波に消える声
昼下りの海沿いの道。
冷たい風が吹いていた。
鉛色の空。
防波堤の向こうで、波が鈍い音を繰り返している。
悠人はポケットへ手を入れたまま、人気のない歩道を歩いていた。
スマートフォンの画面には、送信したまま既読にならないメッセージ。
短い文章ばかりだった。
「大丈夫?」
「何かあった?」
「生きてる?」
最後の一文だけ、送ったあと少し後悔した。
潮風が頬を冷たく撫でる。
悠人は小さく息を吐いた。
もう五日、連絡がない。
悠人は立ち止まり、小さく息を吐く。
あのクリニックへ行くことも考えた。
けれど、悠人は偶然を期待して海沿いを歩いていた。
自分は、澪の何を知っているんだろう。
名前は、澪。
多分、名字は水島。
黒い長い髪。
色褪せた黒いダウンジャケット。
それから、ミントグリーンの小さなキャリーバッグ。
覚えているのは、それくらいだった。
悠人は苦笑する。
「……そんなんで探せるかよ」
その時だった。
少し先の歩道の端で、白いものが動く。
悠人は顔を上げた。
白い犬だった。
中型の雑種犬。
見覚えがある。
犬は電柱の根元を嗅ぎながら、ゆっくり歩いている。
悠人の心臓が小さく跳ねた。
「……シロ?」
犬が顔を上げる。
黒い目が、一瞬だけ悠人を見る。
次の瞬間、犬はくるりと向きを変え、海沿いの細い坂道へ走って行った。
悠人は反射的に追いかける。
濡れた坂道。
古い住宅。
錆びたガードレール。
犬の白い背中だけが、薄暗い夕方の中で小さく揺れていた。
悠人は息を切らしながら坂道を上る。
「シロ!」
犬は一度だけ振り返る。
けれど次の瞬間、細い路地へ駆け込んだ。
悠人も慌てて後を追う。
古い住宅の並ぶ細い道。
錆びた物干し竿。
潮風で軋むトタン屋根。
だが、路地を抜けた時には、もう白い姿はどこにもなかった。
悠人はゆっくり息を吐いた。
もう、シロの姿は見えない。
住宅街は静まり返り、潮風だけが狭い路地を抜けていく。
悠人は諦めたように、そのまま海沿いへ出る。
白波が打ち寄せる防波堤。
遠くで漁船のエンジン音が響いている。
悠人はポケットへ手を入れたまま、防波堤の上をゆっくり歩いた。
対岸には、漁港の市場。
積み上げられた発泡スチロール。
白い作業灯の下を、一人の女性が、俯いたまま、重そうな箱を抱えている。
けれど、悠人の視界にはそれが入らなかった。
潮風が強く吹き抜ける。
悠人は立ち止まる。
遠くで、犬の鳴き声がした気がした。
それもすぐに波の音へ溶けていった。




