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最弱スライム、洞窟の底から這い上がる  作者: 古屋桜


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第八章:熱素の暴流

土日祝日は、平日と同じ時間帯での小説の投稿が難しく、状況によってはお休みをいただく場合があります。あらかじめご了承ください

頭上から迫る巨体と、全てをすり潰さんとする左の岩鎌。

岩鎌蟷螂が放った決死の圧殺攻撃は、風圧だけで周囲の苔を巻き上げ、蓮の視界を緑の破片で埋め尽くした。

(——真っ向から受けたら、殻ごと潰される!)

蓮の思考は加速する。

回避するスペースはない。蟷螂は残された一本の脚で正確にこちらの退路を塞ぐように跳躍している。

(なら、懐がガラ空きだ!)

蓮は外側へ逃げるのを諦め、あえて振り下ろされる岩鎌の軌道の内側——飛びかかってくる岩鎌蟷螂の巨体の真下へと滑り込んだ。

直後、蓮がさっきまでいた地面に左鎌が激突し、凄まじい地響きとともに岩盤が大きく陥没する。

激しい衝撃波と土煙が舞うなか、蓮は蟷螂の薄暗い腹部へと、琥珀色の粘体を力強く吸着させていた。

自らの巨体と岩鎌を地面に叩きつけた蟷螂の身体が、その凄まじい衝撃の反動で、一瞬だけフワリと上方向へ跳ね返る。

蓮はその慣性を逃さなかった。腹部に張り付いたまま、衝撃で硬直した蟷螂の甲殻の隙間を滑るようにして、一気に頭部からその背中側へと変幻自在に這い上がった。

反動でわずかに宙に浮いた蟷螂の、まさにその無防備な背中の上で、蓮は再び肉体を硬く身構える。

自ら引き起こした衝撃の反動で宙へと跳ね返った蟷螂には、空中での回避手段など残されていない。背に張り付いた蓮にとっても、迎撃の隙を与えずにここで仕留めきらねば後がない、文字通りの一撃必殺の刹那。

蓮は体内に貯蔵された冷たい酸のすべてを、一気に一本の太い触手へと送り込んだ。同時に、全身の琥珀色の粘体に融解し、完全に馴染んでいた「火の魔力」を、これまでで最も激しく、限界を超えて解放する。

触手の内部で、酸と火の魔力を激しく衝突させ、沸点を遥かに超えて急激に膨張させていく。

その極限まで高まった内圧と超高温のエネルギーにより、攻撃の起点である触手の内壁はドロドロに焼けただれ、内側から崩壊を始めた。肉体が引き裂かれるような凄まじい激痛が蓮の意識を襲うが、それを冷徹な思考で力ずくで押さえつけ、崩壊寸前の触手を蟷螂の背頭部へと強引に固定した。

(喰らえ……ッ!!)

ドォォォン!!!

蓮の触手の先端から、極限まで圧縮された熱素混じりの有機酸が、高圧のジェット噴射となって真下の蟷螂へと猛烈に撃ち出された。

ジガァァァァァッ!!!

地下樹海の静寂を完全に打ち破る、岩鎌蟷螂の絶叫が響き渡る。

上空から直撃した熱酸の暴流は、蟷螂の背を覆う硬質な緑の甲殻を一瞬で融解させ、その下の肉組織へと容赦なく侵食していった。酸による分子結合の破壊と、魔力の熱による炭化が同時に進行し、蟷螂の巨体が激しくのたうち回る。

ドサリと蓮の本体が地面に着地した。

全魔力と酸を放出し尽くし、攻撃に使った触手の大半が自らの熱酸でボロボロに溶け落ちた琥珀色の肉体は、瑞々しさを失って一時的に白く濁っている。

岩鎌蟷螂は数歩ほどよろめいた後、ギチ、ギチ、と弱々しく顎を鳴らし、そのまま激しい白煙を上げながら苔の上に崩れ落ちた。蓮の振動知覚が捉えていた不気味な心音の震えが、急速に細くなり、やがて完全に停止する。

(魔力の脈動も消えた……。俺の、勝ちだ)

蓮は激しい疲労感と、焼けただれた自傷の痛みに耐えながら、ゆっくりと蟷螂の死骸へとこれまでにない安堵とともに這い寄った。

下層の火口で死にかけ、この地下樹海へと辿り着き、初めて勝ち取ったまともな勝利。しかし、浸っている時間はない。この濃厚な血と溶解液の臭いは、すぐに次の捕食者を呼び寄せる。

蓮は濁った琥珀色の肉体を広げ、蟷螂の傷口から溢れ出る、まだ魔力の残滓を孕んだ体液と肉組織を、傷ついた体で貪るように包み込んでいった。

じゅぶ、と音を立てて肉体が敵を体内に取り込んでいく。

岩鎌蟷螂の強靭な筋肉の構造、割れた甲殻の破片、 粉砕された組織、そしてあの環境に完全に溶け込んでいた甲殻の因子が、蓮の細胞ひとつひとつに融解し、ドロドロに混ざり合っていく。それは頭の中に文字となって浮かぶようなものではなく、自身の肉体の組成が根本から書き換えられていく、圧倒的な情報量の波だった。

強大な魔獣のエネルギーを吸収したことで、自傷によって失われていた蓮の肉体へ急速に活力が充填され、溶け落ちた粘体が瞬く間に再生していく。白く濁っていた粘体は元の瑞々しい琥珀色へと回復し、同時にドクンドクンと内側から激しく脈動した。

新しく馴染んだ細胞組織のなかから、ひとつの明確な機能が蓮の意思へと繋がった。あの蟷螂が持っていた、周囲の風景の光を歪め、周囲と同化する特殊な皮膚組織の感覚だ。

(これは……身を隠すための皮膚組織か)

体内に浸透していく新たな肉味的感覚を確かめながら、蓮が意識を向けると、その琥珀色の表皮が、周囲の湿った苔と全く同じ色、同じ質感へと、なめらかに変色していった。輪郭の境界すら曖昧になり、視覚的には、そこにはもう何も存在しないかのように完全に周囲へ溶け込んでみせる。

地下樹海という新たな弱肉強食の戦場で、蓮はついに、この階層の強者たちが持つ「隠密の力」を自身の肉体へと組み込んだ。

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