第1話・プロローグ
――妙に、不快な胸騒ぎがすると思ったら。
深夜、王城の回廊を蹴り上げる足音がこだました。
ベルデク帝国の第1騎士団長――レオニス・ベルメルは、闇を切り裂き突如として現れた影を追っていた。ほのかに降り注ぐ月光の間に、ふと見え隠れする小さな体躯。
突如としてレオニスの心に入り込んだ不快な感覚は、普段なら足を踏み入れない場所へと彼を導いた。
そして、この漆黒の空間がまるで自分の掌の上であるかのように、自由に泳ぎ回る軽やかな足取りを必死に睨みつけた。
「止まれ!」
レオニスの鋭い声が空気を裂いて響き渡った。
その瞬間、どういうわけか、自由に駆け抜けていた小さな侵入者は一瞬足元をふらつかせた。ほんのわずかな、それでも強烈な一瞬だった。
レオニスはその隙を逃さず、腕を伸ばして侵入者の首根っこを掴み、床に強く押さえつけて制圧した。
「……っ、」
下から小さく呻く声が聞こえたが、それ以前に掌に伝わる感覚が彼をさらに戸惑わせた。まるで自分より10歳は幼い子供のうなじを握りしめたかのような、細く華奢な感触。
そして、その直後に脳裏をよぎる、本能に近い見覚えのある感覚。
――まさか。……いや、そんなはずはない。
普通の侵入者であれば、離せと叫んだり、あるいは悪態をついたりして騒ぎ立てるはずだが……、妙に静かだった。
片腕と脚で押さえつけた者の顔を覗き込むと、月明かりに慣れた目は、その真っ黒な髪と目を覆う黒い布をはっきりと捉えた。
か弱い体躯、それにそぐわない優れた腕力、黒い髪と蒼白な肌。
レオニスは、遠い昔からよく知る気配が喉仏を押し上げて込み上げてくるのを、無理やり呑み込んだ。そしてすぐさま、その感情を確かめるかのように、目を覆っていた布を乱暴に剥ぎ取った。
そこには、爛々と輝く黄色い瞳。
「……オルベル。」
「……久しぶりだね、レオ……、いや、今は騎士様かな?」
彼を見上げる縦に裂けた瞳孔が、視線がぶつかるやいなや他へ逸らされた。抵抗も反抗も諦めたかのような姿。その顔は、過去のあどけなさと、彼の知らない時間がたっぷりと刻み込まれたような無関心な表情を浮かべていた。
脳内を掻き乱す様々な感情がレオニスを執拗に苦しめた。自然と手から力が抜けたが、オルベルと呼ばれた者は指一本動かさなかった。
憎悪、嫌悪、怨嗟、裏切られたという思い……そして、愛情。
そのすべてが入り混じり波打つ内面を、レオニスは無理に押さえつけながら、その姿を見下ろしていた。




