第20話 昼休みの同盟、浴衣の記憶つき
情報部の腕章をつけた上級生に連れられて教室を出た時、俺はすでに少し疲れていた。
まだ放課後になったばかりだというのに、妙に一日が長い。
切り抜き問題は表向き少し熱が散った。
でも根っこは残っている。
しかも、ただの野次馬ではない“探している側”の存在まで見えてしまった。
こうなるともう、面倒という言葉では少し足りない気もする。
でも他にちょうどいい表現も見つからない。
「須賀先生は情報部の部屋で待っています」
先導する上級生は淡々としていた。余計なことは言わない。たぶん、事情の全部を知らされているわけでもないのだろう。
その後ろを歩きながら、俺はちらりと横を見た。
凛音がいる。
少し離れて朱麗もいる。
ほんとうに、この二人は“どこまでついてくるつもりなんだ”と思う。
思うのに、いざいないとたぶん困る気もしている自分がいて、それがまた面倒だった。
情報部の小部屋は、実習棟の一角にあった。
機材とファイル棚と端末だけが整然と置かれた、妙に生活感のない空間だ。そこへ入ると、須賀先生が腕を組んで立っていた。
「来たか」
「はい」
「座れ」
先生は端末画面を軽く叩く。
「状況は少しだけ動いた」
俺たちはそれぞれ椅子を引いた。
情報部の上級生は一礼して部屋を出ていく。
「まず、例の切り抜きを最初に投げたアカウントだが」
須賀先生は画面を切り替える。
「凍結も削除もされてない。ただし更新が止まった」
「その代わり、周辺の拾い垢が少しずつ過去映像へ流れている」
「想定通りですね」
凛音が静かに言う。
「そうだ」
先生は頷く。
「問題はそこから先だ」
「お前たちが見つけた“現場寄りの観察アカウント”のいくつか、学園近辺のリアル行動ログと薄く繋がる形跡がある」
俺は眉をひそめた。
「リアル行動ログ?」
「実習公開日、校外講習、外部見学日」
先生は言う。
「“学生の配信を見て気になったから来た”で説明できる範囲ではある」
「だが、数としては少し不自然だ」
「やっぱり、見に来る側がいるんですね」
凛音の声は静かだったが、昨日よりさらに冷えていた。
「可能性は高い」
須賀先生は俺を見る。
「柊木。お前が昨日言ってた“そういうやつら”に近いと思っていいのか」
一瞬だけ、返事に詰まる。
でもここで曖昧にしても、たぶんもう意味がない。
「……近いと思う」
俺は低く答えた。
「派手な映像を見たいわけじゃない」
「“どこまでが本物か”を嗅いでる感じだ」
先生は黙って聞いていた。
凛音も、朱麗も、何も挟まない。
「ただ」
俺は続ける。
「まだ決めつけるには弱い」
「動いてるやつが、ただの物好きな経験者なのか、本当に探してる側なのかは分からない」
「ええ」
朱麗が頷く。
「こちらが先に過剰反応すると、むしろ相手へ“刺さった”と教えることにもなりますもの」
「その通りだ」
須賀先生は小さく息を吐いた。
「だから今は、追うよりも観察だ」
「学園内では引き続き“妙に目立つが普通に生活しているやつ”で押し通せ」
「その言い方、先生まで使うんですね……」
「実際そうだろ」
それはそうなんだけど、教師に言われると地味に傷つく。
「あと」
須賀先生は続けた。
「今日からしばらく、お前ひとりで人気のないところへ行くな」
「子どもじゃないんですけど」
「その返しをする時点で信用がない」
先生は即答した。
「白雪、九条」
「はい」
「何ですの」
「お前らも、四六時中張りつけとは言わん」
「だが、少なくとも昼休みと放課後の動きは合わせろ」
「今のあいつは、面倒を一人で抱え込んだまま“別に”で流そうとする顔をしてる」
やめろ。
そこまで言語化するな。
「先生」
俺は真顔で言う。
「ひどくないですか」
「事実だ」
「かなり、ですね」
凛音が言う。
「かなりですわね」
朱麗まで続く。
「そこで揃うなよ!」
だが、先生の口元がほんの少しだけ緩んだのを俺は見逃さなかった。
この人、絶対少し面白がってるだろ。
◇
情報部の部屋を出たあと、俺たちはそのまま実習棟の渡り廊下を歩いた。
夕方前の光がガラスを通して差し込み、廊下の床に斜めの影を作っている。授業終わりで人通りはそこそこあるが、昼よりは落ち着いていた。
「……思ってたより、話が大きくなってきたな」
俺がぼそりと言うと、凛音が横で頷く。
「はい」
「でも、まだ取り返しがつかない段階ではありません」
「冷静だな」
「冷静でいないと、見えるものも見えなくなります」
その言い方は凛音らしかった。
感情がないんじゃない。ちゃんとあるけど、今は脇へ置いているだけだ。
「九条は?」
俺は反対側を見る。
「何か考えてる顔してるけど」
「ええ」
朱麗は少しだけ顎を上げる。
「昼休みの動き方を少し変えたほうがよろしいかと」
「またそこか」
「また、ですわ」
朱麗は当然のように言う。
「校内での“普通”をどう見せるかは、今のあなたにとってかなり重要ですもの」
「“普通”って難しいんだよな」
俺はため息をつく。
「気にしすぎても変だし、気にしなさすぎても危ない」
「だから、三人でやるんです」
凛音が言った。
「一人で普通を作ろうとすると、たぶん不自然になるので」
その言い方に、少しだけ苦笑する。
「普通を三人で作るって、字面がすでにおかしいんだよ」
「でも現状、それが一番自然ですわ」
朱麗の返しがあまりにも迷いなかった。
たしかに、最近はそうだ。
俺が一人で動くより、凛音か朱麗、あるいはその両方と一緒にいるほうが、なぜか余計な噂が別方向へずれる。
それが助かる反面、自分の立場がじわじわ変質していく感覚もある。
“ただの脇役”では押し通しにくくなる。
それが、少し怖い。
「……何ですか」
凛音が聞いた。
「何が」
「今、また少し遠くに行きました」
「便利な言い方するな」
「事実です」
「いや、便利だろもう」
凛音は少しだけ考えるように目を伏せた。
「じゃあ、言い換えます」
「白鳳館のことを考えている顔と、学園のことを考えている顔が、今は混ざっていました」
その指摘は驚くほど正確だった。
俺は足を止めかけて、やめる。
「……お前、ほんとに見てるな」
「見ています」
凛音は迷いなく言う。
「だって、大事なので」
そこへ朱麗が、わずかに視線を横へ流した。
「白雪さん」
「その言い方は、さすがに少し強すぎるのではなくて?」
「そうですか?」
「ええ」
朱麗は言う。
「それでは、こちらまで調子が狂いますわ」
「お前まで狂うのかよ」
「当然でしょう」
朱麗は少しだけむっとしたように言った。
「白鳳館のことも、学園のことも、今は全部重なっているんですの」
「その中心にいる人が、急に黙って遠くを見ると困ります」
その言葉は、妙にまっすぐだった。
困る。
シンプルだけど、重い。
俺は返事に少しだけ詰まり、それから観念したみたいに肩をすくめる。
「……悪い」
「謝ってほしいわけではありませんわ」
朱麗は言う。
「ただ、勝手に一人で整理しないでほしいだけです」
「それ、最近よく言われるな」
「だってそうでしょう?」
朱麗は少しだけ目を細める。
「あなた、整理したふりをして、たいてい一人で抱え込みますもの」
「言い方」
「事実です」
「お前まで便利ワード使い始めてるじゃねえか」
◇
その日の昼休みは、教室で過ごすことになった。
いつもみたいに中庭へ出るのではなく、窓際の席近くで、森野や岸本もいる空気の中に混じる形だ。これも“普通に生活している感”を出すための一環らしい。
いや、本当に昼休みを何だと思ってるんだ。
「今日は教室なんだな」
岸本が机に肘をついて言う。
「らしいな」
「“らしい”って何だよ」
森野が笑う。
「自分の昼休みでしょ?」
「最近そうでもないんだよな……」
俺がぼやくと、ちょうどそのタイミングで凛音と朱麗が教室へ入ってくる。
もはやクラスの空気がそこまで大きく揺れない。
この慣れは慣れで怖い。
「こんにちは」
凛音が小さく言う。
「皆さん、ごきげんよう」
朱麗も続く。
「ほらな」
俺が森野に向かって言うと、森野は苦笑した。
「うん、もう最近は“来る前提”みたいになってきた」
「やめろ、それはほんとに困る」
「でも」
岸本が頷く。
「前より空気はだいぶ平和になったよな」
「最初の頃みたいな“何だ何だ”じゃなくて、“ああ今日もあの感じか”だし」
「そこまで景色にされたくはないんだけど」
「まあ無理だろ」
岸本はあっさり言う。
「今のお前、前より明らかに隠れてないし」
その言葉に、思わず少し黙る。
隠れてない。
たしかにそうかもしれない。
切り抜きの件があるからだけじゃない。
白鳳館のことも、凛音や朱麗との距離も、以前みたいに全部を“無関係です”で押し込めるには、もうだいぶ無理が出てきている。
そこへ、朱麗が小さな箱を机へ置いた。
「本日は、白鳳館からのお土産つきですわ」
「また何か持ってきたのか」
「再訪予約のお礼も兼ねて」
朱麗は少しだけ得意げに言う。
「小さな焼き菓子です」
「厨房で、試作の合間に作ったそうですわ」
森野が目を丸くした。
「え、いいの?」
「もちろんですわ」
朱麗は言う。
「白鳳館が前へ進んだのは、見えないところで空気を支えてくださった方々のおかげでもありますもの」
その言い方は、妙にきれいだった。
森野が少し照れたように笑い、岸本は「うわ、そういうちゃんとしたこと言われると弱いんだよな」と頭をかく。
俺はその様子を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
こういう感じならいい。
切り抜き問題をただの不穏で終わらせず、今ある人間関係の中へ落とし直せるなら、そのほうがずっといい。
「お前」
森野が焼き菓子を手に取りながら、俺へ言う。
「ほんとに最近、世界観変わったよね」
「俺もそう思う」
「でも、前より楽しそう」
その一言に、今度は真正面から言葉に詰まる。
「何だよそれ」
「いや、だって」
森野は少し首を傾げる。
「前はずっと、“何も興味ありません”みたいな顔してたでしょ」
「最近は面倒そうにはしてるけど、でもちゃんと今いる感じがする」
その指摘は、たぶん凛音や朱麗が言うのとはまた違う意味で刺さった。
クラスメイトの目から見ても、そう変わっているのか。
「……褒めてるのか?」
「たぶん」
森野は笑う。
「少なくとも、今のほうが話しかけやすい」
「それはわかる」
岸本も頷く。
「前は、なんか一歩引いてたし」
「最近は引いてるのに引き切れてない」
「評価が地味に痛いんだよ」
凛音がその会話を聞きながら、静かに言った。
「でも、そういうの大事だと思います」
「何が」
「引いているのに引き切れていない感じです」
凛音は少しだけ目を細める。
「それって、ちゃんと今ここにいるってことなので」
「……お前、そういうのよく言えるよな」
「見ているので」
「便利ワード」
「でも今日は、かなり本気です」
そこで、朱麗が少しだけやわらかい声で続けた。
「ええ」
「わたくしも、そう思いますわ」
「少なくとも以前のあなたは、こういう場所へ白鳳館のお土産を持ち込ませたりしなかったでしょう?」
「それは……」
否定しようとして、やめる。
たしかにそうだ。
前ならもっと強く断っていたと思う。
関係が混ざるのを嫌って。
期待されるのを嫌って。
居場所が増えるのを怖がって。
「……まあ、そうかもな」
それが今の精一杯だった。
◇
放課後。
教室の空気が少しずつ薄くなっていく中、俺たちは自然と窓際へ集まっていた。
話している内容は白鳳館の次の再訪日のこと、迎え方の再調整、湯けむり御膳の提供順。どれも仕事の話だ。仕事の話なのに、空気だけは少しずつ違う方向へ柔らかくなっていく。
「次の再訪、来週末でしたよね」
凛音が言う。
「ええ」
朱麗が頷く。
「だから、それまでに迎えの一口と見送りの流れをもう少し整えたいんですの」
「見送りな」
俺は腕を組む。
「試食会の時も思ったけど、帰り際の背中はかなり重要だ」
「食事の記憶が強くても、最後が雑だと全体の印象が落ちる」
「はい」
凛音がすぐに頷く。
「“来てよかった”が固まるのは、最後ですもんね」
「そう」
俺は言う。
「宿って、最後にどう外へ出るかまで含めて体験だから」
言いながら、ふと気づく。
今の会話、ずいぶん自然に噛み合っていた。
俺が言葉を置いて、凛音が拾って、朱麗が運用へ落とす。
少し前まで、ここまで綺麗には繋がっていなかったはずだ。
「……怖いな」
思わず呟くと、二人が同時にこちらを見る。
「何がですの?」
朱麗が聞く。
「いや」
俺は少し苦笑する。
「最近、三人で話してると形になるのが早すぎて」
「それ、前にも言っていましたね」
凛音が言う。
「言ったっけ」
「はい」
「“ちゃんと形になりすぎて怖い”って」
そこまで覚えてるのかよ。
朱麗が少しだけ目を伏せ、それから小さく息を吐いた。
「……わたくしも、少しわかりますわ」
「え?」
「だって」
朱麗はほんの少しだけ言いにくそうにしながらも、続ける。
「白鳳館も、学園の切り抜きの件も、あなたが間に入ると妙に流れが見えるんですもの」
「そこへ白雪さんの観察と、わたくしの数字を重ねると、ちゃんと進む」
「それは、便利で」
少しだけ間が空く。
「……少し怖いですわ」
その本音は、思っていたよりずっと近く聞こえた。
凛音も静かに頷く。
「はい」
「このまま進むと、たぶん戻れない感じがあります」
「戻れない、か」
「白鳳館も」
凛音は言う。
「私たちも」
その一言で、空気がほんの少しだけ止まる。
ああ、またそこへ繋がるのか。
でも、今はもう、それを単なる話の飛躍だとは思えなかった。
白鳳館は動き出した。
学園の問題も、もう見ないふりはできない。
そして俺たち三人も、少し前の“たまたま一緒にいる”位置からは確実にずれてきている。
全部が、少しずつ前へ出すぎている。
「……とりあえず」
俺は深く息を吐く。
「今日はここまでだ」
「切り抜きの件も、白鳳館の件も、焦って全部決めるとろくなことにならない」
「ええ」
朱麗が頷く。
「そこは同意ですわ」
「はい」
凛音も続く。
「でも、明日もまた考えます」
「お前はそう言うと思ったよ」
「必要なので」
「便利だなあ……」
やっぱり、完全に慣れてしまっている。
でもそれが嫌かと言われると、もう以前ほど素直に頷けなかった。
こうして三人で並んで、面倒ごとと白鳳館と、ついでに言葉にしづらい距離感のことまでまとめて抱えている今のほうが、たぶん前よりずっと“ここにいる”感じがする。
それを認めるのが、まだ少し悔しいだけで。
「……じゃあ、また明日」
俺が言うと、凛音が頷いた。
「はい。また明日」
朱麗も、少しやわらかい声で言う。
「ええ。また明日ですわ」
二人が別々の方向へ歩いていくのを見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
切り抜き問題は、まだ終わっていない。
白鳳館も、これからが本番だ。
そして俺たち自身も、たぶんまだ途中だ。
でも少なくとも、今の俺はその途中にちゃんと立っている。




