56.炎の前で
土色に変わった波流の両腕。
よく見れば、乾いた土にひびが入るような音を立てている。
「波流さん……!」
思わず真白が名を呼び、身体を揺さぶる。
だが、返事はない。
意識はすでになく、顔色までもが土色へと変わっていた。
一体、何が起きているのか。
波流への心配と、火夜との戦闘――
二つの思考が流香の中でせめぎ合う。
その、ほんの一瞬の迷い。
だが、その隙を、火夜が見逃すはずもなかった。
気づいた時には、すでに火夜は真白の傍らに立っていた。
「彼を助けたいか。」
意外にも、その言葉は真白に向けられたものだった。
意味を測りかね、真白は凍りついたように立ち尽くす。
「彼を助けたいか。」
重ねられた問いに、真白は小さく息を呑む。
そして――こくりと、強く頷いた。
「……はい。」
喉元に当てられた、あの冷たい刃の感触を忘れたわけではない。
それでも。
旅の中で交わした言葉や、笑顔や、共に過ごした時間を、それ以上に失いたくなかった。
「ならば、彼を救いたいと――
いや、大切な友人だと思えば良い。
それだけで、彼を救うことができる。」
――それだけで?
言葉の意味は、まだ理解できない。
だが、火夜の言葉が“真実”であることだけは、分かりきっていた。
「彼は、お主にとって、どのような存在だ。」
「……大切な友人です。」
その言葉を合図にしたかのように、
土色だった腕が、肘から指先へと、ゆっくりと色を取り戻していく。
同時に、波流の顔にも血の気が戻っていった。
「波流!」
駆け寄った流香が名を呼ぶと、波流はゆっくりと目を開けた。
安堵が胸いっぱいに広がり、流香は思わず、弟を強く抱きしめる。
「話をしようではないか、流香殿。」
穏やかな口調で告げられたその言葉は、提案などではない。
紛れもない――命令だった。
朱雀の巫女・師範、火夜。
たった一人で、この場をねじ伏せる力を持つ存在。
近づけば、炎に身を焦がされるのではないか。
そんな恐怖を、敵である者はもちろん、味方であるはずの者にさえ抱かせる。
頼もしさと同時に、味方すら焼き尽くしかねない炎を前にして、流香は顔を上げることができなかった。
炎を前に、熱いはずの場で、身体を滑り落ちるのは――ひどく冷たい汗だった。
「……姉上。」
見かねた波流が声をかけ、ようやく流香は我に返る。
短く合図を送ると、部下たちはためらうことなく引いていった。
勝てぬ相手だと、誰もが悟っていたからだ。
※※※※※
「先ほどは、大変な無礼を致しました。」
友好関係を結びに来た相手を、力でねじ伏せようとするなど、許される行為ではない。
だが、それほどまでに追い詰められていたのも、また事実だった。
「ですが……それでも、わたくしは諦めることができません。
どうか……どうか……!」
波流が制止の声を上げるが、流香は頭を下げ続ける。
強大な力――それ以外に、道は残されていなかった。
朱雀一行は、悲痛な叫びに耳を塞ぎたい衝動を堪え、
視線だけを伏せる。
――火夜を除いて。
「渡せぬな。」
火夜は、青龍の二人をまっすぐに見据え、静かに、だが一切の揺らぎなく言い放った。




