2 やくざ 前編
2
あいつは今歌舞伎町にいる。
深夜2時。
雑居ビルの外部に螺旋状にめぐる階段の4階踊り場にいた。
あの神田川付近の戦いから、ひと月が過ぎていた。
暑い。
あのユニクロシャツは、捨てた。
今夜はバットマンの紋様を中央にあしらったシャツを着ている。
あいつが今狙っている男の名は、TETU。
暴力団の一員だ。
TETUをかれこれ1時間近く待っている。
誰かに見つからぬよう、夏だが黒の・薄手のブルゾンを羽織っている。
目立たぬようにだ。
目的はうんこ格闘技でTETUをノックアウトすること。
あいつがなぜにTETUに白羽の矢を立てたのかをあの日帰宅してからの動きをトレースしてみよう。
―三度、だった。
ダンプカーの二人をヤった時に脱糞を三回した、という意味だ。
この時、あいつは自室で氷袋を殴られた顔や身体に当てていた。
直ぐに冷やしたかったが、身体中に己の糞が付着している。
シャワーを丁寧に浴びた。
が、未だ匂う感じは残った。
―三度は、少ない。
一回の脱糞で、人は何度排泄するであろう。
便座に座る、キバる、排泄。
一度で終わるニンゲンは稀であろう。
二度め、三度めがある。
糞を武器として使うならば、一回の度数を高めねば、ならぬ。
しかも脱糞の一度目めは量は多いものだが、二度・三度となると量が減る。
―その量を均等にして、しかも度数を増やす、これだ。
このひと月、あいつは一回で五度の排泄をするよう、訓練を重ねた。
食事の量や腹の調子の調整、その他の諸々、気づいたことを全て行った。
おかげでこのひと月、働きに外出することなんて、できなかったものだ。
そして排便を繰り返し気づいたのは、糞の武器化は強烈に醜悪にして・怖気を煽る匂いと味だ。
腸内の活性化のため、炭水化物やヨーグルトを食べたものだ。
が、臭いといっても、相手の闘争心や嗜虐心を折るようなものではない。
―タンパク質だ!
あいつは肉を喰うようになった。
魚や貝も試した。
そしていちばん強烈な臭気を出す糞は豚骨ラーメンだと発見した。
そんな中、あいつは気づく!
―糞とは〈米〉が〈異〉なると書いて、糞!
あいつは今満たされていた。
野球や水泳を少年時代から皆として、幼年時代は皆と同じようなTVのアニメや特撮を観た。
だがあいつは体育会系のスポーツ少年にも文系おたく君にならなかった。
なぜなら心から面白いと思えなかったからだ。
そういうものに熱中していれば、友達との会話のネタに困らなかったし、両親も普通に育っていた息子と見てもらえたので、そういう感じで好んだだけだ。
中高はエレベーター、大学受験もいちばんの失敗の原因は学ぶモチベーションがなかった。
それ以上に働くことを忌避した。
親も持ち家で、服にはこだわらず、金のかかる趣味もない。
中高の友人と呼べる連中はたいてい今、会社でそこそこの地位になっていたり、子育てが忙しい時期。
だんだんと疎遠になっていった。
だが今はネットのSNSがあり、友人めいたものはた易くできたし、前述したがマッチングアプリで女性とも出会えた。
それを不幸とも思わないあいつが初めて熱中した。
37歳の男が、糞を武器に闘うことに目覚め、その改良や実験の中で、多くのことを学んだ。
しかもそれが己の身体を用いてのこと。
消化・排泄はまさに己の肉体内で起こっていることだ。
自分のカラダから、初めてあいつは自然や世界を知り、宇宙との合一を感じた、だから、宇宙との融合を目指していたのかもしれない。
軽いウォーミングアップとして、柔軟体操やジョギングを欠かさず、youtubeの柔道チャンネルで勘を取り戻すために一人訓練も始めた。
その時分のカラダで精進する一方、他方ではマンハントの準備を進めていた。
―強ぇヤツとヤりてぇゼ。
闇討ち、しかない、とあいつは思った。
この近辺にも空手の道場やボクシングジムはある。
そこで入門のカタチで、リングに上がり、うんこ戦法を用いる、これはいちばんに考えた。
だが、その瞬間は果たせても、逃げられとしても、直ぐに近隣、いや、都内に「うんこで戦うヤツに気を付けろ」と回状が周知され、二度めはなくなることは必至。
だから闇討ちしかないと思った。
しかしそもそも初めて会う相手にうんこをなすりつけられるのか、うんこを投げられるのか?とあいつは自問した。
本作の根幹を揺るがす疑問だが、格闘家でも相手に技を中てられない・かけられないということはままある。
だから引退する例もある程だ。
あいつの場合はしかも糞を塗るという、人間の尊厳を奪うような行為だ。
とてもまともな神経ではできない。
前章のダンプカーの二人は圧倒的な原因かつ加害者で、しかも自分の貞操を二人がかりで奪おうとしたこれ以上ないくらい〈糞をなすりつける理由〉がある連中だった。
―やくざだ!やくざを狙おう!
あいつがその思考にたどり着いたのは神田川付近にあの一件から、三日後のことであった。
ネットで血祭に上げるべきやくざを探したが、やはり見つからないものだ。
いくらカタギではないとはいえ、ヤツらも近代国家の成員、特別な存在ではない。
あいつは以前、SNSで何気なく意気投合し、新宿の思い出横丁にて合流して飲んだ、20代の青年を思い出した。
自分を大きく見せることが好きな男で、その時は芸人を目指していた。
初めて会った際、本名をお互い名乗るのをイヤだったので「じゃあ、たけしな」とあいつは云った。
で、そのたけしはFラン大学を退学し、親からは仕送りをもらいながら、お笑いの養成所に通っているという。
そういう芸人の卵の昨今のバイトに、居酒屋での独り飲みは寂しいから、誰か自分の話を聴いてくれて・その話を盛り上げてくれる者を欲し、その相手にはその場の飲み代全額と一万円が報酬となるそうで、芸人仲間で顧客を回しているという。
たけしが飲んだ相手は元やくざでこの街~新宿でいちばん強いやくざの話になった時に元やくざは「TETUだな」と即答したいう。
TETUは、歌舞伎町のホモ専門会員制ホストクラブの雇われ店長をしていて、自身も同性愛者であるという。
〈ノンケ喰いの帝王〉という二つ名を持つとか、そのホストクラブでは深夜3~5時まで限定で店員・客かまわずほ乱交パーティが行われるとかいう話を聴いた。
あいつが思い出したのはそんな情報ではなかった。
「TETUさんって、ドスやチャカとか使うケンカは邪道だと、必ず素手でステゴロやるんだってさ」
そうだ、あいつはようやく行き当たった。
―このうんこ戦法、刃物や拳銃には弱い!
だから、あいつとしてはどうしてもTETUとやる必要があったのだ。
むしろ武器を使うことを潔しとするやくざを知っていた僥倖に感謝したのだった。
久々にたけしに連絡を取り、電話で時候の挨拶から初めて、話し合ったところによると、彼は今芸人養成所を辞め、ITベンチャーを興す準備をしているという。
最初に己のうんこで決闘するなんて、もちろん言わない。
東中野の総武線沿いのやきとん屋であいつはたけしにそのTETUと闘ってみたいと云った。
そう云ってしまった理由は二つ。
元やくざと飲んだ時に「ありゃ、あれがTETUよ」と云われ、遠目だがTETUを見て顔は覚えていると云ったこと、そしてたけしの口癖は「なんか面白いこと、ないっスかね~」なのでやくざにケンカ売るとか云うと食いついてくると判断した。
「その店の場所、知っています。向かいのビルからその店の裏口、見張ってますから、出てきたら、直ぐに合図しますよ、スマホで」
そういう約束になった。
だから、あいつは今このビルにいる。
その階段へと繋がるドアが開く。
二人のカゲが見える。
その大きさから二人とも男だと判る。
あいつのスマホに着信。
「オールバックの方」
もう一人はスキンヘッドなので、間違えるワケがない。
だが相手は二人だ。
いや、あいつはひと月前に二人相手に勝利したのだから、それでもいいが、新宿では素手最強のTETUが二人の中の一人だ。
あいつはこの活動を長くやっていきたいのだ。
最初のこのチャレンジでしくじりたくない。
それのTETUの顔は階段の下からでも確認できたので、延期して次の機会を待てばいい。
たけし?逃げた、とか、ヘタレとか云われてもかまわない。
たけしこそが逃げているヘタレなのだから。
―?
だが様子が違うようだ。
スキンヘッドが泣いている。
かなり殴られているのが判る。
非常階段の手すりに両手をかけている、というか持つように云われている、ようだ。
TETUがスキンヘッドのズボンとブリーフをいっぺんに脱がせる。
―!
「おい、いやがっているじゃないか」
階段を下りて、あいつはTETUに云った。
「おいおい、サブ!この紳士が見ててくれるようだゼ!おめぇは見られていた方がヌレる性質だよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ドアの上の常夜灯で照らされたスキンヘッド=サブの顔は涙と血液で濡れて、その情けない表情は男を狩る男の嗜虐心を煽るのにぴったりだった。
見ると、TETUも既にズボンとパンツを脱いでいる。
仕立てのいいイタリア製だ。
あいつはおもむろにズボンとパンツを下した。
サンダルを履いてきたので、右足にかかったズボンとパンツを外すのは造作もない。
「おいおい、あんたもかよ!?」
その次の予定のセリフは「だったら、正面から入って、入場料払いなよ」だったが、あいつは瞬時にして脱糞し、右手にその糞を掴み、すかさずTETUも顔面に掌手を食らわせた。
つまりTETUは最初の第一撃で、うんこを顔面に浴びた。
クリーンヒット、掌手じしんがキレイに鼻下に決まり、両方の鼻の穴に糞が入った。
あいつは無表情だが、心中では狂喜乱舞していた。
―他人に喰らわせてヤった。
「テメェ!殺す!絶対に殺す!」
左手であいつの糞をぬぐいながらTETUがわななく。
夜がようやく、始まる、神のいない夜が始まる。




