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『やり直し脇役の俺、学園ダンジョン配信を切り忘れたら氷の美少女と悪役令嬢にだけ正体がバレた。ついでに温泉旅館とダンジョングルメの再建まで任されたが、二人とも肝心な告白はしてこない』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第21話 白鳳館、最初の再来客

 白鳳館へ再び向かう金曜の放課後、俺は電車の窓へ映る自分の顔を見て、少しだけ嫌な気分になった。


 理由は単純だ。


 思っていたより、普通に楽しみにしている顔をしていたからである。


「……終わってるな」


 小さく呟くと、向かいに座っていた朱麗がすぐに反応した。


「何がですの」


「別に」


「その“別に”は、別にではない時のほうが多いですわね」


「最近ほんとそこだけ鋭いよな」


「最近ではありません」

 朱麗は涼しい顔で言う。

「最初からです」


 その隣で、凛音が静かに車窓を見ていた。

 夕方の光が流れていく窓へ映る横顔はいつも通り落ち着いているが、今日は少しだけ目元がやわらかい。たぶん、白鳳館へ行くからだ。


 俺たちは今日、試食会後初の“再来客”を迎える白鳳館へ向かっていた。


 先日の試食会に来た常連夫婦が、今度は娘夫婦と孫を連れて再訪する。

 これが意味することは大きい。


 一度褒めてもらうのと、

 もう一度来たいと思ってもらうのとでは、

 宿にとって重みがまるで違う。


 しかも今回は、白鳳館にとってかなり厄介な相手でもある。


 最初から好意的な新規客ではない。

 以前の白鳳館を知っていて、しかも“良かった頃”の記憶を持った客だ。

 そういう人間は、少し良くなった程度ではごまかされない。


 良くなったなら良くなったで、ちゃんと見抜く。

 足りないなら足りないで、やっぱり見抜く。


 宿にとってはありがたいが、試される側としては胃に悪い。


「緊張していますの?」


 朱麗が聞く。


「してる」

 俺は素直に答えた。

「今回は本番だからな」

「試食会みたいに“見せるための場”じゃなくて、普通にまた来た客が普通に白鳳館を過ごす」

「そこで“やっぱりここいいな”って思ってもらえるかどうかだ」


「ええ」

 朱麗は頷く。

「ですから、今日が本当の意味での一歩目ですわ」


「かなり重い一歩ですね」


 凛音が小さく言う。


「そうだな」

 俺は窓の外を見る。

「しかも、二回目の客は初回より細かい」

「最初の驚きがないぶん、“前より良いか”と“ちゃんと落ち着けるか”だけで見られる」


「つまり」

 凛音は少し考えるように言う。

「今日の白鳳館は、試食会の時より“背伸びしない完成度”が必要なんですね」


「そう」

 俺は頷く。

「派手な当たりじゃなくて、“やっぱりいい”って言わせる日だ」


「……やっぱり」

 朱麗が少しだけ目を細める。

「あなた、こういう話をしている時が一番自然ですわね」


「やめろ」

 俺は即答する。

「それ認めたらいろいろ終わる」


「もうだいぶ終わっていますわよ」


「そういうことをさらっと言うな」


 凛音が、小さく息を吐く。


「でも、今日は少しうれしいです」


「何が」


「白鳳館へ向かう話をしている時のあなた」

 凛音は視線を俺に向けた。

「学園のことを考えている時より、ずっと前を見ているので」


 それは、かなり図星だった。


 学園の切り抜きの件はまだ終わっていない。

 むしろ、じわじわ嫌な方向へ根を伸ばしている気配すらある。

 でも白鳳館の話になると、頭の中の焦りが少し整理されるのも事実だった。


 白鳳館は、逃げ場ではない。

 でも、ちゃんと前へ進む手応えのある場所だ。


 その違いは大きい。


     ◇


 白鳳館へ着くと、空気は先日の試食会よりわずかに引き締まっていた。


 玄関の掃き清められた石畳。

 控えめに香る湯の匂い。

 仲居たちの立ち位置。

 庭へ視線が抜ける角度。


 目立つ変化はない。

 でも、だからこそわかる。


 全部が“やりすぎず整えられている”。


「お待ちしておりました」


 志摩さんが玄関で頭を下げる。

 声に、緊張と期待が半分ずつ混ざっていた。


「様子は?」


 俺が小さく聞くと、志摩さんは苦笑した。


「全員、落ち着こうとして落ち着いていません」

「でも、前みたいな“ただ苦しいだけ”の緊張ではなくなっています」


「それなら、まあ悪くない」


 厨房のほうを見ると、早坂さんがちらっとだけこちらを見て、無言で顎をしゃくった。

 “来たなら見ろ”の合図だ。


 行くか、と言おうとしたところで、朱麗が袖を軽く引いた。


「その前に」

 彼女は小さく言う。

「今日のお客様ですけれど、少し癖があります」


「常連夫婦の娘夫婦だろ」


「ええ」

 朱麗は頷く。

「娘さんのほうが、かなりはっきり物を言う方らしいですわ」

「気に入れば強く褒める。違えば遠慮なく出るタイプです」


「宿としては、一番怖いやつだな」


「そうですわね」

 朱麗はほんの少しだけ苦く笑う。

「でも、必要な相手でもあります」


「わかってるよ」


 凛音が静かに言う。


「最初に褒めてくれる人より」

「正直に“違う”を言ってくれる人のほうが、続けるには大事です」


「ええ」

 朱麗もすぐ頷いた。

「今日はそういう日ですわ」


 白鳳館の奥へ進む途中、俺は一度だけ振り返った。


 玄関先の空気は悪くない。

 でも、そこで満足してはいけない。


 今日は“最初の再来客”だ。

 白鳳館が一回だけの奇跡で終わるのか、それとも本当に変わり始めた宿になるのか、その分かれ目になる。


     ◇


 客が着いたのは、予定より十分ほど早かった。


 白い車が玄関前へ滑り込み、先に降りてきたのは試食会にも来ていた常連の夫婦だった。二人とも前回より少し表情がやわらかい。その後ろから、三十代半ばくらいの娘夫婦と、小学校低学年くらいの男の子が降りてくる。


 男の子は元気で、車を降りた瞬間からきょろきょろしていた。

 そして娘のほう――母親にあたる女性は、やはり目が鋭い。

 見ている。

 かなり、ちゃんと見ている。


「ようこそお越しくださいました」


 志摩さんが前へ出る。

 菊乃さんも少し後ろから一礼する。


 いい。

 出迎えの立ち位置は綺麗だ。


 朱麗は今日は直接前に出すぎない。家の側の人間として控えめに一歩引き、それでいて必要ならすぐ会話へ入れる位置にいる。前に俺が褒めた、“白鳳館の家の人”の位置だ。


 娘の女性が玄関の中を見て、小さく言った。


「前より、静かですね」


 一瞬、空気が止まりかける。


 まずい評価ではない。

 でも曖昧だ。

 静か、には良い意味も悪い意味もある。


 そこで朱麗が自然に一歩だけ前へ出た。


「ありがとうございます」

「少し、呼吸の仕方を変えましたの」

「落ち着いていただけるように」


 言い方がうまい。


 “変わりました”ではない。

 “呼吸の仕方を変えた”。

 その一言で、白鳳館の変化が押しつけではなく宿の体質として聞こえる。


 娘の女性は少しだけ目を細めた。


「へえ」

「そういう言い方、嫌いじゃないです」


 第一関門は抜けた。


 凛音が少し離れた位置で、そのやり取りを見ていた。

 目が合うと、小さく頷く。

 同じことを思ったのだろう。


 席へ通し、迎えの一口――団子ではなく、今日は少しだけ軽くした桜風味の焼き菓子を出す。


 男の子がそれを食べて、素直に「これうまい」と言った。

 大人たちは笑う。

 その瞬間、空気が一段やわらいだ。


「子どもって、ずるいですね」


 凛音が小声で言う。


「だな」

 俺も小さく返す。

「場の温度を一口で変える」


「でも、今のは白鳳館が取った温度でもあります」

 凛音は静かに続ける。

「無理に格式ばっていたら、ああはならなかった」


 それもそうだ。


 白鳳館は今、“身構えさせない上品さ”を目指している。

 それが子どもの一言で証明されるのは、案外悪くない。


     ◇


 問題が出たのは、湯上がりから食事処へ移るところだった。


 男の子が風呂上がりで少し眠そうになり、娘夫婦はその対応で一瞬ばたついた。そこへ食事処への案内が重なり、空気が少し切れかける。


 たぶん普通の宿なら、大したことのない小さな乱れだ。

 でも白鳳館はいま、“一日の流れそのもの”で勝負している。

 ここで導線が崩れると、体験全体が少しだけ薄くなる。


「……ここだな」


 俺は小さく呟いた。


「はい」

 凛音もすぐに気づく。

「空気が一度、切れました」


「どうしますの?」


 少し後ろから朱麗が聞く。


 俺は一瞬考えて、すぐ答えた。


「菊乃さんに一言入れて」

「“急がなくて大丈夫です”をちゃんと声にしてもらう」


 朱麗がすぐ動く。

 その速度に迷いがない。


 数秒後、菊乃さんが子どもの目線に合わせるように少し屈み、やわらかい声で言った。


「お食事はすぐに逃げませんから」

「ゆっくりで大丈夫ですよ」


 それだけだった。


 でも、その一言で母親の肩が少し下がる。

 男の子も安心したのか、父親の手を握ったまま素直に頷く。


「……なるほど」


 凛音が小さく言う。


「何が」


「流れを戻すのに、大きなことはいらないんですね」

「一言で足りる時もある」


「宿はそういうもんだ」

 俺は言う。

「客が気を遣い始めたら負けなんだよ」


「その言い方、かなり重いですね」


「実際重いからな」


 食事処へ入ってからは、全体としてかなり良かった。


 湯けむり御膳の出し方も、

 説明の添え方も、

 景色と料理の繋ぎ方も、

 先日の試食会よりずっと“宿の一部”になっていた。


 だが、再来客だからこそ出る感想もあった。


 最初に口を開いたのは、例の娘の女性だった。


「おいしいです」

 彼女は箸を置いて言う。

「でも、前より少し“きれい”すぎる気もします」


 その一言で、空気がまた少しだけ張る。


 厳しい。

 けれど、欲しかった種類の言葉でもある。


「きれい、っていうのは?」


 俺が思わず口を開くと、女性は俺を見た。

 たぶん初めて、ちゃんと俺を“関係者”として認識した目だ。


「うーん」

 彼女は言葉を探す。

「前回の試食会の時は、“今ここで生まれた感じ”がもっとあったんです」

「今日はすごく整ってる。でもその分、少しだけ完成品っぽい」

「旅館としては今日のほうが正しい気もするんですけど」

「私は、前回の少し不安定な熱も好きでした」


 その感想は、かなり本物だった。


 わがままでも、気まぐれでもない。

 ちゃんと見ている人間の言葉だ。


「……なるほどな」


 思わずそう漏れる。


 凛音が横で小さく息をつく。


「難しいですね」


「うん」

 俺は頷いた。

「最初の驚きがあった分、前回は“いま生まれた感じ”が強かったんだろうな」

「今日は安定してる。でも、安定したぶんだけ熱が均された」


 朱麗が少しだけ目を細めた。


「つまり、“整った”だけでは足りない、と」


「たぶんそう」

 俺は低く答える。

「再来客って、そういうところ見るから」


 悔しい。

 でもありがたい。


 こういう言葉が出るなら、白鳳館は次へ進める。


     ◇


 客の見送りまで終わった頃には、すっかり夜になっていた。


 帳場の奥で、志摩さんが小さく息を吐く。


「……どうでしたか」


 試食会の時と同じ問いだ。

 でも今日のそれは、ずっと現実的だった。


「勝ち負けで言うなら、勝ちだよ」

 俺は言う。

「でも、今日は“次の課題が見えた勝ち”だ」

「それが一番大きい」


 志摩さんが頷く。

 早坂さんも、少し疲れた顔で腕を組んだまま聞いている。


「今日の常連さんの娘さんの感想」

 俺は続ける。

「かなり重要だ」

「今の白鳳館は、ちゃんと整ってきてる」

「でも、そのうえで“今日ここで味わった感じ”をもう一歩だけ残したい」


「熱、ですわね」


 朱麗が言う。


「そう」

 俺は頷く。

「宿って、安定だけじゃ再訪の記憶にならない時がある」

「“また来てみたい”の中には、少しだけ生っぽい印象もいるんだよ」


 凛音が静かに言う。


「完成度を上げるだけだと、逆に記憶の棘がなくなるんですね」


「うん」

 俺は苦笑する。

「宿ってめんどくさいだろ」


「かなり」


 凛音が即答する。


「でも」

 そこで彼女は少しやわらかく続けた。

「前よりもっと“生きてる場所”になった感じはしました」


 その言葉は、たぶん今日いちばん白鳳館に必要な褒め方だった。


 志摩さんの目がわずかにやわらぐ。

 早坂さんも、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 朱麗がそこで、俺を見る。


「どうしますの」


「何が」


「白鳳館ですわ」

 朱麗はまっすぐ言った。

「今日の感想を踏まえて、次をどうするか」


 その問いに、俺は少しだけ黙った。


 白鳳館は、確かに前へ進んでいる。

 でも“良くなった”で終わらせるなら、ここから先はまた埋もれる。

 必要なのは、安定と熱の両立だ。


「……次は、日替わりじゃなく“その日だけの一手”を足す」

 俺はゆっくり言う。

「全部を毎回変えるんじゃない」

「でも、その日の客にだけ少しだけ違う何かを残す」

「それがあれば、“また来ても同じじゃない”って感じが生まれる」


「その日の一手……」

 凛音が繰り返す。


「例えば、迎えの一口を微妙に変えるとか」

「夜の説明を一言だけ変えるとか」

「見送りで季節の小さな違いを渡すとか」

「でかい変化じゃなくていい」

「“今日の白鳳館だった”が残れば、それでいい」


 言い終わると、朱麗が少しだけ息を吐いた。


「……やっぱり」

「あなた、宿のことを考えてる時、ずるいくらい自然ですわね」


「褒めてないだろ、それ」


「半分くらいは」


「便利ワード感染しすぎなんだよ」


 でも、そのやり取りをしながら、俺は少しだけ自分で気づいていた。


 今日の再来客で、白鳳館に足りないものが一つ見えた。

 そして同時に、俺たち三人の関係もまた、似たところへ来ている気がしていた。


 整ってきた。

 信頼もある。

 自然に並べる。

 でも、たまに少しだけ“生っぽい熱”が足りない。


 言葉にすると、かなり面倒だった。


「……何ですか」


 凛音が聞く。


「何が」


「今、また変なところで白鳳館と私たちを繋げましたよね」


「お前エスパーか?」


「顔です」


「便利だな」


「かなり」


「やめろって」


 笑いが少しだけ漏れる。


 白鳳館の帳場の奥で、三人で立って、宿の次を考えている。

 それは少し前の俺からすると、どう考えてもおかしな立ち位置だった。


 でも今は、そのおかしさの中に少しずつ居場所みたいなものまで生まれ始めている。


 それがいちばん困る。


「……とりあえず、今日は勝ちだ」

 俺は言った。

「課題は出たけど、白鳳館はちゃんと次へ進める」

「それでいいだろ」


「ええ」

 朱麗は頷く。

「かなり」


「はい」

 凛音も頷く。

「そう思います」


 白鳳館は、少しずつ立ち上がっていく。

 学園の火種は、まだ消えていない。

 そのどちらにも、俺たちはもうかなり深く足を突っ込んでいる。


 それでも今日は、少なくとも前に進んだ一日だった。


 だから今は、それでいいことにした。

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