61.―惑溺(わくでき)―
月夜を背に、かつての龍麗――龍が宙を舞う。
蛇のように長い身体に鱗が浮かび、鬣のような顔の毛が夜風にたなびく。
「美しい……」
その姿を前に、火夜は素直にそう呟いていた。
その声に龍が反応する。
金の瞳に最初に映ったのは、共に舞った者――火夜。
巨大な前足の鋭い爪が振り下ろされる。
火夜は跳んでそれを避ける。
爪が地を抉り、土砂が弾け飛んだ。
「踊り足りないか、龍麗!
そういえばお主とは喧嘩もしたことがなかったな!」
この状況で、火夜は満面の笑みを浮かべている。
最期の友との時間。それを、これ以上なく濃密なものにできる。
戦いは火夜にとって、朱雀の一族にとって尊ぶべきものだ。
命のやり取りの中でこそ己は研ぎ澄まされると信じている。
もともと血の気も多い。
だが火夜ほどの実力となれば、本気で戦える相手など他里の姫くらいのもの。
接点も少なく、下手に刃を交えれば里同士の争いの火種になる。
常に力を抑えてきた。いわば窮屈だったのだ。
だが今は違う。
全力を出せる。しかも相手は友。
それが龍麗への、火夜なりのはなむけ。
『気炎万丈!』
紅を差し、火夜が叫ぶ。瞬間、全身を炎が包む。
『業火!』
渦を巻く紅蓮が天へと立ち上がり、龍麗へと奔る。
だが――その炎を遮ったのは、白装束の女だった。
炎の中に立ちながら衣は焦げない。
白い袖が静かに翻る。まるで炎そのものを拒絶するかのように、白装束の女は火夜を見下ろす。
阻止されたことに、火夜はわずかな違和感を覚える。
そして脳裏をよぎる、「間におうたな。」というあの言葉。
「お主――ッ!」
気づくのが遅かった。
『惑溺』
白装束の女の声が夜を裂く。
放たれた力が龍麗を包み、黄金の瞳がみるみる白く濁っていく。
「龍麗!」
届かぬとわかっていながら、火夜は叫ぶ。
白装束の女は軽やかに跳び、龍麗の背へと降り立つ。
惑溺――心を迷わせ、本心を失わせる術。
白装束の女の目的は、龍と化した龍麗そのもの。
自我を奪い、完全な従属とするために。
「火様!」
背後からの声で、橘と真白が駆けつけたことを知る。
周囲には青龍の里の一族たちが集まり、息を呑んで取り囲んでいた。
白装束の女が龍麗の鬣を掴む。
「蹴散らせ。」
次の瞬間、龍の咆哮が夜を裂く。
白く濁った瞳に、もはや感情はない。
そこに火夜は映らない。
龍が口を開く。
蒼白の光が急速に収束する。
狙いは――火夜。
一筋の閃光が放たれた。
そこに躊躇いはない。
それが、堪らなく嬉しかった。
友として、最後まで全力で在るということ。
奪われてもなお、その力が本物であるということ。
「来い、龍麗!」
火夜は笑う。
全身の炎をさらに燃え上がらせ、その一撃を真正面から受け止めた。




