の夜。休憩スペース。
結が一人で缶コーヒーを飲んでいた。
自販機の明かりが、白く床に落ちていた。
鏡山が通りかかった。
「今日、水面におったね」
「うん。うちは水面担当じゃけ」
「上から見たら、違う?」
結は少し考えた。
「違う。水中に入ったら見えんものが見える」
「そっか」
鏡山はそれだけ言って、自販機のボタンを押した。
缶が落ちる音がした。
鏡山はお茶を持って、休憩スペースを出ていった。
結は、缶コーヒーを見ていた。
花が、陽と一緒に戻ってきた。
タオルで髪を拭いている。
「今日の右、助かった」
結が顔を上げた。
「聞こえとったん?」
「一瞬だけじゃけど聞こえとった」
陽が水筒を開けた。
「下も」
結の手が、缶の上で止まった。
「聞こえとったんじゃ」
「聞こえたけん、潜った」
陽はそれだけ言って、水を飲んだ。
5日目。
結は、水面にいた。
最初の一分、結は声を出さなかった。
花が息継ぎに上がった。
片手が、水面の上で小さく動いた。
結が大きく息を吸い込んだ。
「左!深く!そこ空く!今!」
テンポが速くなっていた。迷いがなかった。
息継ぎに上がった澪が、一瞬だけ結を見た。
花が水中から上がってきた。
「結、今日なんか違うね」
「うちの場所、やっと分かった気がした」
夜。
五人が部屋に集まった。
花が毛布をかぶったまま、指を折った。
「あと2日か」
結が窓の外を見ていた。
「早いね」
結が小さく息を吐いた。
陽は天井を向いたままだった。
「明日も練習じゃけんな」
「最終日に練習試合がある」
澪は荷物を確認する手を止めなかった。
「それまでに体を合わせる」
花が毛布から顔を出した。
「三原帰ったら来々軒行こ」
「まだ2日あるじゃろ」
「予約しとくんよ」
結だけが、少し笑っていた。




