第2話・幽霊
青々としていたベルデク帝国の野原にも、間違いなく冬が訪れた。
幸い今年の冬はそれほど寒くなく、あちこちが依然として活気を帯びていた。
雪がめったに降らない帝国だが、今年は久しぶりに大雪が連日降り続いていた。不安な情勢は相変わらずだったが、忙しなく動く人々の姿は普段と変わりなかった。その点が、道を歩く人々の心に妙な安心感をもたらしていた。
一人の少年、レオニスは、そんな風景を退屈で面白みがないといった様子で見下ろしていた。昨年に比べて少し大きくなった自分の掌を握ったり開いたりしながら何か考えているようだったが、やがて外套を羽織り、繁華街へと足を向けた。
正午をとうに過ぎた時間、こんな中途半端な時間帯に屋敷に戻っても、思慮の浅い異母兄弟たちが変ないちゃもんをつけてくるのは目に見えていた。それでも構わなかったが、大雪が降る珍しい日にまで、そんな文句を聞いてやる理由はなかったからだ。
「本当にいるんだって。兄ちゃんが見たんだ!」
ゆっくりと歩を進めていた少年の耳に、自分よりさらに幼い子供たちの声が聞こえてきた。思わずそちらへ視線を向けると、近所に住む子供たちが悪戯っぽい声で騒いでいた。よくあることだと通り過ぎようとしたレオニスの足を止めさせたのは、それに続く言葉だった。
あまりにも大声で話すので、周りの人々が皆チラチラと見るほどだった。
「幽霊がいるんだってば!」
「え〜。お前そんなの信じてるのか?」
「違うって、兄ちゃんが言ってたんだ!真っ黒なのが、こう、バーってやったんだって!」
悔しそうに叫ぶ子供は、歩みを止めて自分をじっと見つめるレオニスと目が合うと、驚いたように口を閉ざした。いくら騒いでいたとはいえ、他人の話をあからさまに盗み聞きしてしまったと思い気まずくなったレオニスは、急いで歩き出した。
誰かがせっかくの雪景色を楽しんでいて見間違えたせいで、しばらくは周りが騒がしくなるだろう。
そんな子供らしからぬことを考えながら、遠くの真っ白な風景を眺めた。
数日前から降っていた雪は城郭内部をすっかり覆い尽くすことはできなかったが、通行人がほとんどいない遠くの森は、すでに青さが消え去った後だった。
*
最初こそ雪道をぎこちなく歩いていたレオニスだったが、やがて慣れたように徐々に真っ白な道に細長い足跡を残していった。気温はそれほど低くないが、頬を撫でる風は冷たく感じられた。
いくら寒さがましだとはいえ、冬は冬だ。
しばらくはこうして遠くまで来るのは控えたほうがいい。それでも、数ヶ月待てばまた春が来て、この野原が再び青く染まるだろう。もしかしたら背もぐんと伸びて、服を全部新調しなきゃいけないかもしれない。
そんなとりとめのないことを考えているうちに、いつの間にか秘密基地の前に到着した。
そこはレオニスの幼馴染であるヘイリオンと二人で見つけた、森の中の打ち捨てられた小さな小屋だった。小屋の前の雪をどかし、扉を開けて中に入ると、冷たい空気が肺の奥まで染み込んできた。
「……よし。」
幸いにも、雪が降る前に集めておいた薪は、少ないながらもしっかりと役目を果たしていた。次第に燃え上がる火を木の枝で慎重に突きながら、レオニスは凍りついた手を温めた。
ガンッ!!
その瞬間、強烈な音が扉の方から聞こえてきた。音がした方を見ると、普段はおとなしく静かなヘイリオンが荒い息をついていた。足で扉を蹴開けたような中途半端な姿勢で立っており、その光景にレオニスは度肝を抜かれたように呆然とした表情を浮かべた。
「ヘイル、急にどうした……」
「レオニス!ちょっと手伝ってくれ、大変なんだ!」
生まれて初めて聞く友人の大きな声に驚いて瞬きをしたが、やがて我に返ったように身を起こして近づいた。すると、ヘイリオンの背中にやっとのことでおぶわれている、真っ黒な何かが目に入った。
「これは……」
「ゆ、雪の上に倒れていたんだ……、その、意識はあったけど、連れて行く場所がなくて……」
風で扉が再びやかましい音を立てて閉まり、そこでようやく感じられた温もりに、ヘイリオンは少し落ち着いたのか、いつもの静かな口調で言葉を続けた。
「見、見捨ててくるわけにはいかないだろ……」
「いや、大人たちに任せればいいじゃないか、なんで……」
困ったように言葉を交わす少年たちの間を遮るように、うぅ、と呻く声がヘイリオンの耳元に聞こえてきた。そして、まるで山羊を連想させる裂けた瞳孔と黄色い瞳がレオニスを見つめた。
「助けてくれ、レオニス。……大人たちに言ったら、この子はきっと……」
特異な目に、蒼白な肌。そして黒い髪、細く小さな体躯。
確かに迫害されて絶滅したはずの種族なのに、なぜこんな所に。
そこまで考えが及んだ時、レオニスは本能的に一歩後ずさった。
「……ヘイル、お前、どうするつもりだ……」
彼の声が重く沈んだ。それでもヘイリオンはゆっくりと首を横に振った。
「わかってる。僕だってわかってるさ、でも……それじゃあ、そのまま雪の中に放り出しておけって言うのか?」
レオニスは唇をぎゅっと噛み締めた。物語の中だけで聞いていた『怪物』、『災い』と呼ばれた存在。しかし今、少年の小さな背中に乗せられているのは、ただ傷ついた小さな子供にすぎなかった。
「レオニス。」
ヘイリオンが低く囁いた。
「君が嫌なら、別の場所に連れて行く。でも……君も知ってるだろう。他の人に見つかったり、雪の中に置いたままにすれば、この子は……」
しばし、燃える薪だけが軽く崩れ落ちてサクッと音を立てた。レオニスは目を閉じて開くと、おそるおそる近づいた。
「……名前は?」
「ない。……いや、思い出せないんだって。」
その瞬間、少女の微かな息を吐く唇の隙間から、小さな咳き込む音が聞こえてきた。すると二人の少年は同時に目を合わせ、レオニスは深く長いため息をついた。
「わかった。でもヘイル、絶対に、絶対に見つかっちゃダメだぞ。」
その言葉にヘイリオンは安堵の笑みを浮かべた。「ありがとう、レオ。」そう答えて、慎重に少女を焚き火のそばに寝かせた。
その時になって初めて、レオニスの目にヘイリオンの額の傷が見えた。
「それより……、お前なんで怪我してるんだ?この子はどうやって見つけたんだよ?」
「……話せば長くなるよ。」
決まり悪そうに自分の首の後ろを掻いて笑うヘイリオンを、レオニスは呆れたように見つめた。
それからすぐに深いふため息を一つ吐くと、使い物になる被せ物はないかと、埃のかぶった戸棚の中を漁り始めた。
こうして、三人の縁が始まった。




