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最弱スライム、洞窟の底から這い上がる  作者: 古屋桜


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第七章:地下樹海の捕食者たち

ザザ、と頭上の巨大なシダの葉が大きく揺れた。

湧き水から這い上がり、濡れた苔の上を滑るように動き出した蓮の振動知覚が、その葉の裏に潜む多脚生物の重量を鋭く捉える。

(……来る)

蓮は琥珀色の粘体を低く身構え、ジリジリと間合いを計った。

シダの葉が揺れ、その生物が攻撃に移ろうとわずかに筋肉を収縮させた瞬間、それまで完璧に隠されていた強烈な殺気が一気に漏れ出す。

これまでに戦ってきた大百足や肉食蟻とは、放たれた殺気の質量が根本から違う。暗闇と岩塊に閉ざされていた下層の世界とは異なり、この広大な地下樹海という豊かな生態系が育んだ、本物の「獣」の気配がそこにはあった。

しかし、迫り来る危機のただ中にあっても、蓮の思考は驚くほど冷徹に冴え渡っていた。

対峙する極限の数秒のなかで、あの火口の地獄を生き延びた肉体が、新しく獲得した能力のすべてを瞬時に引き出していく。

(身体が熱を拒絶していない。あの結晶から得た火の魔力は、もう俺の一部だ)

意識を鋭く研ぎ澄ますと同時に、瑞々しく透明だった琥珀色のしなやかな表皮が、ガチガチとした多孔質の殻——耐熱殻へと変貌を遂げる。火口の熱に耐え抜いたことで、その出力は以前とは比べ物にならないほど安定し、熱を遮断するだけでなく物理的な打撃をその無数の微細な空隙で吸収して逃がす、強固な外壁として蓮を守る。

さらに、肉食蟻から奪った分泌液に、結晶から引き出した火の魔力を意図して効率よく掛け合わせる方法を、蓮の肉体は完全に掴んでいた。

普段は体内に冷たい酸として貯蔵しておき、放出するその一瞬だけ、火の魔力を爆流のように流し込んで沸騰させる。触れた瞬間に相手の肉を焼き焦がし、同時にその組織を融解させる。熱と酸による二重の崩壊——熱素混じりの有機酸。

(手札は揃ってる。ここからが, 本当の生存競争だ!)

ズサァッ!!

その瞬間、頭上の巨大なシダの葉を真っ二つに引き裂き、ついに地下樹海の捕食者がその姿を現した。

形状は、前世の記憶にあるカマキリに酷似している。しかし、その規模は数倍に達し、前脚の鎌は鋭利な岩盤をそのまま削り出したかのように分厚く、全身は樹海の苔に完璧に擬態した、硬質な緑の甲殻で覆われていた。本来なら、気配を消したまま密かに間合いを詰める隠密の狩人。

(……なるほどな。俺の振動知覚が完全に位置を捉えてたから、隠れるのをやめて力押しに来たか!)

獲物の視線が正確に自分を捉えていることに気づき、奇襲を諦めて強襲へと切り替えるだけの高い狩猟知性。それこそが、この階層の強者の証だった。

地下樹海の捕食者——「岩鎌蟷螂」。

岩鎌蟷螂は、目の前に現れた、見たこともない琥珀色のゼリーのような生物を見つめ、ギチギチと不気味な顎音を鳴らして威嚇する。その獲物を品定めするような動きは一瞬だった。

シュオッ!!!

凄まじい速度。目にも留まらぬ速さで、岩の鎌が蓮の頭上から容赦なく振り下ろされる。

ドンッ! と激しい衝撃音が樹海に響き渡った。

だが、切り裂かれたはずの蓮の身体は、そこにはない。大百足の振動知覚によって、相手が筋肉を収縮させた予備動作を完全に先読みしていた蓮は、弾力に満ちた肉体を極限まで縮め、バネのように真横へと跳躍してそれを回避していた。

岩鎌蟷螂の放った一撃は、蓮がさっきまでいた地面の岩盤を爆破されたかのように粉砕し、鋭い土煙と苔の破片を巻き上げている。

(速い……! だけど、見えない速度じゃない!)

着地と同時に、蓮は自らの触手へと、体内に宿る火の魔力を限界まで注ぎ込んだ。

琥珀色の粘体の先端が、見る見るうちに赤黒く発熱し、触れるものすべてを焼き溶かす熱素混じりの有機酸がドロリと地面に滴り落ちる。不毛の岩肌を溶かした酸が、水分を孕んだ苔と触れ合い、白い激しい煙を上げた。

圧倒的な質量と速度を誇る樹海の捕食者に対し、火の力を宿した新世代のスライムが、その触手を鋭く突き出した。

岩鎌蟷螂は、一撃目を容易くかわされたことに一瞬の困惑を示したものの、すぐさまその巨体を反転させた。緑の甲殻が擦れ合う不快な音が響く。獲物が発する異様な高熱を本能的に警戒したのか、蟷螂のいくつかの複眼が、細かく左右に蠢いた。

ジリジリと互いに間合いを詰める。静寂が支配する樹海の片隅で、熱を帯びたスライムと、岩の鎌を持つ魔獣の影が交差する。

シュ、シュオッ!

今度は二連撃。左右の岩鎌が、時間差を置かずに蓮の左右の退路を断つように放たれた。空間を切り裂くような質量攻撃が、容赦なく肉体をすり潰しにかかる。

(左を捨てて、右へ潜り込む!)

蓮は、自身の身体の一部をわざと囮として左側へ引き伸ばし、本体の核を右側の鎌の死角へと滑り込ませた。左側に伸びた粘体は、蟷螂の凄まじい風圧と鋭利な刃によって一瞬でちぎり飛ばされたが、残された本体の細胞が一斉に結束して傷口を瞬時に塞ぎ、致命的な崩壊を食い止める。

それどころか、死角へ回り込んだ蓮の目の前には、無防備に晒された岩鎌蟷螂の右前脚の関節部分があった。甲殻の隙間、緑の皮膚がわずかに覗く急所だ。

(貰った!)

鞭のようにしならせた蓮の触手が、赤黒く沸騰する熱素混じりの有機酸を纏い、その関節へと正確に叩きつけられた。

ジウゥゥッ!!!

激しい肉の焼ける音と、甲殻が酸によってドロドロに融解する不気味な溶解音が同時に沸き起こる。熱と酸の二重の崩壊が、岩鎌蟷螂の頑強な肉体を内側から破壊していく。

ギチァァァァッ!!!

岩鎌蟷螂が、これまでにない狂暴な悲鳴を上げて飛び退いた。右の前脚は、中ほどの関節から先が不自然な角度に焼けただれ、使い物にならなくなった鎌が力なく地面に垂れ下がっている。

しかし、地下樹海の高等捕食者の生命力は、それしきの負傷では衰えなかった。むしろ、片腕を奪われた激痛がその狂性を完全に呼び覚ましたのか、複眼の赤黒い魔力が一層激しく明滅する。

残された左の岩鎌を限界まで大きく振り上げ、蟷螂はその巨体を弾ませて、蓮の核を目がけて文字通り決死の圧殺攻撃を仕掛けてきた。

受けて立つ蓮の体内でも、火の魔力がパチパチと音を立てて加速していく。

地下樹海という新たな弱肉強食の戦場での、最初の激突は、いよいよ互いの命を賭した最終局面へと突入しようとしていた。

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